HELLO-HALLOW-HALO



「集団の脱獄者じゃと?」
「はい。他の囚人と看守を皆殺しにしたそうです。そして彼らは日本に向かったと……」
「日本……」

一人の老人が険しい表情を浮かべる。彼はイタリアの裏社会を束ねるドン・ボンゴレ、その人である。先刻、凶悪犯を収容した監獄で脱獄者が出た。その報告を受け、遠い日本の地で暮らすまだ幼い後継者を想う。試練を与えるべき時が来たのだろう。早速、指令書を書かんとドン・ボンゴレがペンを取ったその頃、廊下では――


「――ボンジョルノ!ママは吉乃!私は沢田葵!日本生まれ日本育ち!そんな平々凡々な私が、ある日突然イタリアマフィアの後継者になっちゃったってどういうこと〜?!赤ん坊の殺し屋はやってくるし、ノルウェーでサーモン漁をしていたはずのママも実はイタリアでマフィアしてたって、もうっ!これまでノルウェー産のサーモンに感謝してた日常は、ママから送られてきたサーモンは、なんだったわけ〜?!次回!"銃を撃つにも体力がいる"!私、ぜぇ〜ったい、マフィアのボスになんてならないんだから!」

ボンゴレファミリーの本部である歴史ある古城には不釣り合いな、甲高い日本語がこだました。声の主である沢田葵は廊下を駆け抜けていく。また、その後ろを怒鳴りをあげながら追いかけていく女性の姿がある。

「葵ー!アニメの次回予告ごっこする暇あるならイタリア語の勉強しなさーい!」

怒鳴りをあげる彼女の名前は沢田吉乃。日本人でありながらボンゴレ9代目の側近として仕える優秀な女性であった。そして、ボンゴレの者たちは驚いていた。男相手にも物怖じすることなく淡々と仕事を熟してきたあのヨシノが、中学生の一人娘に振り回されている。

無理もない話だ。吉乃は家族よりも仕事を選び、娘と過ごす日々は実に8年ぶりである。彼女の娘、沢田葵は遠い親族に預けられ、日本で奔放に育っていた。吉乃は、まさか自分の娘にドン・ボンゴレの継承位が回って来るとは思ってもいなかったらしい。ボンゴレの後継者選びにおいてその権限の一部を託されている門外顧問とドン・ボンゴレのパイプ役である吉乃は、複雑な思いを抱えていた。先先代が女ボスであるボンゴレファミリーだが、吉乃自身はマフィアなど女のする仕事ではないと思っている。継承位第2位となった娘をイタリアに呼び寄せてはや半年。ならば娘を門外顧問代表に育てようとして奮闘しているものの、葵がイタリア語を飲み込もうとしないことが第一関門を突破するのを困難にしている。

吉乃は、授乳期を除いて葵の母親にはなれなかった。健やかに葵を育ててくれた沢田奈々に感謝と尊敬が尽きないのだ。葵自身も、自分を手放した母親を憎んでいる様子はなく、ここぞとばかりに年相応に甘えたりねだったりしてくれるが、イタリア語を教えようとすると一目散に逃げていく。反抗期だ。もともと、日本の中学でも葵の成績が振るわないのは知っている。だがここまで勉強を嫌がるとは思ってもいなかった。子育てって難しい。足の速さだけが取り柄の葵の姿が遠くなっていく。吉乃は追いかけることをやめて、今日もまたため息をつくのだ。


*=*=*=*



「……ふう」

7cmのヒールでよくもまあ全速力で走れるものだ。葵は初めて生みの母を尊敬した。喩えればキツツキの高速ノックのような吉乃の足音が遠のき、葵はとっさに廊下の曲がり角で身を潜めた。
机に張り付いて勉強するなんて散々だ。映画でみたようなローマの華やかな暮らしに期待して、イタリアにやってきて半年。北イタリアの主だった観光地は2日間の弾丸旅行で連れまわされただけで、それからは英語とイタリア語と歴史を勉強する毎日だった。うんざりだ。うんざりである。葵は、暇さえあれば頭の中で韻を踏むことしか考えていない。都市部から外れた森に立つ、絢爛豪華ななんちゃら様式の古城に幽閉されている。しかも、ここはあのマフィア・ボンゴレファミリーの本部で、どこを見ても老若問わずラテン系の男がいる。最初の頃は非日常的な日常に心踊りもしたが、今ではすっかり奈々の作るご飯と日本が恋しくなっていた。ボンゴレファミリー10代目候補である葵は、普通の女の子だった。

「あーやだやだこんな人生……、なんで私が……、100年も前のご先祖様のせい?知るわけないっつぅの……私は日本人だよ……ママだって正気じゃない……日本に帰りたい……、……ってかどこここ」

葵が気付いた時には、周囲に母の気配はおろか人の気配もなかった。ボンゴレの城は非常に入り組んでおり、葵はようやく自分の生活区域で迷わないようになったばかりだった。しかし、今いる場所には見覚えがない。逃げているうちに普段来ないところまで来てしまったのだ。

廊下の壁には大きな肖像画が並べられている。金色の豪華な額縁は年季が入っていて、肝心の肖像画も色あせていた。随分長い間飾られているのだろう。一枚一枚、歴史の教科書に出てきそうな人物を眺める。どうやら、歴代のボンゴレボスのものらしい。

「綱吉……?違う、"ボンゴレプリーモ"?」

そして、最も古い肖像画に描かれたその男は、確かにイタリア人の顔立ちをしているものの、葵がきょうだい同然に育ってきた沢田綱吉の面影があった。しかし、よく見るとそうでもない。気のせいだ。葵は目をこすって、やはり全く知らない顔の男をこれでもかというほどに睨みつけた。そもそも、この男が自分の祖先であり、一般的な日本人であったはずの葵がイタリアにいる理由だ。生きた時代の違いをありありと示すように、ボンゴレプリーモは厳かなマントを羽織っていた。祖先が立派だったからといって、葵と綱吉は所詮アホイとダメツナであることに変わりはないのだ。葵は、すまし顔のボンゴレプリーモに文句の一つ二つ声にしたくなる気持ちをぐっとこらえた。

「はーぁ、やってらんないわ」

大きなため息をついた葵は、肖像画がかかっていない反対側の壁にもたれた。その時だった。勢いよく後ろ頭を預けた壁が崩れたのは。
葵はあわてて振り返る。色あせた壁紙が剥げて覆い隠されていた石造りがあらわになってしまった。彼女の頭ほどの大きさのくぼみがそこにあった。城のこの辺りは初代のころから当時のままにしていると、9代目が言っていた。相当古くなっていたのだ。悪いのは自分ではない……。自分に言い聞かせて心を落ち着けて、葵は崩れ落ちた壁をじっと見つめた。
──いや、なにか不自然だ。なにか、ある。
剥げた壁紙とその周りは一見、一続きのようだったが、まじまじと注意して見てはじめて気付けるぐらい細密に"つなぎ合わされていた"。ここだけ。崩れてきたのは石かと思えば、不自然に色の違う乾いた土が混ざっている。あとで9代目やその守護者、母親から大目玉を喰らうことを覚悟して、葵は壁に残る土に手をかけて慎重に崩した。
ぽろりと土がこぼれていく。やっぱり。葵は驚きこそしなかったが、胸が高鳴るのを覚えた。土をすべて払ったそこから現れたのは、手のひらに載るほど小さな正方形の木箱だった。
このサイズ、この形には覚えがある。奈々さんの化粧台の上に置いてあった指輪を収める箱とよく似ている。しかしこれは蝶番で止められてるとはいえ、質素な木箱。違うかな、とも思う。木箱の裏にはボンゴレの紋章が彫り刻まれていた。いや、違わない。ためらいなくそれを開けると、真っ白な絹の布がまず姿を見せた。葵は固唾をのむ。蓋を開けた勢いとは打って変わって、泡をつまむように繊細な手つきで絹の布を広げた。
そこに大事そうに収められていたのは、思った通り、リング。個性的な装飾が施されたシルバーのリングだ。小さな紙が折りたたまれて一緒に入っていたが、達筆なイタリア語で読めそうにない。

「……誰もいないよねっ」

人目をはばかりながらリングを指に通すと、その時ふわりと炎が上がったような気がしたのだ。淡く乳白色の見たこともないその炎は、しかし葵が驚く間も無く一瞬で消えた。慌てて葵はリングを抜こうとするも、ジャストサイズであったのか、くっついたように動かない。

「これは……やばいかな……」

どうせこの先を行っても知らない場所に出るに違いない。葵は来たと思われる道を駆け足で戻り、いつもの階段を見つけて目指した先は9代目の仕事部屋。ノックもそこそこに、驚いた顔をして葵を迎え入れてくれた9代目は、これから出かけようとでもしていたのか上着を片手にしていた。9代目は葵に笑顔を向けてくれるものの、傍に仕える一人の守護者の表情は厳しいものだった。それに気づいた葵は萎縮しながら、おずおずと部屋に入る。

「そんなに慌ててどうしたんだい」

9代目は、葵が聞き取りやすいようにゆっくりとしたイタリア語で問いかける。
本当は、葵は、半年でイタリア語の日常会話は身につけていた。だが、母親の前では決してイタリア語を話さない。母に求められている読み書きができないのだから。

「指輪が抜けないんです」

しかし、葵のイタリア語は事細かに経緯を説明できるほど流暢ではない。9代目の前に拳を突き出し、びくりともしないリングを見せるのが精一杯だった。

「これは……!一体これをどこで見つけたんじゃ?!」

リングを見るなり、9代目はたるんだ瞼を持ち上げるように目を見開いた。9代目の守護者まで動揺している。まずったな。葵の背中に冷や汗が伝う。

「ボンゴレプリーモの肖像画があるところで……床材剥いじゃったんですケド……」
「まさか。……――光が当たるところに虹はある。案内しておくれ」

9代目は上着をソファに投げ、葵の手を引いて部屋をでた。9代目の守護者が慌てて呼び止めるが、9代目が振り返ることはなかった。

「ボス!六道骸の対応はどうするんです!」
「すぐに戻る!それまでに守護者全員を集めておけ!緊急事態じゃ!」

葵にとっては、時に普通のおじいちゃん。ドン・ボンゴレとはイタリアマフィアの中でもすごい人だと聞かされているが、毎朝ゆったりと庭でトマトを手入れしてる9代目の姿ばかりみてきた葵はその人を映画でみたようなマフィアのボスのように思うことはあまりなかった。しかし、葵はここにきて初めて9代目の険しい表情と足早に歩く姿を目の当たりにした。

「君はボンゴレの歴史を変えるかもしれない」
「ええ……?」

9代目の言葉の意味もわからないまま、自分はボンゴレから逃げられないのかもしれないと不安がよぎる。それはほぼ確信に近い直感、あるいは自覚だった。

「ここです、ここここ」

9代目の後をついて先ほどの場所に戻ってきた。葵が崩した壁と、大きな穴、開けたままの箱をそのまま壁に押し込んできた。指輪が外れないことを含め咎められないかと背を丸める葵に、9代目は変わらずに穏やかな声で問うた。

「どうしてここが崩れたのかな?」
「もたれかかったらつい……」
「1世紀以上の間で何千人がこの場所を通り、気付かなかったとは……」
「いっせいきいじょう?!」

未だに今が21世紀なのか20世紀なのか、ネコ型ロボットが発明されるのは何世紀なのかわからない葵は、それでも長い間誰も気付かなかったということに驚きを隠せない。確かに、触れなければなんの変哲もない壁だったが、そんなところに、一体誰がいつ、隠したものなのだろう。
9代目は箱の中に残る小さな紙を広げた。ポケットからルーペを取り出して、目を凝らしてそれを見る。

「これはやはりエルザ=イリデが残したメッセージ!」
「誰ですかそれ?」

葵は小首を傾げて9代目に問う。ふ、と少し呼吸を整えるように息を吐いてから、9代目は優しい瞳で葵を見た。いや、葵は気付いていた。9代目は、今、自分の向こうに誰かを見ている。

「彼女は……ボンゴレ史上唯一の"虹の守護者"であり、そのリングの持ち主だった女性じゃよ」

9代目は6人の守護者を率いている。葵が知っているところで、嵐、雨、晴、雷、雲、霧の天候に擬えているはずだった。虹は、居ない。

葵は9代目が開いた紙の中を覗き込むが、手書きの文字は印刷された文字以上に読みにくい。9代目はゆっくりとしたイタリア語で読み始めた。

――――

ボンゴレはイタリアマフィアの頂点に立った。最早、ファミリーをつなぐために虹は必要ない。マフィア・ボンゴレのファミリーをつなぐのは血の契りと掟。

ゆえに 私は虹のボンゴレリングを隠す。かつて存在したこの地位を、未来のボンゴレが求める時が来たならば、それはマフィア・ボンゴレに危機が訪れた時。
大空を彩る虹にふさわしい者が、虹のボンゴレリングを見つけられる。

その時私は継承を認めよう。

――――

9代目が丁寧に読み上げ、紙は再び折りたたまれた。

「……ボンゴレの守護者は本来7人だったという。だが、V世ファミリー以降は6人になった。虹の守護者とU世が虹のボンゴレリングをどこかへやってしまったと伝えられてきたんじゃよ」
「大発見?」
「大発見だ」

葵は9代目は頭を撫でられ、お咎めどころか褒められたことにほっと息を吐く。どうにも指輪が抜けないことは問題だが、マフィアのボスを怒らせなくてよかったと心底安堵した。

「葵ちゃん。わしはボンゴレボスとしてそのリングを君に託したいと思う」
「大空を彩る虹にふさわしい者……?」
「ああ、君のことだ。10代目候補から外れて、次期10代目の虹の守護者になってくれんか」
「10代目候補から外れられるんですか!やります!ママ許してくれますかね!」
「打って変わって乗り気だねえ。吉乃と門外顧問にはわしが言っておこう」

10代目候補から外れるどころか、今この瞬間にマフィアの世界に一歩踏み込んだことに葵が気付くのはまだ先のこと――。ぬか喜びする葵は、右手に輝くそのリングを光にかざした。

「"雷は人類にひらめきを与えた。雲を見れば天気が読める。嵐が新しい季節を運び、雨が乾きを慰め、朝の霧がその日の快晴を知らせ、晴天が作物を育む。その時虹は、何をしていた?"」
「どういう意味ですか?」
「エルザ=イリデが遺したという言葉じゃよ。わしを含め、歴代ボスはその言葉はボンゴレに虹は必要ないと言いたかったのだろうと解釈して虹の守護者を求めてこなかった」

葵は、古いリングの持ち主である遠い昔の人を想った。たしかに、うんざりするような雨も嵐も雷も、どんより雲も、先を見せない霧も、茹だるような晴天も、人間の生活には必要なものだ。虹を司どっていながらも、なぜ、虹は役立たずだとでも言うような言葉を残したのだろう。

「たしかに、虹ってなんのためにあるんだろう」

葵は考えたこともなかった。雨上がりにぽっかりと空に浮かぶ7色の輝きに、胸を躍らせたことはきっと誰にでもあったはずだ。決して触れることはできず、気付いた時には消えてしまう虹。人々に何をもたらしてくれているのか。

「その答えを、葵ちゃんなら見つけられる。いつ何時もファミリーの架け橋となる、約束された虹。それが君の使命だ」

この日、ボンゴレプリーモの肖像画の前で、葵は使命を受け取った。偶然なのか、これは運命の導きなのか。葵は視線を感じて、ボンゴレプリーモの肖像画と顔を合わせる。硬いすまし顔が、どことなく優しく見えて気付いた。長い間、虹のボンゴレリングは、そのあたたかなまなざしに見守られ続けてきたのだ。


top


第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -