15

 ダイニングキッチンは綺麗に片付いてしまっていた。調理器具や調味料は整頓され、備蓄の食材どころかパスタの一本だって残ってない。朝にはまだ、十分に残っていたように見えた。それが人数分の昼食一回で、全て尽きてしまったのだ。働く男たちの食いっぷりときたら、なんということだ!

「究極に困ったな、夕食の仕込みを始めねば間に合わん」

 ナックルさんは腕を組んで悩んでいた。私も、エプロンをするだけで手がとまる。夕食の支度を手伝うことになったのはいいものの、食材がなくては何も始まらない。時刻は夕方の5時を回ろうとしている。

「私が買ってきましょうか」
「いいや、あなた一人では運べない量だ。とはいえ俺たちがついていくと……」
「売ってもらえないんですよね」

 朝からボンゴレは阻害されつづけてきた。Gや彼の部下はタバコを買えず、私が代わりに買いに走った。今日一日、ボンゴレの拠点と街中を行き来してばかりだ。

「外食も無理だそうだ。入れてもらえやしない」

 さすがのジョットも滅入りはじめている。彼らの部下が商工会を追及しているけれど、言い出した人物を突き止める事はできなかった。それも、街の人たちは口を揃えて白を切っているせいだ。街ぐるみの取り組みにしたって、それは不自然だと私たちは首をかしげていた。

「うーん、よし、悩んでてもだめね。2往復すれば買い物も十分でしょう、私行ってくる。いいでしょう、ジョット」

 私の提案に、ジョットは困った顔をした。外は危ないという。これでは八方ふさがりだと私が肩をすくめる。「なら――」別の方法を提案しようと口を開いたその時、ドア一枚を挟んだリビングから、窓ガラスが割れる音が届いた。
 何が起きているのか。動揺してジョットと目を合わせると、彼は力強く私を引き寄せた。私はジョットの脇に収められて、自然と震えてくる手でジョットの腕を掴んだ。心配するなという囁きに、信じて縋ることしかできなかった。

「どうした!」

 リビングとダイニングを繋ぐドアが開けられ、顔を真っ青にしたミケが姿を見せる。割れた窓ガラスの傍にいたのか、その頬には一本の線のような生傷ができていた。

「敵襲です! 家の前に赤い靴の男達が!」
「カヴィリェーラか、あいつらついに!」
「俺達で対処します! ナックル様、ジョット、Gは早くここを離れてください! エルザも!」

 そう言ってミケは自分の傷を気にする様子もなく、ドアを閉める。その時わずかに見えたリビングは、床一面にガラスが散らばった惨状だった。

「ならば究極に急ぐぞ、勝手口から――」「――おじゃまいたしますっ!」「っ、誰だ!?」

 ナックルさんの言葉を遮るように、聞きなれない声がした。慌てて声のする方、窓を見ると、人が身を小さくして窓枠に足をかけている。玄関口での敵襲に加え、家の裏側ももう囲まれてしまったのだ。侵入者の顔は逆光のせいでよく見えない。警戒するGはジャケットの懐に手を潜める、が。

「……ザイラ!」
「エッ、――わ、わ、わっ!?」

 Gが声を上げたことに、侵入者は驚いて細い窓枠の上でバランスを崩す。あっけなく、窓から高さのある床へ、転がってしまった。侵入者の両手は空。銃を携帯している様子もない。Gは、力が抜けたのか懐に潜めていた手をぐったりと落とした。敵では、ないらしい。それどころか、転がった少女を、今なんて呼んだのだろう。聞き間違いでなければ、私もその少女を知っている。

「おい、ザイラ!」
「あいったた……いたい……」

 Gは少女に手を差し出した。ザイラ。泣き虫のザイラ。彼らと同じ孤児院育ちで、ミケよりもお姉さんなのに、ピオと同じぐらい泣き虫だった、あのザイラ、彼女だろうか。随分垢抜けたのか、私の古い記憶の中のザイラといまいち重ならない。

「ザイラ、今は敵襲をうけてる、危ないからすぐここを離れるぞ」
「うん、大丈夫、大丈夫大丈夫。玄関の見張り番の人達が怖くてこっちから回ってきて、正解だったね!」
「ったくお前って奴は……要件はどうした」
「あ!」

 ザイラは思い出したかのように勢いよく立ち上がる。彼女は敵襲に気付いていながらも、怖がる様子はなかった。ジョットとG、ナックルさんを見て、一礼する。落ち着いた赤茶色のスカートをふんわりとさせた。

「ボンゴレが孤立したと事情を聞きつけて、旦那様が皆様を邸宅へご招待しています」

 彼女の身なりを見れば、どこかの使用人をしているようだった。スカートの裾をつまみ上げる手には、あかぎれがある。

「なんと!」
「そりゃあ助かる」
「今からで問題ないのか」
「空き部屋にも余裕がありますし、食堂を一つ、皆様の作戦室として開けました。奥様はご旅行中、お嬢様は長期留学中ですので、羽を伸ばしてくれとのことです」

 ザイラの言葉の最中にも、一発の銃声が混じる。男達が揉めている声が聞こえた。ミケ達の無事を祈りながら、私は身を強張らせていた。ジョットが私の肩を叩く。顔を上げてみえたジョットの表情は、もう落ち着いている。彼の顔をみてやっと、私も体の震えが収まった。

「そうとなればエルザ、ついてきてくれるか」
「ええ、でもどこへ?」

 先頭をいくナックルさんが、勝手口を開けて警戒気味に外を確認した。親指を立てて安全であることを私達に伝えると、続いてGとザイラが、小走り気味に駆け出た。私達も続く。

「お前も会ったことがあるだろう、ランポウの実家だ」
「ああ、あの彼、ナポリ出身なのね。でも、だったらどうしてザイラは……」

 私の声に、先を行くザイラが振り返る。きっと今まで私に気付かなかったのだろう。目を丸くして、私を指さした。その目に、わずかな涙。

「エルザだったの!? えっ、えーっ!? どうしてここに!?」
「はしゃぐんじゃねえ、その話はついてからだ」

 ザイラがGの腕を掴みながら、「どうして教えてくれなかったの」とはしゃぐ。彼女の動きに合わせて揺れ動く赤茶色のスカート。フリルの多いメイド服。あれは、サンソーネ様と犬猿の仲にある地主のところの使用人服だ。それが、ザイラの勤め先で、ランポウというジョットたちの仲間の実家だという。

「……それは、サンソーネ様と交渉が難航するわけだ?」
「あの両家が良好な関係築いてくれさえすれば、早い話なんだけどな」

 幸い家の裏側にはまだ、赤い靴の男達は回ってきていなかった。足早に彼らについていく中、ジョットは改めて、私の手を取る。「迷ったり、はぐれたりしないから」私は大丈夫だと断ろうとした。「わかってるさ」わかってるのに、彼は離そうとしなかった。まあいいか、と前を向くと、知っている筈なのに、知らない道が広がっている。そうだ、銃声が響く街を、私は知らない。そう気付いた途端、ついていくのに必死になった。ジョットの手を、握り返した。はぐれたくないと、恐怖した。

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