真昼とパニック
お弁当を忘れ、食堂を利用せざるを得なくなった。コインケースをポケットに入れ、大混雑を覚悟して向かった。いい匂いと賑わう生徒で溢れかえるそこには、クックヒーローのランチラッシュが居た。豊富なメニューー、学生に嬉しいリーズナブルさ、そして味の保証はいうまでもなし。オムライス、サラダセット。買えたのはいいけど、座る場所がない。ちらほらと空席はあっても、できあがったグループとグループの間だったり、奇数人数のグループの中ではみ出ている人の向かいだったりする。そういうのは座りにくい。例えば牛丼屋みたいな、気軽に座れるカウンター席が理想的だった。そうしている間にも湯気を立ち上げるオムライス。できることなら温かいうちに食べたい。
「なあ、冷めちまうぜ、ここ座れよ」
「わ、わたし?」
「そ。ほらほら」
とんとんと、腕を突かれた。リーゼントともいえない、前髪をワックスで立ち上げた赤い髪の男子生徒が声をかけてくれたのだ。自分のとなりの空席を指している。断りにくい雰囲気と、空腹が、素直に私をその席に座らせた。「ありがとう、ございます」となりの男子生徒にお礼をいう。「タメだから気にすんなって」と、ハツラツとした笑顔で答えたのは、その向かいに座る金髪の男子生徒だった。
「どこかで会った?」
「君、廊下でよく見かけたから」
「1年C組の諸石ヒロ。ええと、二人はヒーロー科?」
ヒーロー科なんじゃないかな。"そういう雰囲気"は、なんとなくわかるようになってきた。入学して間もないけれど、普通科とヒーロー科の雰囲気は大き違う。カリキュラムの違いと、ヒーロー科を落ちてきた人たちがつくる雰囲気だ。厳しい倍率をくぐり抜けてここにいる、華のヒーロー科の人たちはわかりやすい。
「ああ。1年A組の切島な、よろしく! こっちは上鳴。で、あともう一人君の向かいに来るんだけど……おっ、やっと買えたっぽいな」
でくと同じクラスの人達だ。自己紹介はしたけれど、ヒーロー科の人たちと相席するなんてこれっきりなんだろう。愛想のない相槌で答えた。口のなかにはふわとろオムライス。自分が作るのとじゃ全然違う! ずっと食堂は避けてたけど、たまには悪くないと思った。その時、がたっと音を立てて目の前の席にカレーライスととんかつが乗ったプレートが置かれる。男子の食欲はとんでもない。ちんまりとした自分のオムライスと見比べて驚いた。「バクゴー、とんかつ一切れくれよ」「やらねーよ」私は顔をあげる。目の前のかっちゃんと目が合う。オムライスをすくいかけたスプーンが、手から滑り落ちる。
「ッチ……他で食う」
「ほかに席もうねーって! どーしたんだよ」
大きな舌打ち。プレートをもって席を移ろうとするかっちゃんを、切島くんが引き留めた。誘われて席に座れたのは幸運のような、しかしかっちゃんの友だちだったとは不運のような。満足に噛んでいないまま、口の中にあったオムライスを飲み込んでしまった。水、水。焦ってコップに手を伸ばそうとする私の前で、かっちゃんの拳が机を強く叩いた。コップの中の水が波打って、もう顔を上げられない私はその揺らぎを見つめた。
「おい爆豪!」
「誰が俺の目の前にコイツ座らせていいっつった!」
「コイツって……ヒロちゃん?」
切島くんも上鳴くんも不思議そうに、かっちゃんと私を交互にみた。私はかっちゃんの顔を見れない。目があったら殺されるに違いない。ブスが、うすのろが、オムライスなんか食ってんじゃねーよとまで言われるかもしれない。先に野菜を食えとどやされるかもしれない。
「や、いいよ私が、席移る……」
「あーあー、そうしろそうしろ。とっとと失せろ」
「なんだなんだ、知り合いかお二人さん」
「……かっちゃ」「って呼ぶなブス!」「バクゴーくんは、小学校の同級生で……」
私はかっちゃんから目を逸らしたまま、切島くんと上鳴くんに答えた。不思議なのは、この2人がちっともかっちゃんに萎縮していないことだ。それどころか、どこか余裕の表情で。
「うーわ爆豪当たりキツー。全然ブスじゃないじゃん、むしろクールかつ可愛い系?」
「お化粧でごまかしてるから……」
「こんど飯いかね?」
「や、それは急だなあ……」
上鳴くんが身を乗り出してニコニコと笑顔を私に向ける。戸惑った。お世辞でも、可愛いだとか言われるのはそうそう無いことだ。かっちゃんの舌打ちがまた聞こえた。
席を移るべきだ。とにかく焦って食べかけのオムライスが乗ったプレートを持つ私を、また、とんとん、と切島くんがつっついた。
「ほらもう昼休みも時間ねーしさ、今日の所は俺に免じて二人ともこの席!このまま!いいな?」
「次はねーぞ」
「わーかったって。ごめんなヒロちゃん。うちの爆豪が」
「誰がいつてめーんちのものになった!!」
3人は同じ中学なのだろうか。でも、でくは折寺中からは2人しか雄英に受からなかったという。だとしたら、入学して間もないのにかっちゃんと同じ目線で会話をする2人は、すごい。ヒーロー科って、すごい。救われた気持ちで私は再び席についた。
目の前のかっちゃんもおとなしくカレーをつっつき始める。「甘え」とぼやく、相変わらず激辛派らしい。変わらないんだね、なんて口が裂けても言えやしない。「てめーに俺の何が分かんだよ!?」とブチ切れ確実である。
今後なるべく食堂は回避しよう。お弁当を忘れたら購買に行こう。肝に銘じ、オムライスを口に運ぶ。すぐそばの校内放送用のスピーカーがうなりを上げたのはその時だった。
「なんだ!?」
「警報!?」
やばいやばいやばいやばいやばい。避難訓練だなんて聞いてない。いや、そうじゃない。アナウンスが入る。"セキュリティ3"が突破されたことの重大さを、私たち1年生はまだしらない。ただ、誰もが慌てて限られた出入り口へと向かうパニックな状況が、これが茶番だと分かって行われる避難訓練とは違うことを意味していた。警報が頭の中でこだまする。切島くんと上鳴くんと、かっちゃんと、同じタイミングで席を立った筈が、彼らはあっというまに人に流されていってしまった。どんくさい私は出遅れたことに気付く。
「あっ」
慌てて駆けたら、床にある配線を隠すためのでっぱりに足を引っかけた。転んでしまう! とっさに身構えたその時、肩が抜けそうな力で腕を強く引かれた。
「かっ……爆……かっちゃん!」
「ドジ。転ぶと人の流れが滞るだろーが、周りのメーワク考えろ」
これも不幸中の幸いなのだろうか。その逆なのかもしれない。周りのパニックに呑まれていない、いつも通りの悪態をつくかっちゃんは、すぐには出れないと判断したのか人混みから一歩引いていた。私も引っ張り戻された。生徒がはけて閑散とした場所でしりもちをつく。けれど、かっちゃんは腕を離してくれなかった。足の力が抜けて立ち上がれない私を、彼は立ち上がらせようと引っ張ってくる。
「ちょっ……い、痛い!ねえ!」
なんでよ、暴言が帰ってこない。腕を離してくれないくせに、かっちゃんは無言だった。表情で何か、たとえば鬼の形相で訴えられていたとしても、私はかっちゃんの顔が見れない。目を合わせることなんてできない。
「……ごめんって、怒られてもしょーがないって、反省したから、昨日は言い過ぎたって、思ってるから……」
それでも返事がない。私は踏ん張って立ち上がる。かっちゃんに体重を預けないように、自分の足の力だけで立ち上がる。
「みなさーーーーん!! だいじょーーーーーぶーーーー!!」
非常口の標識みたいに、叫びをあげる男子生徒の声が響いた。皆の視線を集めてる。侵入者はただの報道陣だという。周りの人の安堵のため息で満ちた。そんな中私は、沈黙だけは避けようと次の言葉を選ぶ。なんにもだいじょうぶじゃない。死に急いでるみたいに脈拍を上げる、自分の心臓を抑えつける。怖い、怖いのだ。ひどく冷静な君が、何年たっても怖いのだ。
「思ってるから……」
顔を上げないまま、少しだけかっちゃんの表情を窺った。その途端腕は離され、とっくに力を抜いていた私の腕は宙ぶらりんになる。眉間にしわのない、それはなんだか別人のような、冷たい視線が私を射ていた。
「警報が苦手なの、変わらねえんだな」
落ち着きを取り戻して避難していく生徒の、にぎわいの声が騒がしい。けれど私はぼそっと頭上でつぶやかれた、小さな声を聞き逃さなかった。「そうだよ」それだけ言って、避難の列に並ぶ。私はまたかっちゃんに背を向ける。君が、私の何を分かるんだ。
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