白銀の光



ボンゴレプリーモが死んだ。

彼がイタリアを去って30年と少し。あれからボンゴレファミリーは争いを繰り返し、代替わりを重ねた。ボンゴレU世はファミリーを裏社会の頂点にまで押し上げ、V世はその繁栄の上で威厳を示した。大戦中のV世の早すぎる死に、ドン・ボンゴレとして忠誠を集めてまもないW世は憂いていた。これまでのボスは政治家共うまく結びついていたが、最近では政治家がマフィアを煙たがる。自分の代でボンゴレを終わらせるわけにはならなかった。
ある日、外が騒がしく、W世は窓から正門を窺い見た。若い門番がもめている。どうやら近くに住んでいるのであろう夫人が迷い込んだらしい。もちろん入れるわけにはいかないが、夫人はなかなか帰ろうとしない。あろうことか若く血の気の多い門番は夫人に拳銃をちらつかせたが、彼女は動じなかった。そこで騒ぎを聞きつけてやってきた幹部の男が、――門番の頭を殴った。

「てめぇそれでもボンゴレの男か!」

日頃声を荒げることのない男が、顔を真っ赤にしているのが見えた。幹部の男は夫人を敷地内に招き、門番を置き去りにした。すぐにW世のいる執務室にノックが響く。ドアの隙間から顔をのぞかせた男が、W世の表情を窺ってからドアを大きく開いた。

その時、W世はこれまでに感じたことのない心が焦げるような思いに苛まれる。自分の体に流れる血が、最も素直に、その再会を喜んでいるように感じた。

「お会いできて光栄だ、――イリデさん」

白髪混じりの栗毛、首のしわ。W世の記憶、写真と肖像画より随分歳をとったが、背筋を伸ばした姿でそこに立つ。一目見てW世は直感する。"夫人"であるかは定かでないが、彼女はマフィア・ボンゴレの"母"だった。エルザ=イリデ。自警団時代の初代ファミリーから、マフィアとして台頭するU世ファミリーを繋いだ虹の守護者であった人。

「お忙しいでしょうに。まさかドンに会えるとは思ってなかったわ。ええと、ボンゴレV世?」

自信がなさそうに、エルザは問う。W世は首を横に振る。彼女がボンゴレを立ち去った時はまだ、U世が力を伸ばしている最中であった。

「私はW世だ。叔父だった先代は大戦中に殺された」
「そう……。あなたはU世の息子なのねぇ」
「私はあなたのことを覚えている。父に連れられて一度、ここにきた時に見かけて、なんて綺麗な人がいるんだろうと」

W世は大真面目であった。父に手を引かれて来た時には、やがて自分がドン・ボンゴレになるとは思いもしなかったが、誰もが目を引かれるような女性を傍らに置いて構える父の姿には憧れを覚えていた。しかしその女性はW世の言葉に膝を叩いて笑うのだ。

「ふっ、今じゃシワだらけのおばあさんでがっかりした?あなたいまいくつ?驚いているのよ、彼の息子がもうこんなに大きくなってるなんて」
「今年で35になる。聞けば父がプリーモに反旗を翻した頃に生まれたらしい」
「……あれから35年も経つのね。彼はどうしているの?」
「身元を隠してシチリアで余生を。機会があれば会いに行ってやってほしい。いくつになってもえばっているが、歳をとって寂しがりやになっている」

エルザは頷いた。初代霧の守護者と共にT世ファミリーからU世ファミリーへと移り変わるボンゴレを支えてきたこの強かな女性を、U世は気に入っていた。彼女の知ったことではないだろうが、虹の守護者が居なくなった後のU世はすこし丸くなったのだ。

「あなたは引退した後どちらへ? ちっとも消息が掴めないと古い幹部がいっている」
「各地を転々としてたわ」
「結婚は?」
「してない。子供もいない。寂しい老後は故郷で過ごそうと思って帰ってきたのよ」

嘘だ、とW世はその直感を働かせた。どうやら、エルザも嘘を見破られたことに気付いている。飄々とした初老の女は、しかし焦る様子もない。

「ボンゴレプリーモと結ばれたという噂もあるが」
「笑っちゃうわねぇ。確かにそういう時期もあったけれど、プリーモの妻にはなれなかったわ。……それで今日はあなた方に伝えたいことがあって」

ボンゴレプリーモが死んだ。

初代雨の守護者、朝利雨月からそれを聞いたというエルザ=イリデは寂しそうに笑っていた。
W世は写真と肖像画でしか見たことのない偉大な男を想った。炎を拳に灯した最初の男。彼の圧倒的な強さには、U世も敵わなかった。若くしてU世に地位を譲った後には極東の日本へ渡ったという変わり者。そんな男でも、死ぬのだ。父には口が裂けても言えない永遠の憧れの相手のあっけない死に、W世は身体中の力が抜けていく。

2人の間に、プリーモの死を悼む沈黙が漂っていた。それに水を差したのは、控えめなドアのノックの音だった。

「ボス、上院議員との食事会の日取りですが……、……あなたは」
「あらまあ」

当代になってからドン・ボンゴレに忠誠を誓った若い者が、書類片手に顔を出す。その男は、書類から顔を上げると真っ先にエルザへと視線をやり、ひどく驚いた様子でたじろいだ。無理もない、W世の仕事場に女が入るのはこれまでになかったことだ。

「来客中だ、後にしろ」
「……失礼しました」

そうして男は静かにドアを閉める。いつもであれば有り余るほど笑顔が絶えない男が、訝しげな顔をしていたのを、W世は見逃さなかった。そしてエルザも、眉間に深くシワを刻んで目を細めている。

「……いつまでも若いっていいわね。この歳になると争うことも力を求めようとすることも、誰かを憎むこともできないわ」

男が出て行ったドアをしばらく見つめ、エルザは覇気のない声で言った。しかし、その表情は、カタギの女というには些か鋭いものである。彼女は確かに、U世を支え、ボンゴレファミリーがマフィアとなるその時を見つめてきた守護者の1人だった。

「ずっとあなたに尋ねたいことがあった。あなたは、虹のボンゴレリングをどこに隠したんだ」

後世へその地位は譲られることなく、こんにちのボンゴレの核は唯一のボスと6人の守護者だ。『虹の守護者』は、居ない。それもこれも、エルザは引退するときにその地位の証である虹のボンゴレリングをどこかへとやってしまったためだ。持ち出したのか、隠したのか、はたまた棄てたのか。W世の父であるU世はそれを知っている様子だったが、今のボンゴレファミリーに虹のリングのありかを知る者はいない。

「……これからもボンゴレが続いていくのなら、命題を与えましょうか。――光の当たるところに虹はある、そこは私がいたところ」

厳しい表情から一転。茶目っ気のある表情で、エルザは言った。大空が愛したというその鮮やかな輝きは、羨望の視線を受けながらも手の届かないところにある虹。そのものだった。

「雷は人類にひらめきを与えた。雲を見れば天気が読める。嵐が新しい季節を運び、雨が乾きを慰め、朝の霧がその日の快晴を知らせ、晴天が作物を育む。その時虹は、何をしていた?」

その言葉を残した後、彼女がボンゴレを訪ねることはなかったという。


*=*=*=*


ジョットが死んだ。

豊作の喜びに巻き上げられて、町一帯が黄金色の輝きを失う。今年の米はいい出来だ。家から見える田んぼの、最後の一株が丁寧に刈り取られる様を見ていた。彼は私の肩に凭れて、静かに最後の息を吸う。そして風に乗っていく刈りたての稲の匂いと共に、彼は去っていった。新米も食わないまま。

私が30年近くも日本で暮らせたのは、愛する人がそこにいたからだけではない。あの国にも四季があった。イタリアにいた頃は陽気な春が好きだったけれど、日本の桜も美しかったけれど、日本で暮らし始めると秋が一番好きになった。彼が一足先に暮らしていた家のそばの水田で、近所の住民が一面に米を作る。初めてあの町に来た時はまだ青かった稲穂も、私が日本の暮らしに慣れていくにつれて黄金色になった。稲穂が風で波打って、黄金色の海になる。田んぼと別れて頭をもたげているわ。刈りたての稲をみて私は言った。挨拶とお礼さ、頭を下げているんだ。そう言って笑う、彼と迎えた日本の秋を今でも愛している。

しかし秋は短い。裸になった田んぼはあっという間に雪化粧を施された。婚期が遅れた娘の花嫁姿を見届け、例年通りの大掃除は前倒しに。私は、年が開ける前に冬の日本から冬のイタリアへ帰った。
兄の葬儀以来、9年ぶりに訪れた祖国の主要都市は急速に発展していた。幼い頃は考えつかなかった最先端の文明機器が暮らしのそばにある。イタリアも戦勝国だが、日本と違うのは本土も戦場になったことだ。かつて私が愛したボンゴレも憔悴していた。懐かしい顔触れとあの屋敷に恋い焦がれる思いは感じても、彼の面影を感じないマフィアボンゴレには今生の別れを告げた。

変わらないものはない。変わってしまうのなら、"良く"変わりたい。私が田舎町で子供の成長を見守ってゆるやかに過ごした月日で、世界は目まぐるしく変化した。私たちが生まれた町は、どうだろう?

「G……!」

目立つ赤毛はすっかり白に染まって、短くなっていた。それでも、彼が彼たる証――刺青は変わらない。歳をとって、私は涙もろくなってしまったのだ。生まれた町の空気を吸って肺が喜び、町の入り口で待っていてくれたその人と再会の挨拶を交わすよりも前に泣いていた。
慰められながら町をゆく。小さな頃裸足でだって駆け回った石の道も、雪化粧。
「おいおいG!孫が生まれたばかりのいい年して、新妻か?!」「ばかやろう!エルザ様のお帰りだ!」「……エルザ!あの乱暴者エルザか!」「その口の利き方、あなたふとっちょのフリオね」「残念だったな、俺はふとっちょになったガストーネさ。フリオは病気でほそっちょだ」

文明の波は、この町の一歩手前で引いていたらしい。生まれの町は変わっていなかっら。道も建物も、人も、ここから見える夕日も、私が生まれた森も。あと数十年このままだと、歴史的価値がついても不思議ではない。一方、変わってしまったこともある。母の友人、兄のベルナルド、義父のアダルベルトは、土の中へ。生まれの家は、兄が死んだ後に取り壊した。母の庭にあった低木と花壇は、Gが営む孤児院の庭に移されて今年も花を咲かせたらしい。
かつてここにはボンゴレの拠点があった。始まりの場所。ボンゴレを始めた男たちがそう呼んだ場所。あの頃の殺伐とした空気は消え去り、古くなった屋敷には子供達の笑い声が響いていた。赤ん坊の泣き声も聞こえる。

ジョットが死んだ。

いくつもの名前を持つ彼は、いくつもの形で偲ばれた。彼の死を様々に告げた。その度に私は心臓が張り裂けそうになるのだ。彼が亡くなってすぐに私が出した手紙を受け取ったはずのGは、苦い顔をして頷く。

「相棒の最期ぐらい、駆けつけてやりたかったんだがな……。娘の出産に立ち会わなければならんかった。母親はガキん頃に出ていくし夫に逃げられちまって可哀想な奴だよ」

Gは、変わらずに古い銘柄を好む。タバコに火をつけて、とっぷりと息を吐いた。
孤児院を切り盛りしながら、男手一つで娘を育てた。昔から苦労の絶えない立ち回りをしていた彼は、休まず働いて、年よりかは老けて見える。

「無事に生まれたのなら何よりよ、きっとジョットも喜んでいるわ」
「てめえ、子供は日本に置いてきたのか」
「もういい年なんだから好きにさせたわ」
「つい昨日、"ヨシムネ・サワダ"から手紙が届いた。帰化して改名したことをゴッドファーザーに謝りたいと。気にするこたねえ、いずれそうするだろうと思ってたんだ」

幼馴染は、タバコの煙で時々咳き込みながら語る。私も、あなたも、年老いて饒舌になり、体も衰えた。Gは懐かしそうに目を細めている。彼が想っているのはきっと、私の息子の洗礼式の日のことだ。何年前だったか、私はそれすらも曖昧に、様々な思い出と並べていた。あの日、森の小さな教会で、ナックルさんの腕に抱かれた私と彼の可愛い子。淡く白い光が、記憶の大部分を覆ってしまっている。

「歳をとりたくないわ……どんなに大切だった思い出もいつかは忘れていくのよ。それでもジョットのまなざしは忘れられない。迷える時、いつでも私の光だった」

目を閉じる。私のまぶたの裏で、彼の微笑みが蘇る。あの瞳も、乾いた頬も、傷が消えなかった背中も、私たちを愛してくれた心も、すくいきれない灰になってしまった。それでも、いいの。
大切な人を喪うと、心に穴が開くと言うけれど、私の心には彼が住み始めた。若い姿で、父の顔をして、しわだらけの笑顔で、内側から彼が私を見つめている。

「あいつは最期に何と?」
「米が豊作でよかったと」
「は、あいつらしい」
「ジョットを連れてきたの」
「火葬したのか」

ここまでの帰路を共にした、小瓶の中の白く小さな小さなジョットは何も言わずに数年ぶりの幼馴染との再会を果たした。火葬にはGも一瞬渋い顔をしたが、それ以上に、どんな形でも今一度たった1人の相棒と再会できたことを喜んでくれたようだった。
彼は炎の男。日本に渡ってからは決してあの炎を灯すことは無かったが、ずっと、最期は炎と共になることを望んでいたのだろう。

「最後までボンゴレのことは口にしなかった。教会もない町で、彼はとっくにただの日本人だったわ」

沢田家康となった彼を、いつまでもそう呼べなかったのは、私の最後の抵抗だった。子供の前、人前では決して彼を呼ぶことはなく、限られた2人の時間でだけ、私は願うようにジョットの名を繰り返した。どうかあなたの身体の中をめぐる血まで、イタリアを忘れてしまわないように。

「そう。ここに来る前にボンゴレを訪ねたの、……デイモンが居た」

屋敷で会った若い男を思い出す。顔を合わせるのは初めてに違いないのに、あの男は私に気付き、邪険な瞳を向けた。D・スペード。プリーモに反旗を翻し、私と共にU世を支え、ボンゴレがマフィア界の頂点に立つ寸前で自ら命を絶った男。その呆気なさすぎる死を、素直に受け入れることができなかった私は長いこと疑念を抱いていた。彼の魂はこの世を漂い、"こうなる"気がしていたのだ。しかし、私の話をGは笑った。

「ボケるには早すぎるぞ、エルザ」
「いいえ。姿形は違うけれど、あれはD・スペードだった」
「似たような奴はいる」
「彼そのものよ」
「……まぁいいさ、老いぼれには関係ないこった。この屋敷ももうガタが来てやがる。最初の頃はあいつを支持する奴らが懐かしがって来てたが、ここ20年ぐらいは誰も来なくなった。古い仲間はほとんど死んだか、消されたろうな」
「許せる?」
「諦めた!」

Gはお手上げの格好をし、たっぷりの煙を吐き出した。いつまでも、若くはいられない。私たちは時代の流れを受け入れて、時の権力者が変わりゆくことを恐れない。恐れているとしたら、デイモン、きっとあなたが一番の憶病者。

「だが俺はあと20年生きるぜ、暇つぶしに付き合え」
「なら、タバコはやめ時よ」

ジョットは死んだ。彼が生き長らえるには世知辛い時代が来て影を落としても、彼は、日本の稲穂に、イタリアの夕日に、ボンゴレのリングに、宿って消えない光になった。
そうでしょう。そう思って生きていくわ。


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