金色の環



サウダ先生が死んだ。


彼が日本にやってきて30年と少し。文明開化で華やいでいた頃から、この国の情勢も大きく揺れ動いた。大きな戦争が世界を飲み込み、私達の目に見えないところで死にゆく若者と、違う肌の色をした兵隊を想う日々。傷一つつくことなく、米の実りは守られ、しかし貧しさをひしひしと感じながら4年の月日を乗り越えた。あの日、国の勝利に喜ぶ私たちを、お祭り騒ぎを好むはずの沢田夫妻は遠巻きに見ていた。彼らの祖国も戦勝国となったはずなのに。
「喜ぶな。傷付く者がいる限り、争いは繰り返される」
サウダ先生の言葉を重く受け止めた人がどれだけいたか。世界中を巻き込む争いは、諸戦争を終わらせる最終決戦だと人々は口にしていた。しかしサウダ先生はさらなる悲劇を直感していたのだろう。鉄の塊が空を飛ぶようになり、人類の夢を叶えたと同時に、海の向こうでは人の手の届かない空から悠々と人を殺したらしい。サウダ先生は自分が軍隊の大将なら、こんな田舎町は狙わないといって私たちを安心させたが、彼の表情は固いままだった。
そして、文明の発達で世界各地の悲鳴がこの田舎町にすら鮮明に届くようになり、サウダ先生は揺れる祖国を想い、嘆き、弱っていった。

サウダ先生が死んだ。

私たちが『沢田さん』と呼ぶサウダ先生の奥さんがサウダ先生の死を告げにきたのは、町一帯の稲刈りが終わった次の日だった。今年の豊作を喜んで、安らかに眠ったという。沢田さんは黒いドレスを身に纏い、町の一軒一軒を回った。彼女が喪服であぜ道を歩む。落ち穂を啄むすずめが飛び立つ。まるで絵画のような光景を、町の人たちは離れたところから見ていた。

サウダ先生の遺言の通りに、彼は焼かれた。キリストを信仰する沢田さんは遺言が読み上げられた時には苦い顔をしていたが、最後はサウダ先生の意思を尊重すると頷いた。
サウダ先生を納めた樽が炎に包まれていく。燻った匂いが私たちの涙を誘う。顔を覆う黒いベールの下で沢田さんは嗚咽を漏らしながら空を仰いだ。煙がサウダ先生を大空へ還す。

「あなたと別れる苦しみはこれで最後ね、ジョット」

鼻をすすり、沢田さんは最後に空へと微笑んだ。深く刻まれた目尻のしわに涙がにじんでいる。サウダ先生は丁寧に拾われ、骨壷の中に閉ざされて愛する人の腕に抱きしめられていた。悲しみが町を包む。サウダ先生は誰からも愛され、私たちを愛してくれていた。
葬儀から間も無くして、若き日のサウダ先生と瓜二つの息子とこの町で生まれた娘は日本人として帰化し、町の人間と結ばれた。それを見届けた沢田さんは、小瓶に納めたサウダ先生と一緒に祖国イタリアへ帰っていった。彼女は最後までサウダ先生を沢田家康と呼ぶことはなく、最後まで日本人にはならなかった。エルザさん、陽気な国の人。祖国へ帰った彼女のその後を知る人はいない。


畑を耕せ、米と芋を蓄えろ、人々で束となれ、誰もが苦しい時がくるだろうが、困っている者を見捨てることだけはするな。飢えはやがて忘れることができても、悔いは一生お前たちの心に残るだろう。
ずいぶん前にサウダ先生は死んだ。それでもサウダ先生の言葉は私たちの心の中に息衝いている。やがて争いは繰り返され、悲しみと共に1945年の秋を迎えた。それでも田畑は、私たちの願いに応えて実りをもたらす。稲穂は燃えるような夕日を浴びて黄金に輝く。彼が愛したこの景色に、永遠の平和を願ってやまない。


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