「名前、随分と顔色の悪い」
「う、え、あ、ね、寝不足、かな、たぶん、うん」

「本当に、体を壊すぞ。無理だけはしないでほしい」
「うん。ありがとう。ごめんね。心配かけちゃって」

心配してくれているセイバーに小さく笑いかけると、セイバーは少し目を細めて、何とも言えないような表情をしていた。

い、や。
実をいうと、少ししんどい。
昨日は浮かれていて、あまり実感はなかったけれど、こう、二日分くらいの疲れが、ぶわっと。
けど、今日の授業は主要教科が多いし、宿題の分、欠席は結構な痛手になってしまう。

今日は金曜だし、今日一日、一日だけ我慢しよう。
そう心に決めて、授業に取りかかってみたものの、英語のスペルミスは酷いわ、数学のケアレスミスも多いわで、それはそれは随分散々なものだった。

心なしか体は熱いし、なんか視界もぼやぼやしている。
はあ、駄目だ駄目だ。
あと、一時間。

「大丈夫?名字さん」
「う、うん。がん、ばる、よ」

隣の雨生くんから、大丈夫、と言われたのは気付けば今日一日でもう三回目だった。



「お、おわ、おわっ」
「名前、大丈夫か?」

「う、ん。なんとか」
「全く。今日と土日、しっかり休みを取るんだぞ」

帰りのホームルームが終わって、ぜえぜえ荒い息を吐いていると、セイバーが諭すように言った。
と、取り敢えず、乗りきった。
あとは、帰るだけ。

どうかあの生徒会長だけには捕まりませんように、と強く念じながら校内の中庭を歩いていると、少し先に、見慣れた白衣姿のふらふらした後ろ姿が目に入って、思わず駆け出してしまった。

頭もがんがんと響くように痛んでいるし、呼吸も苦しいけど、あまり気にならない。
それこそ、病気なのでは、と、少し、思って、しまう。


「ま、間桐、先生」

「ああ、名字さん」

振り向いた間桐先生は、少しよろめきながら、小さく笑う。
返すように笑って、こんにちは、と言うと、こんにちは、と笑顔で返してくれた。

「あ、あの、こ、このあい「ねえ、名字、さん」

「、は、い?」

内心、びくりとした。
あの、笑い方、だった、から。
赤を、嫌いと、言ったような、あの、薄くて、消え入りそうな。

どぎまぎしながら、あ、の、とゆっくり言葉を切り出す。
間桐先生は、綺麗に、見たこともないくらい、綺麗に。

笑って、



「名字さん、には、それ、似合わないみたい、だね」

「、え」

する、と間桐先生の手が胸元へ伸びてきてやんわりと包むようにネックレスの石の部分を掴む。

「俺はさ、君が思っているほど、綺麗な人間じゃない。見た目通り。最低で、汚いよ。凄く」

間桐先生の右手に力が込められて、首にチェーンが食い込んだ。
は、と息を飲む。


「これはね、君には似合っていないんだ、とても」

「、あ、」

ぶつ、と音を立てて、首からするすると金属が滑る音がした。

さらりと、あのときと、同じ、音がして、小さな石は、からからと地面を転がっていく。
あ、と私が手を伸ばすと、それを見た間桐先生は酷く冷たい目をして笑っていた。

じわりと、何かが、身体の底から、滲んできて、かたかたと身体中が芯から震えてくる。
何も言わずにその場を去っていく間桐先生に言葉を失って、立ち尽くしながらその背中をただぼんやりと見ているだけだった。

開いた口が塞がらない、とは、こういうことだったのか。
特に泣くでもなく、騒ぐでもなく、自分でも驚くくらいにとても静かな時間だった。
時間だけが過ぎていって、落ちていた緑色の石を拾い上げても、何の感慨もわいてこない。

まるで、昨日一日が、全て嘘であったかのように。



「お、何をぼけっとしているのだ名字!明日はセイバー達の練習試合であろう、作戦を練るぞ!」

「、あ」

いつもなら頭の痛くなるような声から、どこか救済じみたものを感じてしまった。
ぱたぱたとこちらへ上機嫌にしながら走ってきた金髪を見て、ぶわりと心臓の底辺りで留まっていた悲鳴のような声が薄く開いていた口から小さく漏れる。

ゆらりと生徒会長の方へ一歩踏み出してみると、既に体の中には歩いて立っていられるほどの体力は残っていなかった。
膝が崩れる。
体が生徒会長の方へと傾いて、そのまま顔を埋めてしまった。


「…な、何をする痴れ者めが!相手を間違えるな雑種!」

分かってる、よ。
そんなことは。
でも、もう、動け、ない。
何が、起きているかすら、考えることも、でき、ない。

「も、わけ、わから、ない。わたしが、わるいなら、あやまり、ます、から、ごめん、なさい」

「おい、お前、」

酷く掠れてしゃがれている声しか出なくなっていて、生徒会長は戸惑って慌てている。
珍しいなあ、とぼんやり考えていたところで、意識はブレーカーが落ちるように途切れた。




「き、綺礼、奴は一体どうしたというのだ、治るのか?」
「只の疲れと熱だ」

珍しく慌てふためいて戸惑っているギルガメッシュに事実のみを確実に伝えると、安心したかのように息をついたギルガメッシュは名字の寝ている椅子から少し離れた椅子に座った。

熱で顔を上気させて荒い息を吐いて眠っている名字を見て、何故奴は保健室ではなく、ここに連れてきたのだろうか、と考える。

「この様子だと相当疲れを溜め込んでいたようだな」
「全く。自分の体調管理も出来ぬのか、こ奴は」

口ではそう言いつつも、ギルガメッシュは自分のブレザーをばさりと名字に投げ付ける。
この冷え込んだ空気の中、ワイシャツ一枚でこの男は何をしているのだ、と思ったが、余りに珍しい姿なので口をつぐんでおいた。

「名字め、この我の手を煩わせおって。気に喰わん。我は帰る。綺礼、奴の事を看ておけ」

「…ああ、了解した」

吐き捨てて教会を去るギルガメッシュに少々の呆れを感じながら渋々返事をすると、荒々しい所作でドアを閉められる。

ため息をついてから、涙の跡のようなものがついている名字の顔を見ていると、不意にその細い右手に自分の視線が落ちる。
赤く爪の痕が付くくらいに強く握られていたその指は、自分からすれば随分と非力なもので、ほどく事は容易なことだった。

からからと音をたてて床に落ちた何か光る物を拾い上げて、ああ、と小さく納得する。

全て、思惑通り、か。
師は、そうまで、あの男の事が気に食わないのか。
それとも、あの男は其れほどまでに動かしやすかったのか。

まあどれを取っても、自分には関係の無いことだ。
言われた通り、動向を観察し師に報告をするのみ。
しかし、此れからの動向を見ていることに、もしかすると愉悦を見出だせるかも分からない。

静かに深緑の石を眠る名字のブレザーのポケットに入れた。

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