1カラットの涙

 すっかり空は夕焼け色で、わたしはその日、お母さんとの約束を破ってしまったことで心を痛めていた。『保育園から帰ってきてからは、おうちの外にでちゃいけません。』破ってしまった約束を何度も何度もとなえた。もう二度と破らないようにしよう。ちゃんとおうちにいよう。雑木林に迷い込んだ。帰り道を見失って、あたりがどんどん暗くなっていくにつれ、不安が膨れ上がる。おうちの外にでちゃいけないのは、帰れなくなるからだ。

 おうちを出て、いつもの公園にたどりついたところから、わたしはもう迷子だった。保育園ではいつも一緒のかっちゃんやでくが、保育園から帰ってきたらその公園で遊んでいるということを知っていた。ずっとわたしも一緒に遊びたかった。なのに、その日に限って公園には誰もいなかった。誰の物かもわからないサッカーボールだけが、置き去りだった。まるで地球上から全人類が居なくなってしまったかのようだ。悲しくなって、ぐぐっと涙が込み上げてきた。その時、真っ黒なランドセルを背負った年上の男の子が、後ろから私の肩を掴んだ。うちの近くに住んでいて、何か月か前にもわたしは同じ男の子にぶたれた。彼は私を泣かせたいのだ。泣かせて、取りあげたいのだ。

 宝石、わたしの涙。





『ヒロ!』




 パッと、明かりが見えたんだ。ボンッ、とばくはつの音が聞こえたんだ。そしたらわたしを呼ぶ声がした。泣きべそをかいたまま顔をあげると、土まみれ、頭に葉っぱを乗せたかっちゃん。


『ほんとおまえは、みっけやすいな!』


 かっちゃんの手におおきなダイヤモンドが握られていた。かっちゃんの後ろをついてきたでくは、2つの空っぽな虫かごをぶら下げていた。
 おまえ、ヘンゼルとグレーテルって知ってるか。おまえが落としていったものはパン屑じゃないから、鳥に食べられたりしねーんだ、どこにいるかわかるんだぜ。――かっちゃんが前、わたしに言った。これから拾って帰るんだよ、虫かごいっぱいにしてぜんぶヒロちゃんに返すね。と、でくが言った。


『迷ったときは落とした宝石をおってけば帰れるっつったろ。いつまでもメソメソ泣くんじゃねーよブス、おばさん心配してるぜ』


 ケラケラと笑ってそういうかっちゃん。どうして、君は泣かないんだろう。かっちゃんは傷だらけだった。前も、だ。前もわたしがあの男の子にいじめられたときは、かっちゃんが私から男の子をひっぺがしてくれた。馬乗りになって、年上の男の子ですら泣かせるまで、気が済むまで、ボンボンと、その個性でたおしてしまう。今日だってそうだった。私が男の子に掴みかかられているところを、たまたま通りかかったかっちゃんが助けてくれた。サッカーボールを忘れて、戻ってきたらしい。なにもかもかっちゃんのおかげだった。でもだんだん、怖くなってきたのだ。泣きもしない、最強のかっちゃんのほうが、わたしは怖くなってしまったのだ。だから、それで、逃げてしまって、迷子になってしまった。


『かっちゃん、わたし、泣いてない』


 どうしてだろう。ありがとうと、言えなかった。わたしが口ごたえした途端、かっちゃんの顔から笑顔が消えた。気に食わないことがある時の顔をして、私の腕を強く引っ張ってずんずんと歩いてく。じゃり道におしりをついたまま、わたしは引っ張られる。いたい、いたいよ、かっちゃん。そう訴えるとかっちゃんは歩みを止めて、振り返る。赤鬼のような顔して、わたしに正面から頭突きを食らわせた。でくがかっちゃんを止めようとするけれど、『デクはひっこんでろ!』の一言で、彼は縮こまってしまった。泣き虫のでくの涙は透明だ。音を立てずに流れる涙は、なぐさめるようにやさしく彼の頬をつたうものだった。わたしの涙は、つめたい宝石だ。いたい、いたいと言葉にする。それに合わせて瞳から宝石が落ちていく。ダイヤモンド、ダイヤモンド、今日の涙はダイヤモンドばかりだ。


『ほらなぁヒロ!! いてーんだろ!! おまえ、泣いてんだろ!!』


 かっちゃんは、またダイヤモンドを拾い上げた。私に突き出して、手に握らせた。そうだ、わたしの心は泣いていた。それでも私は首を横に振った。泣いてない、泣けないんだ、泣けてないんだ、わたし。これが涙だなんて、かたくなに認めないでいたい。かっちゃんみたいにたたかえない、ヒーローになれない、これが私の個性だなんて、認めたくない。


『泣いてないって、言ってるの!』


 私は手に握ったダイヤモンドをかっちゃんに投げつけて、彼を拒絶した。ごちんと、彼の頭にぶつかって地面に転げ落ちた。ごめんなさいすら言えなかった。怖くなって逃げだした。かっちゃんにならすぐ追いつかれて、もっと殴られるんじゃないか。そう思ったけど、足の遅いわたしですら振り切れた。そもそも、かっちゃんはわたしを追いかけたりしなかった。あとででくから聞いた話では、かっちゃんは黙って泣いていたらしい。わたしはそんなの嘘だと言った。でくはひどく悲しい顔をした。最強のかっちゃんでさえ泣くことを、理解してあげられないわたしを不思議そうに大きな目で見つめていた。



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