結局、答えを出さずに、私はあの場を後にしてしまった。

私が、私として。
直ぐに答えを出すにも難しい質問で、考え込んだからと言って出る答えでもなかった。



「名前!」
「わ、おはよう、セイバー」

「体調はどうだ?まだ顔色が優れないように見えるが」
「う、ん。へいき。土日休んだら、熱は下がった」

朝、教室に入ると、心配そうに名前を呼んで近くに来てくれたセイバーに、小さく笑う。
セイバーには、たくさん、心配を、かけてしまった。

セイバーに、心配かけてごめんね、という言葉が出そうになって、あわてて口をつぐむ。
この間のあの人と同じように、謝罪はいらない、と言われてしまうような気がした。

「心配、してくれて、ありが、とう。私、は、大丈夫」

「…名前、何かあったのか?」

手首を掴まれて、尋ねられる。
確証のある、声音。
セイバーに、隠し事、って、出来ないなあ、私は。

けれど、ここ最近、今までにあったことを話したら、セイバーは、何と、言うのだろうか。
彼女はきっと、怒ってくれる。
間桐先生にも、あのフランスの人にも、同じように。


そして何より、セイバーは、きっと、遠坂、先生に、怒る。


「何も、ないよ」
「…そうか」

「うん。ありがとう」

それ以上、その件についてセイバーは何も尋ねなかったが、幾分か腑に落ちないような顔をしたセイバーに、心の中で、小さく、ごめんね、と呟いた。

「そう言えば名前、金曜の帰り道、生徒会長には会ったか?」
「帰り、道?会って、ないけど…あ、忘れてた、私、生徒会長に、ブレザー、返さないと」

机の横にかかっている少し大きな紙袋を見て、思い出す。
いろいろな事がありすぎて、忘れてしまっていた。

、あ。
そう言えば、あの人、私のこと、抱えてきたとか、言峰先生が。
わ、お礼も、言って、ない。
わ、私、訳分からないこと、口走って、そのまま気を失った上に、抱えて運ばれたって。

さあ、と血の気が引く。
それは、流石に、駄目、だ。

「セイバー、私、生徒会長のところ、行ってくる」
「あ、ああ。分かった。でも、もうあと10分もしないうちにホームルームが始まるぞ」

「でも、寒いから」

遅くならないように、とセイバーに言われ、一度頷いてから小走りになっていると、教室の奥の方から名字、という声が聞こえてきて、一度振り返った。

ウェイバーくんがちょっと、と手を振りながら走ってくる。

「生徒会長のところか?」
「うん。ウェイバーくんも一緒に来てくれるの?」

「…違うよ。これ、生徒会の備品、あの世界史教師が借りてきたやつ、返しておいてくれないか」
「あ、イスカンダル、先生か。別に、大丈夫だよ」

「ありがとう。助かる」

ウェイバーくんに渡された油性のマジック二本、カッター、ホチキスをブレザーのポケットに詰め込んで本格的に走り出す。

きっと、生徒会室に、いる。
どうやら生徒会長は、あまり授業に出ていないらしい。
それで何故あの人は生徒会長をやっているのだろうか。

教室と温度の差が激しい廊下に身震いして、ブレザーのポケットに手を入れて早足に渡り廊下を通りすぎていると、角から、赤いスーツを身に纏った人が出てくる。
あ、と小さく声を漏らすと、その人はこちらに気付いたようで、やわらかくはにかんだ。

「やあ。おはよう名字さん」
「、あ、おはよう、ございます」

「もうすぐホームルームだよ」
「あ、あの、せ、生徒会長に、用が、あって、あ、すぐ、すぐに帰ってきますから」


「そうかい。そう言えば綺礼…、言峰先生に聞いたよ、金曜日に体調を崩してしまったらしいね。もう具合は大丈夫なのかい?」

はにかんだまま尋ねてくる遠坂先生に、思わず狼狽える。
はい、と答えたが、蚊の鳴いたような声しか出てこない。

遠坂先生は笑いながら、今の風邪は長引くからね、などと雨生くんのようなことを言っている。
思わず曖昧に笑って、では、と頭を下げると、遠坂先生は目を細めて、薄く笑っていた。

つい先日、何度も向けられた筈のその表情に、背筋が凍る。



「金曜日、君が間桐先生といるのを偶然見かけてね。事情を詳しくは分からないが、酷く憔悴しきっていたようだけど、何か、あったのかい、間桐先生と」

は、と息が、詰まった。
その表情に。

知っている、くせに。
白々、しい。
どうにか平常心を保とうと、爪がくい込むくらいの強さで拳を握りしめて、意識を逸らす。
どうにかして、顔や、態度に出さないようにしなくては。
汗が額に滲むのを感じて、不味い、と小さく思う。

遠坂先生は眉を下げて、少し困ったような顔をした。


「生徒にはあまり、こういった話をしたくはないんだが、間桐先生のご実家は、色々と事情が入り組んでいるようでね。あまり、良い話も聞かない。彼もきっと、疲れているんだろう」

何を、言っている、この人は。
何故、この人が。

他でもない、桜ちゃんの、父親である、この人が。
何を、言って、いる。
絶望にも似た感情に苛まれ、ぐらり、と視界が揺れる。

おかしい。
この人達の価値観は、決定的に一般と違っているのだ。
おかしい、おかしい。

何故、間桐先生が、あの子が、苦しまなければ、ならない。
何故、私が、私として、二人といては、ならない。


…ああ、なんだ。
答えは、簡単で、実に明確であり、とても、近くにあった。
ブレザーのポケットに入っているカッターの刃を、ゆっくりと伸ばし、震える手で握りしめる。

冷たくて鋭利な刃先をポケットの中で指先でなぞり、その腕を振り上げようとした瞬間だった。



スピーカーから流れ出した掠れたチャイムの音に、ふ、と意識が戻り、ポケットの中で刃先を思いきり握りしめてしまった。

っう、と鈍い呻き声が漏れて、生ぬるい感触が指を伝う。

「ああ、予鈴だね。私はもう行くけど、名字さんもホームルームには遅れないように」

綺麗に笑って遠坂先生は背を向けて去っていった。

私はその背中が見えなくなってから、そのままふらふらと倒れ込むように壁に体重を預ける。


「っ、」

口元を押さえて、出そうになった悲鳴を押さえ込めた。
ばくばくと心音がやまない。

ふと目に入った指先から流れる鮮血に、嘔吐感まで催す。

わ、たし、は。
私、は、今。


私は、今、人を、殺したいと、思って、しまった。

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