身を焦がすほどの恋



「すこし外を歩かないか?」

1日の報告書をまとめ終え、ジョットに提出したところで、ささやかな散歩のお誘いがあった。私は迷わず「うん」と軽く答えた。
外といえど、城の中庭。回廊から漏れる灯が、ジョットの表情を見せた。
私たちは子供みたいに手を繋ぐ。今夜は星が綺麗に見える。私は星を見上げるふりをして、視界の端にジョットを映す。彼は星を見ずに、私を見つめる。その視線のせいだ。ささやかな散歩にしては、満天の星が、灯の揺らぎが色めきだって見える。

「――綺麗だ」
「星、見てないくせに」

私は空を仰ぐのをやめた。隣にも"大空"はあった。小さな瞳のその中の、星によく似た光。

「俺がナポリで言ったことを覚えてくれているか?」
「ナポリでは色々ありすぎたわ」
「傍にいてほしいと」
「それはもちろん覚えてる」

あの瞬間に気づいた。私たちはお互いを想いあってきた。ジョットが私を見る目は、男のそれだ。ジョットは私を拒まない。私もジョットを拒むことなどできない。ずっと、心の隙間を空けてきた。求めるもので埋まることは一生無いと割り切って、そこに後悔を押し込めてまで、私の心の隙間はたった一つのピースのためにある。
初恋はとっくに諦めて、あなたを思い出の中の人にして、私は新しい暮らしを受け入れて他の人と恋に似た感情の駆け引きをした。時に初恋の相手を思い出し、何一つ変わらないまま故郷で青年になったあなたを空想に思い描いては、虚しさと一緒に他の人の腕の中で眠った。
だから今この瞬間は、願ってもなかった奇跡みたいな話。

「私も……このままあなたと居たいと思う。でもやっぱり、ボンゴレプリーモの幼馴染にはなれないわ」

あの町で畑を耕していると勝手に思っていた。Gと、コザァートと、町の人たちと笑い、酒を酌み交わし、飲んで歌って、笑って過ごしていると思っていた。そんな私の思い込みは大きく外れ、青年になったジョットはボンゴレプリーモだった。ボンゴレプリーモの傷は計り知れない。私たちはもう、昔のようには肩を並べられない。私が居ない8年は、今のジョットをボンゴレプリーモたらしめる8年だ。

「昔のようにはいられない。わかっているでしょう、プリーモの一番の理解者は私じゃない……」

私とジョットは間にある、それはあまりに大きな溝。

「……こんな時にプリーモとは呼ばないでくれ。俺はお前が、居てくれるならそれでいいんだ」

ジョットは、幼い少年のように歯を見せて笑った。その笑顔を保ち、押しつけるように私に迫る。私もそう笑えと言うように。声をあげて腹を抱えて笑いあった眩しい子供時代、私たちはそうであったと言うように。

「ばか、そうじゃない」

居るだけでいいなんて、甘やかさないで。約束もせずに毎日遊べる子供時代はとうの昔に終わったのだ。笑わない私に、ジョットの表情からもいよいよ笑顔が消えた。

「世間を知らないから靡かずに、ありのままの自分でいられて、男勝りで、強がりで、笑ってばかりの、あなたが好きだったエルザ=イリデはもういないの。それでも私に傍にいてと?」

あなたが好きなのは、あなたが求めてきたのは、あの町で生まれ育った過去の私。純朴な15の少女。あなたが守ろうとしているのは、非力な子供。尚更そんな気がして、繋いだ手をはらった。
戸惑うジョットとの間に流れた沈黙に、穏やかな足音が割ってはいってくる。回廊を歩く、私服姿のナックルさんだった。

「プリーモ、Gが探していたぞ」
「急ぎか?」
「いや、酒に付き合えと」

それだけ伝えてナックルさんが去っていく。ナックルさんの背中を見送るジョットは、私に背を向けてそのまま一歩、前へ。一番の理解者の元へ、行ってしまうのだろうか。

「ジョット」

呼び止めておいて、なんでもないと言って、素知らぬ顔して、あなたの好きな私の笑顔を浮かべるなら今。また明日と言って、来もしない日が来るかのように振る舞う。それは変わらない毎日と友情を守るための賢い手段。

「ごめんなさい――行かないで」

けれど、行かないで、そばにいてほしかった。伸ばした手を取ってほしかった。
振り返ったジョットはもうとっくに目を丸くして、その目に彼の知らない私を写す。見せたくなかった今の私は、社会の煤で汚れたただの女。

「緊張して……、どうかしてるの私。おねがい」

絞り出した私の声を合図にして、私たちは衝動に身を任せて指先を絡め、再び手のひらを合わせ、引き寄せあうようにして一つに重なった。
息を飲む。人生最高の一瞬の出来事に、私は彼の腕の中で眩むほど酔いしれた。そうして、私はもう一度彼に惨めな声で乞うのだ。こたえて、と。

「……8年前のお前を好いてるわけじゃない」

迅る鼓動で彼の胸を何度も何度も叩いて、その心の在り処を問いただす。

「8年ぶりに、身を焦がすほどの恋をしているんだ」

結んだ片手はそのままに、もう片方の手が私を離さない絆しになる。

「初恋は終わった。それでも、エルザ。お前が思うより、俺はお前じゃなきゃダメなんだ。お前の強がりは残っている、皆の前じゃそう着飾っているじゃないか。俺には弱みを見せてくれるようになった人を、今更手放したくない。笑顔ばかりじゃなくていい。俺が笑顔にさせたいんだ、お前が望む全てに応えたい」

ジョットの手に力が入って、私もそれに応えるように同じだけ力を込めて握り返した。今やあなたを愛すことは単純なことではない。
私はコルセットを締め上げ、あなたからもらったスーツで型をつくり、髪を結って、ヒールのある靴を履く。そしてボンゴレプリーモの側にいよう。ボンゴレプリーモという下ろせない肩書きが昼夜問わずあなたの一部であるとしても、あなたが黒いマントを脱いで、いかついリングとグローブを外して、ネクタイを緩める瞬間を共に生きていきたいと思うのだ。

「私たちここからやり直そう」
「青春をか?」
「そう。だからまず、あの日し損ねたキスから」

その程度、と、恥ずかしげに笑う顔の頬にくちづけを落とす。あなたが思うにその程度のこと。私が思うに奇跡みたいなこと。


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