並盛町の日常
その日の葵は朝から不機嫌であった。
楽しみしていた連続ドラマの第一回目の放送を、野球の延長で録画失敗してしまったから。どちらかといえば応援している野球チームも、最後は逆転負けを決められていたから。さらには、1限の国語で早速漢字テストが待ち受けていることを知っていたから。
そんな日の葵は、獰猛な番犬にだって噛みついたって不思議ではない。怖いものを知らない。たとえば、住宅街の一車線の道を自分より背の高い不良がふさいでいたって、別の道を探したりはしない。
葵は決して学校の友達には見せないようなしかめっ面をして、目の前の不良を睨みつけた。対して、タバコの臭いを漂わせる銀髪の彼の名は獄寺隼人。彼の足元には、近隣の高校の制服を着た男達が傷だらけで転がっていた。
「あんたどこ中よ、健全な並中生の通学路をふさいでんじゃないわ」
「んだテメェ、並中だ文句あんのか!」
「ハァ? 私は並中生の全員の顔を覚えたわ! 見ない顔!」
「転校生だゴラァ!」
葵に負けじと、獄寺隼人も睨みをきかせる。ドーベルマンだって不良高校生だって、テレビで見るアメリカンマフィアのボスよりは怖くないと思っている葵には効きやしなかった。
獄寺隼人は女相手にむやみに喧嘩する主義ではなかった。この世で最も恐れている姉がいるせいだろう。だが、獄寺隼人にとって葵のような同年代の女子は初めてであった。獄寺隼人がイタリアにいたころ、大概の女子は彼の異名と素行を怖がって近づかない。それがどうだろう。渡日して間もなくして、同年代のごく普通の女子に初対面で睨まれている。高校生たちは殴りかかってきたから相手をしたまでだ。だが、ここで今日から自分が転入する学校の女子生徒と喧嘩するつもりはない。無視して見逃すつもりもないような彼女に、獄寺はダイナマイトをちらつかせた。
「あんま見てっと吹っ飛ばすぞ!」
脅しのつもりだった。着火させるつもりもないが、これで女は怖がって泣き出すだろうと読んだのだ。だが、獄寺隼人の予想は大きく外れることになる。
「……ハーンなにそういうの、最近流行ってんの、マフィアごっこ?」
葵は顎を突き出し、不良顔負けに目を剥いて獄寺隼人を威嚇しかえす。
葵の仕草一つ一つ、テレビドラマの受け売りであった。葵はこの数日でよく学んだ。事実は"なんちゃら"より希なり。実弾、無茶苦茶な赤ん坊、無茶苦茶をする綱吉。突然の外国からの転校生だって、ダイナマイトだってあり得てしまう世界なのだ。フィクションだと思っていたものがノンフィクションとして迫ってきていたって、今更驚きはしない。驚くとしたら、22世紀からロボットが現れたり、自分が10年後の世界に飛ばされたり、最近みたアニメのようにタイムループしてしまうときであろう。さすがにそれはないということで、非現実的な現実に対して葵の肝は据わったのだ。
もちろん、ここで泣き出してうろたえる筈もなく。
「なっ……マフィア、"ごっこ"だと!?」
目の前の女の、思いがけない反応に獄寺隼人は狼狽する。自分が手に持つダイナマイトは紛れもない本物だ。獄寺隼人自身、自分はもうマフィアであるという自覚をしている。それをおちょくる葵に、獄寺隼人も闘争心が芽生える。思い知らせてやろうか。そう思ってライターを取り出したその時。自分の右手は葵にしっかりとつかまれてしまった。
「げーっ何しちゃってんの火遊びとかあんた今晩寝る前ちゃんとトイレいきなよ! そういうのマジなのはリボーン一人でじゅうぶん!」
「……テメェ、リボーンさんを知ってんのか!」
獄寺隼人は葵の腕を振り払いながら怒鳴りをあげる。ただの女子生徒だと思っていた相手の口から、自分が憧れるヒットマンの名前がでてくることに驚いた。最強のヒットマン・リボーンはエンターテイナーではない。表社会に生きる人々が知りえる名前ではないのだ。一体なぜ。獄寺隼人は警戒し、葵から一歩引いた。
「知ってるもなにもうちに住んじゃってる!! そっちこそ知り合いならどうにかしてよあの赤ん坊!! 私のコーヒーゼリー食べちゃうんだもん!!」
「住んでる、だと? ということはテメェが……」
リボーンは、ボンゴレ10代目候補の教育のために渡日して住み込んでいると言っていた。二人の手のかかる生徒がいるという。かのボンゴレファミリーを継ぐ者が同い年だと聞きつけ、獄寺はその存在を気にしていた。継承位第一位の沢田綱吉と、第二位の沢田葵。まさか、と疑う獄寺は、彼女のスクールバックに目をやった。持ち手からぶら下げられたキーホルダーには確かに、第二位の女の名前と一致したローマ字が書かれていた。どこかの土産品のようだった。
「テメェ、いや、あ、あなたが……沢田葵だってか?!」
「……やだこわい、なんで、なに、なに、マフィア? マフィア系? そういう用事なら私じゃなくて綱吉をあたってほしいな。転校生? 同い年? 中1? ちょっとまえまで小学生? うーわランドセル似合わなそ―! リボーンの知り合いってろくなのいなそ――ッャアアアア!?」
朝の並盛町に、彼女の悲鳴がこだまする――。
べらべらと饒舌に、噛むことなく、マシンガンのように喋っていた葵の後頭部に、黒い影が飛んできて彼女にダメージを与えた。うずくまる葵を前に、獄寺隼人は呆然とそしていた。丸まった彼女とほぼ同じ背丈の、小さなヒットマンがそこに居たのだ。滑空するカラスよりも素早く、葵の後頭部に飛んできたリボーン。"女子生徒"にも手厳しいらしい。
「来たな。獄寺隼人」
「リボーンさん!」
「このムカツクおしゃべりぶん殴ってもいいぞ、オレの分もな」
にやり。リボーンは大きな口を吊り上げて笑う。獄寺隼人はたじろいだ。そして、足早にその場を去ろうとするが、自分の靴紐を掴んだ葵が許さなかった。たやすく解かれる靴紐。獄寺隼人は靴紐を結びなおそうとしゃがむ。だが、それは罠だった。同じようにしゃがんで痛みに悶えていた葵に、真正面からの頭突きをお見舞いされるのであった。
「ッ! 何すんだテメェ!」
「……おぼえてろよ獄寺隼人……! あんたみたいな不良が来てくれるなら私と綱吉はビリ回避だ!」
葵が獄寺隼人の学力を知る由もなく、高らかに宣戦布告をした。その瞳は、飛び蹴りのダメージと、頭突きによる自滅で半泣きだった。
目を丸くする獄寺。リボーンからの知らせで聞いていたボンゴレ10代目候補の少年少女は、イタリア生まれの獄寺が知っているボンゴレファミリーの風格とはかけ離れていた。獄寺隼人はまだ知らない。ボンゴレ10代目候補・沢田綱吉、その男に一生ついていこうと心に誓うことなど。やがては、自分がボンゴレの一角を担うことになるなど。
綱吉もまだ知らない。家を慌てて飛び出して、靴紐を踏んで盛大に転んだこんな情けない自分が、これから多くの人に囲まれて、やがては裏社会を総括する立場になるなど。
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