ヒロイン

 私とかっちゃんの関係が大きく変わったのは、私のせいなのだ。
 小学校に上がってから、かっちゃんはよくあるタイプのいじめっ子になった。少なくとも私からはそう見えた。かっちゃんが私を呼び止めるのは、「おいブス」、その一言だった。仲が良かったころからそう呼ばれてた。でも、違うのは、あれから変わってしまったのは、かっちゃんはそう言って笑いながら、他の男の子に同意を求めることだった。私は余計にかっちゃんがこわくなった。胸倉をつかまれたり、強くゆさぶられたり、物を隠されたり。かっちゃんは、私の何が気に食わないんだろう。考えたところで、やっぱり、私が悪いのだ。ヒーローでありたいかっちゃんを、悪者扱いした私が悪いのだ。確かに彼は、私を助けようとしてくれたのだから。


 いたたまれなくなって、中学は女子校に進学した。かっちゃんは市立中学に行った。
 小学校の6年間で、かっちゃんにいじめられ続けてきた。理不尽という言葉を知った日には、家に帰って泣いた。一体いつまで根に持ってるんだ、かっちゃんは。私のことも、でくのことまでも、ひどく気に入らないらしい。石ころ石ころって、かっちゃんは私とでくをそう呼ぶこともあった。でくはできそこないのデク、無個性の石ころ。わたしは涙の方がよっぽど価値があって、けれど泣かなきゃ意味のない石ころ。小学校3年生になるころ、すでに、私はかっちゃんに突き飛ばされても泣かなくなった。

 中学では、それはもう穏やかであった。男勝りで、ヒーロー志望の子こそいても、むやみやたらにボンボンと乱暴する女の子はいなかった。私の世界はおそろしく静かになった。ちょうどそのころ、私のうちは引っ越しをした。ご近所だったかっちゃんやでくとも、顔を合わせることがなくなった。でくとは、中学入学の時にそれぞれ別の制服を着て、肩を並べて写真を撮ったきりになった。
 引っ越した先は、地元を離れ、かの雄英高校のすぐそばだった。土地代も安くはない。母の趣味で建てた家も二人暮らしにはすこし大きすぎる。庭もある。うちは、私の個性が発覚した11年前から、徐々に徐々に裕福になりつつあった。私が泣いて落とした宝石を、母は丁寧に拾い上げ、必要な時にお金にして、暮らしてきた。けれど派手な暮らしぶりはしない。母と私の約束だった。宝石を狙って、私は何度か誘拐されかけてきたからだ。

 家が近かったから、進学先は国立の雄英にすればいいと母にも担任にも勧められた。この時代、日本最高峰のヒーロー科を抱える雄英高校は非常に人気である。普通科も、ヒーロー科の滑り止めとしてそれなりの偏差値を誇っていた。私はというと、ヒーローを目指せる個性でもない。雄英の普通科で、普通の高校生活を送ることにした。普通じゃないといえば、雄英の教師陣は全てプロヒーローだ。「あんた、先生と親の言いなり?」友だちは皮肉げに、雄英を志望した私にそういったけど、本当は、元々雄英に憧れているんだ。プロヒーローとすぐそばで会えるなんて、一生の思い出ができる!


 中学三年生になって間もない春のこと。その日は職員室がざわついていた。聞いた話によれば静岡で男子生徒が、昨日、ヴィランの事件に巻き込まれたらしい。地元だ、こわいな。私は先生から新聞を受け取り、その記事を見た。「かっちゃん!?」職員室で声をあげた私に、先生たちが群がってくる。「知り合いなのか?」食いついてきた社会科の先生は、そういえば昨日はお休みしてて、現場に居合わせていたらしい。私と彼とは小学校が一緒だったのだと言えば、先生はそれから延々と「ヘドロのヴィランに耐え忍んだ、爆破の個性を持った少年」について語りだした。プロヒーローからスカウトの声もかけられていたらしい。結局その事件を解決したのはオールマイトであるというところを強調する。わあ、オールマイト。ナンバーワンヒーロー! 私はあいづちがてら、それだけに反応して、再び新聞記事に目を落とした。オールマイトを大きく取り上げる一方、確かに爆豪勝己という一人のヒーローの卵に、誰もが注目していた。

 それから間もなくして、私は受験のために雄英への進学実績が評判の塾へ入塾する。最も人気の雄英高校入試対策コースの人数からして、雄英の倍率の高さを感じた。私は、安易だったのだ。塾初日、割り当てられた教室に入ると、そこにはかっちゃんが居た。むしろ、まだかっちゃんしか来ていなかった。ああ、考えてもいなかったけど、考えてみれば、当然なのだ。かっちゃんはヒーローになりたいかっちゃんなのだ。確実に、ヒーローになるのだ。ナンバーワンヒーローになるのだ。昔からそういい続けてた。そんなかっちゃんが雄英を受けないわけがない。私は何のために別々の中学を選んだのだろう。この時の私はもう、雄英を受けるというだけで先生たちからの期待を背負っていた私は、引き下がることもできなかった。一番前の席に座っていたかっちゃんが振り向く。ゾッと、体が震えあがる。ぎゅっと寄せられるその眉間とか、いびつに吊り上がるその口角とか、強く握りしめられるその拳とか、ああ全部、私に向いている。

 かっちゃんは塾の中で私に声をかけることはなかった。椅子をけ飛ばしてきたり、消しゴムをぶつけられたり、そんな幼稚なことはしなくなった。一切合切他人のフリ。ヘドロのバクゴーだなんだの、すっかり有名人な彼は他の人達にコソコソと噂されながらも、黙々と課題をしていた。その背中を、時々視界の端に入れながら、私も課題に集中するように心掛けた。でも本当はずっと焦っていた。怯えていた。いつ、いつ来るのだろう。「おいブス」私の顔の中央を指さして、嘲笑って白い歯が剥くの。
 ある日、怯えていたのを、気付かれたんだろう。塾を出た帰り路、襟を掴まれて引き留められた。「おい」声が低くなってる。男の子の声になっていた。「な、なあに」声が震えたのが、余計気に食わなかったんだろう。ぐるっと回されて、正面からかっちゃんと向き合った。ずいぶんと背が伸びていた。小学生の時よりずっと高いところから見下ろされた。とっさに俯いて顔を隠す。

「人を見るなりビクビクしやがって、ブスに磨きがかかってんじゃねえか」

 君が、ブスブスブス言うものだから、私はブスなんだって思ったよ。努力しないワケじゃなかった。とにかく笑うようにした。口をへの字に曲げないようにした。メイクだって覚えた。あなた随分濃い色のリップ使ってるのね。って、先生によく言われる。もうダメとは言われない。濃い色のリップが、顔の印象をごまかしてくれるような気がしたから手放せなくなった。ブスと言われるのがトラウマなんです。かたくなに言い続けたら許してもらえた。でも、君にとってはダメなのか。ばかっちゃん。かっちゃんのばか。ブスなんて言われて、私じゃなかったらとっくにボロボロだ。私は何も答えずに、かっちゃんを振りきった。次の日から、かっちゃんはお構いなしに塾でも声をかけてくるようになった。忙しくてリップを塗りなおしている暇もなかった日にはきまってブスと言われたし、なかなか英文を読解できないとバカと言われた。受験勉強で動かなくなったから体重が増えてしまったとおもえばブタと言われた。悔しいのは、罵倒の一つ一つが地味に的を射ているからだ。仲がいいわけでも、同じ中学なわけでもないというのに、なんでこんなこと言われ続けなきゃいけないのか。私が彼に返事することは一度もなかった。怖くても、君の前では泣かないよ。


 秋が深まった頃、久し振りにでくを見かけた。すっかり落ち葉色に染まった中、反対側の歩道を走りこんでいた。そういえば、彼も小さい頃はヒーローになりたいと言っていた。「すごいやかっちゃん!」そう言っていつも、かっちゃんの後ろをついて行っていた。実際には、でくはかなり珍しい"無個性"である。ヒーローは個性を生かして、個性を濫用するヴィランと戦う。つまり無個性は、ヒーローになれっこない。そんな風潮が君の夢を潰したね。「僕はヒーローになれないんだ」涙ぐんだその声も、「かっちゃんはすごいんだ」羨望の声も、頭で反響する。

 受験は、結果からいえば、私は無事に雄英高校普通科に受かっていた。一安心、と同時にたっぷりの不安に襲われる。ああどうか、ああどうか普通科の中でもヒーロー科から遠いクラスでありますように! やすやすと倍率が300を超えた雄英ヒーロー科とはいえ、かっちゃんが落ちるなんてまさかそんなことはあるわけないと、私は確信していた。

 桜が満開の春がやってくる。案の定だった。分かっていた。かっちゃんが居た。「んでてめーがここにいる」都合よく人のいないところで鉢合わせたとき、新品のネクタイを掴まれてドスの効いた声で言われた。なんて今更! 同じ塾の、同じコースに通っていたのだから分かっていた筈だ。だけどまさか、私なんかが受かるとは思ってもいなかったのだろうか。思い出した、かっちゃんにとって私は石ころだ。大きな舌打ちを目の前でかまされる。私は見上げるようにして彼を睨んだ。


「その目が気に食わねーんだよ!! クソデクも、てめーも!!」


 目の前で火花が散ったのは、錯覚だ。こんなところでかっちゃんは個性を爆発させたりしない。だけど確かにチカチカと、私の視界で何かがはじけた。万華鏡を揺さぶったみたいに、それは色鮮やかな閃光がかっちゃんの表情をわからなくさせる。泣いてない。涙の屑じゃない。血が頭に上ってきて、血管がはちきれてしまいそうだ。


「やめて! もういなくなって!」


 それは、1年ぶりの返事だった。そして、12年分の反抗だった。私はかっちゃんを突き放して叫んだ。かっちゃんの目が大きく見開かれて、今度こそかっちゃんの手からは火花が散る。けど、それが私に向けられることはなく、冷え切った沈黙が生まれた。


「……ずっと耐えてきた、いつまでかっちゃんの悪口に耐えてなきゃいけないの」


「……あ"ぁ?! だったら泣けや!! ヒーローに救け求めてみろよ!!」


 もうこりごりだ。散々だ。だから。私は、激昂するかっちゃんに向かって一発のグーパンチ。へなちょこパンチだって、昔君が笑ったそれと同じ。私の反抗にかっちゃんが呆けたその隙に、踵を返して全力で走った。

――明日には殺されるかもしれない!

 怖くなるはずが、足取りが軽かった。いつだったかと同じ、かっちゃんはやっぱり追いかけてこなかった。怒鳴り声も聞こえなかった。泣いてるって、いうのか。そんな訳はない。ねえでく。かっちゃんが泣いていたというのなら、そうだ、悪いのは私だ。そんなのとっくの昔に認めてる。私は、ヒーローになりたい君を否定した。君は、私のヒーロじゃない。君はもう私の涙を、拾ってくれはしないんだろう。そして私はヒーローになりたい君を妨げる、しいて言うならアンチヒロイン。そんなところだ。


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