13
チェラーゾファミリーが壊滅した。
近づいてくる蹄の音は穏やかであったのに、騎手であるミケは血相を変えてその知らせを持ってきた。ナポリの街は、完全に夜の闇に包まれた頃だった。昼間の数々の暴動から目をそらしたように、ナポリ最初の夜はすっかり静まり返っている。対照的に忙しくなるボンゴレの拠点では、誰もが、チェラーゾファミリーの壊滅を信じきれないままにジョットとナックルの帰りを待った。
ジョットとナックルの判断は人命最優先だった。次女の救出のためにサンソーネに直接交渉に向かったのだ。それも、チェラーゾファミリーが再起不能と言われるまでの状態に陥ったことで、解決になるのか。俺達に知らせを持ってきたその足で、ミケがそのままジョットへの報告に走った。
問題は、飛ぶ鳥を落とす勢いでチェラーゾファミリーを壊滅させた勢力の解明だ。いったい誰が。ボンゴレは、チェラーゾファミリーに攻撃をしかけられない状況にあった。その伝達は徹底していたはずだ。同盟、傘下ファミリーが襲撃するという知らせも受けていない。それどころか、周辺でボンゴレと協力関係を結んでいた勢力を潰したのは、チェラーゾファミリーだ。ミケをはじめとするナックルの部下と、ナポリに数名残っていたアラウディの部下が情報をかき集めるのに必死になっている。諜報を専門とするあのアラウディの部下でさえも、思い当たる勢力を挙げられないでいた。
時刻は19時を迎えようとしている。夕食を取る暇すらなく、わずかな追加情報からチェラーゾ壊滅の信憑性を突き詰めていく。
ああ、タバコもこれが最後の一本だ。苛立ちと、吸い殻だけが積もるばかり。ここからサンソーネ邸宅は馬を全力で走らせても10分ほどの距離がある。ジョットにも情報は伝わっただろうか。
適当に、誰か買い出しに行かせようかと立ちあがる。その時だった。玄関のドアが勢いよく開けられ、長いローブを翻したジョットが無言で入ってくる。
"死ぬ気"でもないのに、その顔つきはらしくなく殺気にほど近いものをまとっていた。一見、ただの無表情だ。部下たちはジョットの様子に気を止めはしない。俺は半分も残っている最後のタバコを灰皿に押し付た。すぐさまジョットに続いてナックル、アラウディと入ってくる。3人のうかない顔を見れば、チェラーゾ壊滅の知らせは伝わったものと思えた。最後にミケが、エルザの手を引いて二階へと案内している。一瞬、アイツと目が合った。
「……、……っておいおい、おい! プリーモ!」
「G、話は聞いた。すぐに4人だけで話をする」
周りにいる部下たちに聞こえる声で、ジョットはいつもどおりのはにかみを見せた。
「……ああ、そうだな。だが俺が言いたいのはそうじゃねえ」
全員が入ったところで、会議室替わりに使う個室のドアを閉めた。声は外に漏れないだろう。俺は、何食わぬ顔で腰を下ろすアラウディを見やる。
「まず俺に状況を説明してくれ。どうしてアラウディとそれからエルザまでここにいる?」
誰も驚きはしなかった。広間にいた部下たちが不思議そうに見たのは、ミケが二階へ案内したエルザだけである。この緊急事態に守護者が3人集まろうが、不思議なことではない。だが、アラウディが保護したエルザをここに連れてきたなら話は違う。本来、真っ先にチェラーゾファミリーの壊滅を話し合わなければいけないところだが、アイツのことも無関係とは言えない。
「君らの幼馴染なら別のところで匿うつもりだったけど、偶然プリーモと鉢合わせたからね、ここに連れてくる流れになったまでさ」
「どのみちなぜ、エルザをこんな危ないところに」
ジョットが低い声でアラウディに問う。ほんのわずかな怒りと戸惑いを滲ませる。分かりやすいが、殺意に似たものといえばコレだ。"プリーモ"としてアラウディに接しながら、感情は一人の男である"ジョット"としてのものに飲まれかけていた。この世界に巻き込むべきでないと考えていたはずが、既にエルザがここにいる状況を、ジョット自身も受け入れきれていない。俺だってそうだ。ミケに手を引かれたエルザにほんの一瞬苦笑いを向けられておいて、突き放すことこそできないが、どうしてやればいいというのだろう。俺達のせいだと分かってはいる。俺達と同じ町で育ったよしみというだけで、エルザは狙われた。
「どこなら安全だと言えるんだい。だったら監禁でもすればいい」
「喧嘩はよせ。アラウディも言い過ぎだ、プリーモも、まずは会議だ」
鋭く反論するアラウディに、ジョットはわずかに眉を吊り上げた。俺はすかさずなだめ、場の空気を整える。腕をくんで、珍しくだんまりだったナックルが大きくうなずいた。
「究極にチェラーゾを壊滅させるなど、南部でそれほどの力を持った集団は思い当たらん」
「アラウディ、テメェは何か掴んでねえのか」
アラウディの部下が把握していなくても、アラウディ個人で情報を持っていることならざらにある。正直、チェラーゾファミリーが突然壊滅した今、俺達もアラウディの情報を頼りにするしかなかった。エルザまでナポリに連れ込んでしまったことをのぞけば、このタイミングでの合流は心強くもある。
「一つだけある。プリーモはさっき見ただろう」
「! あの、赤い靴でそろえていた男達だな。知っているのか」
俺は首をかしげる。どうやら、3人はチェラーゾファミリー壊滅の知らせを受けただけではなかったようだ。話が勝手に進んでいきそうになるところを、ナックルが気付いたのか、俺にはつらつとした笑顔を見せ、拳をつくる。力を入れて話す時のコイツのクセだった。
「唯一、究極にめでたいことがあった。サンソーネの次女は無事だ」
そういうとナックルは、サンソーネ邸宅前で起きた暴動の一抹を語る。邸宅前でチェラーゾファミリーの残党が最後の抵抗をしたこと、サンソーネ次女のアロンザが無事に解放されたということ。偶然、アラウディとエルザ、さらにはジョットが言う"赤い靴の男達"も、その場に居合わせていたらしい。
「で、赤い靴の男達が怪しいと思うんだな、アラウディ」
「奴らのことはチェラーゾの調査中にしっぽを捕まえた。利用価値があったのさ、しばらく泳がせたよ。ほら、ボンゴレが手を汚すことなく、チェラーゾの問題は解決だ」
好戦的で皮肉めいた笑みを浮かべる。アラウディのその一言で空気が凍り付くのを、肌身で感じた。ジョットを窺えば、芳しくない表情だ。平和主義のこのボスにとっては、心から望む解決方法とは言えなかったのだろう。
「究極にそんな話は聞いとらんぞ!」
「だろうね。僕があの女を迎えに行く直前に掴んだまでだ」
「いったいあの男達は何なんだ、マフィアか?」
時代はまさにマフィアの黎明期だ。山賊出身のチェラーゾも、ボンゴレと繋がるいくつかの集団も、一つに言いまとめてしまえばマフィアと呼べる。元はと言えば、俺達のような自警団を基盤にした組織がマフィアになっていったという。地主たちへの抵抗のために団結した自警団が、やがては力を得、日の当たらないところからその力を広げていく。
マフィアと口にするときのジョットの顔色は、いつだって青ざめている。恐れているのだろう。マフィアと呼べる集団の脅威から、大切なものを守っていく中で、俺達の自警団ボンゴレもまたマフィアと呼ばれてしまう日がくることを。
「赤い靴の男達の多くが、カンパニア州の若い資産家達だ」
思いがけない答えに、俺は唖然とする。赤い靴で統一しているという男達を実際には見ていない。想俺が像していたのは、チェラーゾのような山賊風の男達だった。だが、奴らはチェラーゾとは対照的なスーツ姿だったと、ジョットが俺に耳打つ。赤い革靴も、大量に出回っているようなものではない。
「僕がは男達の、チェラーゾのコネクションを完全に断つこともできるほどの人脈と権力に期待した。暴力でチェラーゾを抑えつけるなんて予想外だ」
「チェラーゾの残党が起こしたサンソーネ邸宅前の暴動も、鎮圧したのはアラウディではなくそいつらなんだな?なんという力だ」
「少なくとも今日まで彼らは一般市民にも認知されていたただの集会だ。……暴動の後、一人の男がこう名乗った」
そして、アラウディはコートの中から一枚の紙きれを俺達に差し出した。ジョットが広げてみるとそこに、イタリア国土が記されていた。地図ではない。ちょうどこのナポリの位置に、鎖がかかるように描かれている。これは、紋章だ。
「≪俺達はイタリアのカヴィリェーラだ≫、と」
アラウディの声はいつになく冷たかった。カヴィリェーラ。イタリア国土を足のように見立ててたら、確かにナポリの位置は、カヴィリェーラ(足飾り)がかかるにふさわしい足首と言えるだろう。
「カヴィリェーラだと?」
「足飾りが意味するところ、誰かの所有物……奴隷だと言いたいのか」
「資産家の男達がか?」
「それも究極に変な話だ。謎だな、奴らの意図が掴めんぞ。俺達にとっては敵なのか味方なのかもわからん」
「さぁね。彼らは何も要求しない、金銭なら巻き上げなくても既に持っている男達だ」
「これで一件落着、というわけではなさそうだな」
「カヴィリェーラには警戒はするべきだね、君たちはまだサンソーネとの問題を片付けてない」
「つまり男達はサンソーネと繋がっているということか」
「そうなると奴らチェラーゾファミリーを壊滅させた目的は、アロンザ嬢の解放だったと考えるのが自然だ。彼女を自宅まで送り届けてもいたしな」
チェラーゾファミリーの壊滅によって、俺達の仕事がサンソーネ相手一本に絞れるかといえば、そうでもないようだ。サンソーネの土地に住む農民が蜂起を起こす前に、話を固めたいところだが、チェラーゾの一件でより一層ボンゴレとサンソーネの間には溝が生じた。
各々が考え込む間に、沈黙があった。するとアラウディは席を立ち、暑苦しそうなコートの襟を整えながら部屋を出ていこうとした。
「おい!どこいくんだ」
「僕の勝手」
俺達を振り返りもせず、アラウディは足早に出て行った。アイツの動きを制限することは、俺達ができたことではない。分かっていたが、孤高の浮雲としてボンゴレの一角を担うアラウディは、今もなおその立場を鬱陶しそうにすることがある。結局はボンゴレの利益になる働きをすると、ジョットもわかっているから野放しにしているのだが。
「まあ、心配はいらない。チェラーゾがつぶれたことで調査対象を変えたのだろう。究極に奴はやるといったらやる男だからな。今にカヴィリェーラとやらの調査を始めるさ」
俺達よりも、アラウディと付き合いの長いナックルが言う。それに関しては心配いらないと、俺とジョットも同じ判断をする。
「それでだ、G。アイツに、エルザに確かめたい事があったんだが、今日はさすがに厳しいかもしれないな」
ジョットの表情が一段と曇った。コイツも、アイツも、一人で悩みすぎるのが玉に瑕だ。不穏なナポリの夜が更けていく。考えすぎるのは全て闇のせいだ。早く朝がくればいいと、まぶしすぎるシャンデリアを見上げた。
top →