最初の選択

 非・日常の日常化を受け入れる。最初の選択。



 綱吉に家庭教師がついて3日が経った。リボーンと名乗る前代未聞の赤ん坊家庭教師は、新たな沢田家の居候として暮らしの中に加わった。奈々が住み込みの契約をしたらしい。リボーンは奈々にはマフィアの話を一切せず、ただ一方的に綱吉にボンゴレファミリーの次期統領候補としての教育をスタートしたのであった。

「……私はさぁ、マフィアとか殺しとかさぁ、そんなおっそろしー世界に入るつもりないけどさぁ、綱吉さぁ、……やってけそー?」

 葵の朝は、隣の部屋の綱吉を起こすことから始まる。パジャマ姿のまま、ノックもしないで綱吉の部屋にはいり、床に散らばった物を踏まないコースを通り、頭から布団を被った綱吉を揺さぶり起こす。うめき声が返ってきて、葵はその場でとっぷりとため息を零した。見上げれば、綱吉の頭上にはハンモックが張られてあの赤ん坊家庭教師・リボーンがいまだ就寝中である。見事なまでの鼻ちょうちんがはみ出て見えた。
 よし、起こしていない。葵は今後は安堵のため息を零す。リボーンが来た翌朝、綱吉のついでに彼まで起こして大失敗を犯した。赤ん坊を泣かせてしまったのではない。危うく喉元に鋭利なナイフを突き刺されるところであったのだ。はじめて自分の身に危険が及んだことで、まさに身をもって学んだ。この家庭教師はふつうではないし、存在そのものを疑ったボンゴレファミリーやマフィアもあるものなのだ、と。そして、一向に置きそうにない綱吉が、未来ではそのボンゴレファミリーのボスになる男なのだ、と。しかし、あまりにも綱吉とマフィアは結びつかず、今でもでっちあげの可能性を捨てきっていない。


「(ま、私には関係ないよ……)」


 なぜ、この朝に弱い少年が選ばれたんだろう。布団をめくれば、ここ3日間で生傷の増えた情けない姿の綱吉が丸まっている。包帯、湿布、絆創膏。日ごろ学校で受けるイジメによるものに加え、家庭教師リボーンの強烈な蹴りのせいもある。
 なにより、リボーンが持ち込んだ≪死ぬ気弾≫なるものの作用による無茶苦茶な≪死ぬ気モード≫というのになると、綱吉はパンイチになって我を失ったような暴走をするようになった。いくらなんでもふつうじゃないが、傍らで眺めているだけの葵は1日で慣れた。かの有名なマフィア映画など見たことないけれど、マフィアってこういうものなんだな、と納得することにしたのだ。

 彼女がこの暮らしで気を付けることをはただ一つ。間違っても死ぬ気弾や、リボーンの理不尽なスパルタ教育が自分に向くことがないようにすることだ。一つ屋根の下で暮らしながら、この間まで兄弟のように育ってきた綱吉と一線を引くことも考え始めた。そうすることが身の安全を守るためだと思ったのだ。何より、マフィア・ボンゴレファミリーなどとは関わらないためにも、と。


「(私には関係ないこと……)」


 布団をはがされ、寒がった綱吉がのっそりと体を起こす。葵は、彼が体を起こしたところに転がっていた巻物を取り、そっと広げた。いかにも日本風の巻物でありながら、広げてみれば綴られているのは英語。英文を読むことができない葵は、視覚で理解できる家系図の名前だけを目で追った。幸い、日本人の名前ぐらいは読み取れた。

 ≪TSUNAYOSHI≫、家系図の末端、赤く線が引かれて彼の名前は強調されている。
 ≪IEMITSU≫、一つさかのぼると、葵も忘れかけていたこの家の家長の名前があった。今もなお石油を掘りにいっているらしい。
 その先にある綱吉の祖父の名前や、曾祖父の名前は葵も初めて知るものであった。この家に仏壇などはなく、葵にとっては、綱吉の祖父までさかのぼると他人である。祖父、曾祖父、曾々祖父、そのころの時代っていつなんだろう。よく見てみると、名前の下には生年と没年まで記されていた。1世紀以上さかのぼるそれはもう、彼女にとって縄文時代や戦国時代と今更変わりないような感覚もした。頭の中では、原始人と戦国武将の徒競走が思い浮かべられた。

「……ん"−、ふぁあ、なんだ葵かよ……」
「おはよう綱吉、ところで100年ぐらい前って平安時代?」
「えっ、えー……っと……昭和じゃないかな?」
「まじかぁ」

 葵はひぃ、ひぃ、ひぃ、と指折り数える。改めて、気の遠くなるほど昔の人物に思いをはせた。19世紀生まれの祖先は、一体どんな顔をしていたのだろう。
 沢田家の始祖・≪IEYASHU≫の名前の下には、綱吉の直系の曾々祖父の名前に並び、もう一人、女性の名前が記されていた。葵は迷わずその名前の直系を辿った。子、孫、そのまた孫、そのまた孫。
 そして、≪YOSHINO≫という女性に辿りつく。YOSHINO、よしの。葵の生みの親である彼女は、船乗りで、ノルウェーでサーモンを取っているのだといっていた。この間ポストカードが届いた。ラクダに乗っていた。ノルウェーがどこにあるかわからないけど、ノルウェーにはラクダがいるんだな、とひとつ学んだ。ノルウェーがどこでも、サーモンがオホーツク海産でなくても、今、重要なのはそれではない。
 葵は、もう一つ下に目をやる。確かに、自分の名前があった。その横にメモされた英語は読めなかったけれど、No.2とだけ、読めた。改めて綱吉の名前の横にもあったメモ書きを見ると、No.1とある。


「(私には関係ないから……)」


 葵は、リボーンが持ってきたこの家系図で初めて、遠い遠い親戚である綱吉と共通するルーツを知った。始まりは1世紀以上さかのぼり、沢田家康。そしてその沢田家康こそ、葵と綱吉の唯一共通する祖先であり、綱吉がボンゴレファミリー10代目候補たる所以なのだ。家系図をさらに広げると、長靴みたいだと覚えたイタリアの地形が簡素に描かれている。そこに、ボンゴレファミリー、と読めなくもない文字があり、ボンゴレの歴代ボスの名前が並んでいる。さらには、ボンゴレファミリーの初代ボスと沢田家の始祖は、線で結ばれていた。


「ボンゴレ初代ボスは女で、沢田家康と夫婦……?」
「いやそれ、同一人物ってことだろ」


 葵の後ろから家系図を覗き込む綱吉。眠気眼をこすりながら、葵から家系図を奪い上げてベッドの中に隠してしまう。


「あっ、何すんのーまだ読んでる途中なんだけど」
「……葵は関わりたくないんだろ!?俺がリボーンにしごかれてるのみておもしろがってるだけだろ!」
「そうだよ!」
「むっかつく〜!もう毎朝起こしに来なくていいし登下校も別々な! それに中学生にもなって家族と登校とか恥ずかしいんだよ! 京子ちゃんにも勘違いされるし!」
「むっか〜! え〜そ〜だよ私には関係ないよ! 綱吉が無事に10代目になってくれさえすればね!」


 兄妹同然の二人の口論を遮るように、その時、頭上から短剣と拳銃が降ってきた。ギョッとして綱吉と葵は上を見上げる。そこには、にやにやと愉快げに口元を吊り上げた赤ん坊がこちらを見下ろしていた。


「さっそく後継者争いか?」

「「ちがーーーう!!」」


 沢田綱吉、ボンゴレファミリー10代目ボス、第一候補。沢田葵、同じく、第二候補。彼らは共通するルーツを持つ。今や大ファミリーとなったマフィア・ボンゴレを創始したイタリア人を祖先に持ち、二つに分かれた家系の末裔として今、この日本で、まるで運命のように同じ屋根の下で育ってきた。

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