エピローグ

明治日本。文明開化の中で華やぐ港湾都市からは少し離れた田舎町に、芸術の国・イタリアから新たに一人、雇われの若い外国人がやってきた。設立されたばかりの語学学校の教師だという。町の人々はきんきらの異人さんに興味津々で、異人さんもまた、日本語が達者で日本人との交流に積極的であった。開国から20年ほどしかたっていない日本で、まだ人々の耳にイタリア語は浸透していなかった。祖国語で彼は名乗った。長い苗字は敬愛の意をもって縮められ、やがて彼は「サウダ先生」と呼ばれるようになる。

他文化に寛容であり、朗らかで、まだ三十路にもならない「サウダ先生」が、祖国や欧州では陰で最も恐れられた男であるということを、町の人々は知る由もない。彼が自分の名前を名乗ったのは最初の一度きりであった。「サウダ先生」と呼ばれるようになってから本人も愛称をたいそう気に入り、自称するようにもなった。
彼が町に来てからおよそ10年。すっかり着物姿も日本の諸作法も板についた「サウダ先生」に、町の人達は帰化をすすめる。もちろんかねてから日本での永住を決めていた「サウダ先生」は二つ返事であった。


誰しもがサウダ先生の長い本名など忘れた頃。あれは初夏のことだった。
桜は散り、稲穂もすでに青く生い茂っていた。小川に足をつけて涼むサウダ先生の傍へ、サウダ先生の旧友である浅利雨月様につれられて一人の少年がやってきた。すっかり日本人らしくなってしまったサウダ先生が、この町に来た日のことを思い出させるようだった。その少年もおなじようにきんきらで、雨月様に何か耳打ちをされると靴を脱ぎ、ズボンの裾を捲し上げ、サウダ先生の隣に腰を下ろして、同じように川に足をつける。立派な衣服であったけれど、その育ちは、ここの町の者たちと同じような田舎らしさを感じさせる。とつぜん現れた少年に、サウダ先生はたいそう驚いていた。まだ十にも満たないような少年はすこし照れながら、嬉しそうに、サウダ先生を見上げていた。少年は言葉を選んでいるようだった。今だから分かるが、日本語であいさつすべきか、イタリア語であいさつすべきか迷っていたらしい。サウダ先生もそれを察していたようだ。少年の心が決まるまで、わずかな沈黙があった。少年は意を決してカタコトの日本語で「はじめまして」とサウダ先生に挨拶をした。サウダ先生はそれに、とても流暢になった日本語でおなじように返していた。

私はすぐに気付いた。少年がサウダ先生の生き写しのように、日向のようであることに。
サウダ先生は少年を抱きしめた。愛くるしそうに、積年の思いを込めて、少年の額に接吻を落とした。私も息子がいるが、ああいった愛情表現をみると、サウダ先生が異人さんであることを思い出す。少年は続いてイタリア語で言う。「母さんは桜を探しているよ」と。その言葉をうけて、サウダ先生は声を上げて笑った。もとより年齢の割に落ち着いていて、声を上げて笑うことが少なかったあのサウダ先生が、大笑いした。ふ、と息を吐いて、立ち上がる。冷静沈着ないつもの表情に戻ったかとおもえば、濡れた足を拭きもしないで草履をはき、少年の靴を拾い上げ、少年も抱き上げた。雨月様と私に見向きもせず、サウダ先生は小川を下るように走っていった。少年も嬉しそうに笑い声をあげていた。

「彼の帰化の手続きは滞りなく進んでいるかな」

雨月様は、穏やかな笑顔で私に言う。私はええ、と返した。

サウダ先生の生まれ故郷は、イタリアの南部の、これもまた田舎町だったという。それどころか、サウダ先生の子供の頃には今のこの町よりはるかに貧しかったらしい。祖国では何をしていらっしゃったのですか。私が訪ねると、生まれ故郷を愛していたということだけを語った。その町で共に育ち、共に歩み、二度の別れを果たした最愛の人のことも、思わず口にしていた。
いつも春を待ちわびて、つかの間の春をどこか寂しそうに過ごす。アーモンドの花は桜に似ているのだと教えてくれた。そんなサウダ先生をずっと見てきた。愛した筈のイタリアに彼が帰ることはこれまで一度もなく、彼はただ、桜の開花のような今日の日を待ち続けていたのだろう。家路へと続く小川沿いの畦道、その先に、とうに青葉を茂らせた桜の木がある。

top

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -