10

 二人の幼馴染と手を取って、黒い渦にうずまることなく生きてこれた。そこまでは、まだなんとなく思い出せる。私の大切な思い出。でも、それよりも前の事、覚えてる?
 母と男の怒鳴り声。兄の大きな手が私の耳をふさぐ。怖くなって目を伏せた、昼間の闇。暑い夏。母が編んでくれたレースが肌にはりつく触感。窓ガラスの割れる音。破裂音が耳をつんざいた。眺めてるしかなかった真っ赤な流れ。立ち尽くす兄の足にすがった。
そうだ、うちには昔、マスケットがあって、母はそれを心底大事にしていた。触っちゃだめよと、厳しく言い聞かせられた。"触ってはいけない"それを手にした男の大きな影が母を覆う。あの朝、母はとてもめかしこんでいた。でも、何色の服を着ていたか思い出せない。さいごは赤いだけのドレス。


『おねがい……た……すけて……』


 祈るような悲鳴を聞いてしまった。葬儀の前日まで泣きはらした。目にしたもの、耳にしたもの、触れてしまったもの、そのすべて流し出すように泣いたのだ。


「――――っ!!」


 瞼が離れる音が聞こえる。飛び起きて光を取り込んだ私の視界にパッと映るのは、閑散としたリビング。誰もいないリビング。この部屋で起きた惨劇も、昨晩の宴も、跡形もない。

「ゆ、夢……」

 髪をかきあげ、ソファーから滑るように降りた。寝室に行くことはおろか、着替えることもしないまま眠ってしまったらしい。食器は、片付けたっけ。ダイニングに目を向けるとテーブルも椅子も整えてあって、食器もすべて戸棚の定位置にあった。次第に夢と現実の区別がつきはじめ、昨晩のことを思い出す。
 ジョットとGを見送って、食器を片付けた。朝には二人がここを発つ、見送りは間に合うだろうか。そんなことを考えながらソファーで一息ついた。ようやく二人とお酒も飲めたし、昔話にも花が咲いて、楽しかった。それからひとりで笑って、ひとりで泣いた。整理しきれない感情は、睡魔とないまぜになっていった。

 酔いも醒めた。いつもと変わりない朝だ。あの夢は、さすがに慣れた。






 ふたりと埋めた花は、当分芽を出さない。朝もやが晴れないうちに草木に水をやった。舗装されてない道の木の葉と砂利を踏む音が聞こえ、顔を上げる。柵越しに「やぁ」と手を上げるのは、似合わないローブを羽織ったジョットと、ジャケットまで着込んだG。それから、取り囲むようにして部下の人達もいた。
 ジョウロの水で手の土汚れを洗い流し、二人のところへ急いだ。寝不足の気など感じさせない。二日酔いもしてなさそうで、安心した。


「いってらっしゃい」


 似合わないなんて嘘。堅い恰好をして、部下を引き連れれば、二人はそれなりに見えた。別の道で生きる幼馴染を、私もいい加減認めるしかなかった。幼馴染と別の道を行くしかなかった過去を、今となっては許すしかない。それが正しいのだと、私は女なのだと、強く言い聞かせた。

「何か急用があれば屋敷にいるランポウかリディオを頼るといい」
「ありがとう。お世話になることがないようにも気を付ける」
「それが一番だ」
「Gは、お酒ほどほどにね」
「んなん言われなくても心構えてる」
「はは、どうだか。……二人とも、元気で」

 そうしてジョットとGと交互にキスを交わす。離れたって変わらない、私達の友情を約束した。私を許してくれた優しい二人を、信じてる。忙しそうにしているのは理由がある。時々とても何かに悩んだ顔をする。自分の事には疎くなる二人が、それでも二人一緒だから、心配はいらない。「エルザも一緒に行こう」、そう言ってくれてた日の対等さは、今ではもう必要とはしてない。私が触れてはいけない、彼らだけの苦悩がある。そしてその苦悩は、彼らの強みでもあるのだと私は知ってる。

「ああ、エルザも」

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