16

 ランポウの実家は、所有する土地の規模でサンソーネ=メロイ家に勝っていた。私がサンソーネ邸宅に勤めるよりずっと以前から、いがみあっていたそうだ。ザイラに連れられ、邸宅を訪れた私含めジョット達を当主は快く迎えてくれた。

「助かりました」
「気にするな、わがままな息子を預けている恩義だ」

 ランポウの父親である当主と、ジョットはそれなりの付き合いがあるらしい。年の差は大きく開いていても、親しげだった。

「ナポリに来てからは苦労しただろう。サンソーネだけじゃない、メロイ一家は意地が悪いからね」

 当主は人のよさそうな笑顔をジョット達に向ける。ええまあ、と何でもない相槌を返すジョット。私は、その彼の後ろで、当主の気に留められることのないように必死だった。
 メロイ一家、その名を久し振りに耳にした気がする。実際のところは、ほんの数週間前まで私もメロイ一家に従事していた。サンソーネ家の本筋であるメロイ家は、ナポリの商工業を牛耳る一族だ。地主業のサンソーネ=メロイ家は、本家の副業に過ぎなかった。

「出入りも好きにしたまえ、ゆっくりしていくといい、お仲間……というと機嫌を損ねる男も、先に来ている」

 当主は食堂の扉の前まで案内すると、さっさと踵を返した。中に入れば、言葉の通りに先客がいた。ゆったりと椅子に腰かけて、新聞を広げている。

「アラウディ」
「遅かったね。思っていたよりも少ない人数だ」

 アラウディはこちらを見るまでもなくそう言った。ジョットは彼の向かいに座ると、真剣な眼差しを向ける。アラウディはわざとらしく椅子を少し引いた。

「ほかの皆は後からくる、カヴィリェーラの襲撃が始まった」
「これから加速するだろうね」
「ああ、だから、なんとしてでも交渉の糸口を見つけるんだ。俺たちから争いを仕掛けることだけは絶対にない」

 ジョットの言葉に、Gもナックルさんも強く頷いた。争い。そんな言葉が出てくる状況なのだ。アラウディの雰囲気も、前に会った時とは変わっていた。どことなく殺気立っている。
 ナポリに来たときは、この人と肩を並べて歩いたのだ。私は饒舌にしゃべっていた。もう、そんな風には接することができないような気がした。私はまた、緊張しながらアラウディに歩み寄る。ナポリに連れてきてもらえたお礼を、まだ言えていない。

「あの、この間はどうもありがとう」

 アラウディは新聞から顔を上げ、首だけでふり見た。後ろから覗き込んでしまったが、彼が読んでいた新聞はみたところイタリアの物ではない。

「これ」

 お礼からの会話は続かなかった。目を合わせようともしない。アラウディは足元に置いてあった紙袋を突き出して私に押し付ける。

「これは?」
「サンソーネを伝って預かった」

 ナポリ初日の暴動の後にも、サンソーネ邸宅を訪れたのだろうか。ボンゴレの、関係者として? 疑問を抱きながらも、私は問いただすことを控えた。
 紙袋から中身を取り出す。真っ白な一対の手袋と、メッセージカード。手袋は、手に取っただけでも私の手にぴたりと合う大きさなのだと分かった。『誕生日おめでとう』と綴るのは滑らかな書体。誰の字かわからず、メッセージカードを裏返した。
 私は思わず、目を見開く。ベルナルド。兄からだった。兄は、こんなきれいに字をかける人ではなかったはずだ。戸惑いをアラウディに目で訴える。


「……誕生日祝い、それから、君の兄は手袋工場を作ったらしい」


 新しい事業を任されたという兄の言葉を思い出す。忙しそうだった、その理由らしい。
 手袋。使用人であったし、庶民である私には日常的に必要のない物だった。私が一番欲しい物の的を得ていないところ、包装していないところ、たしかに兄らしい贈り物だと、懐かしさに口が緩む。

「アラウディ、サンソーネのところに行ったのか?」
「まあね。君が動かないようだから」
「究極に言い返す言葉もないが」

 ナックルさんは申し訳なさそうに肩をすくめた。元々、サンソーネ様との交渉はナックルさんの仕事だったらしい。


「――結論から言おう、カヴィリェーラはメロイ家の指揮下にある。サンソーネや、メロイ家の各事業とも締結している」


 アラウディの言葉に、誰一人驚くこともなく頷いた。予測していたことなのだろう。
 だけど私の心臓は、その瞬間からせわしなく暴れ始めた。私だって予測はしていた筈だ。迫りあがってくるこの焦りを、殺しきらなくちゃいけない。一歩後ずさると、Gにぶつかった。いぶかしげに私を見下ろす。「個室に案内してもらえ」という提案に私は首を横に振る。ここに居なきゃいけない。


「奴らの目的は南部勢力の抑制、そして俺の首だ」
「?……どうしてジョットが、狙われてるの」


 私には、ボンゴレがこんな扱いをされなければいけないのか分からなかった。ボンゴレがマフィアと呼ばれる事があるとはいえ、彼らを敵視しているのはマフィアじゃない。商工業のメロイ家だ。
 驚いたのはそれだけじゃない。自分が狙われているというのに、ジョットは恐れる様子もなく、他の3人も様々に苦悩を表情にすれど、落ち着いているのだ。

 この人たちは、"慣れ過ぎている"。

「カヴィリェーラが北上を阻止する勢力はチェラーゾだけではない。ナポリより南で発祥した俺達ボンゴレも、このナポリで足止めを食らった」

「ここでプリーモの首を取れば、北部に展開しているボンゴレ勢力も大きく動揺する。その隙をつけ狙える算段があるほど、敵は戦力を蓄えたのさ」

「ッチ、プリーモと守護者3人集まってはいるが、逆に抗争のリスクも高すぎる」 

「戦闘となれば究極に俺は戦力外だ。裏方にまわるぞ」

 彼らの正義を、信じている。だとしても私は、彼らの強さを知らなかった。
 不安が大きく押し寄せてくる。メロイ家に立ち向かえるのだろうか。カヴィリェーラが強いとしたら、それは単なる武力の強さに限らない。争いに必要な財力も、人員も、ほしいままであろう。銃撃戦にでもなれば――……。


「あの男と決着を付けなくちゃ……」


 あの男の考えていることは分からない。何をし始めるかもわからない。ジョットを狙う動きがあるのなら、あの男は何食わぬ顔をして、誰かに手を下させるのだろう。メロイ家の本業とはいえないカヴィリェーラという集団は、そのためにある。

「あの男っつったら、誰の事を言ってんだ」

 Gが私の顔を覗き込むようにして訊ねる。Gも心あたりがないわけではないだろう。

「サンソーネの旦那様も、カヴィリェーラも、一人の男の意志で動いてる。そうよね、アラウディ。やたら詳しいあなたならもう確信してるはず」

 私はアラウディの眉が僅かに動くのを見逃さなかった。新聞をたたみ、ようやく私に目を向ける。確かに鋭さをまとった雰囲気。彼はそれでも頷きもしない。まだ、私の言葉を待ち、試されてるようだった。

「――アダルベルト=メロイ。メロイ家の当主で、一番力を持ってる。カヴィリェーラがジョットを狙うのなら、それはアダルベルトの意志よ。それから、メロイ家の流れを汲むすべての者の意志でもある。ボンゴレの敵は、メロイ家のすべて。……私の読みは、あなたのと違う?」

「その通りだ。君はなかなか顔の皮が厚いらしい」

「随分、言ってくれるじゃないの……」

 しゃしゃり出るなというのなら、私はとっくに締め出されている。疑る目、棘のある言葉、それでも口元が笑っていた。私の口から、言わせたかったらしい。恩人だけれど、アラウディのことは苦手かもしれない。

「君が知らないふりをしないのは、訳があるんだろう」
「どういうことだ。エルザ、お前はアダルベルトを知っているのか」

 ジョットが怪訝そうに首をかしげる。サンソーネ様とだけの問題だったら、その名前がでることはなかったんだろう。そうでありつづけてほしかった。私にとって一番大切な幼馴染と、私が一番恐れてきたメロイ家が戦うことなんて、思いもしなかった。これは悪夢だ。そうであるのならば、はやく目覚めてしまいたいと願うほどの。

「アダルベルト=メロイと最後に会ったのは8年前、それっきり」
「まさか、てめえはそいつに連れられてナポリに……」
「ええ、そのまさか! 兄のベルナルドは、メロイ家で働いているわ!」

 一番どよめいたのはGだった。ずっと兄と仲が悪かったGだからこそ、最も表情をゆがめるのは分かる。ジョットは呆然と私を見つめていた。その時背中に冷や汗が伝うのが分かった。私は私の立場を思い出す。私だって、メロイ家にかかわった人間だ。とっさに、ジョットとGの手に縋りついた。
 二人の手の体温で、私はこれが夢でないのだと思い知る。何もかもが現実で、立ち向かわなければならない時がきた。


「っ言わなかったことを許して、私のこと見放さないで! ……いいえ、私をメロイ家の関係者だとおもうのなら見放したっていいから、それでもあなたたちは屈しないで! メロイ家は、アダルベルトの私欲にまみれてる」


 生々しく、荒い感情が湧き上がってくる。これが私の足をとる憎しみだった。理性があるかぎり言葉にしまいと、堪え続けてきた思いだった。

「何が、あったんだ」

 ジョットに背中をさすられ、強く握りしめてしまった手を緩める。はぐれたくない。見放されたくない。私はこの両手を、離したりしたくない。アダルベルトが私もナポリにいると知ったなら、また引き離されるだろう。


「はっきりと言えることはひとつ、あの男は18年前の母さんの死に関わってる」


 あの男は、ずっと古い記憶の中にも確かにいる。母が死んだあの日、アダルベルト=メロイは確かに私達と居た。死んでいく母が助けを求めた相手だった。そして母の葬儀には、いなかった。あの後アダルベルトはどこへ姿を消したのか。母を殺した犯人なのか、それともたまたま居合わせた客人だったのか。母が息絶えた後の事を、私はよく覚えていない。けれど幼くなかった兄は、何かを知っている筈だった。

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