08

 足首にふれるさりげないレース生地がくすぐったい。胸元を飾る控えめなフリルが視界にチラつくたび、まだ違和感を感じる。ベルが出稼ぎ先で買ってきた絹の服。この町で着るには少し、よそゆきっぽさが隠せない。でも、ボロボロのシャツを何年も着まわしている兄からのプレゼントを、クローゼットに仕舞いっぱなしにはできなかった。せっかくだからとイルダさんに髪を結ってもらって、どこに出かけるわけでもないのに、すっかりおめかししてしまった。こんな格好するの、何年振りだっけ。
 ジョットとGに会うにしても、昨日までとは打って変わっていかにも女の子らしい服装をしている私を、彼らは笑わないだろうか。ジョットは、どう思うかな。
 町を歩く。『よそにボーイフレンドでもこしらえたかい?』『年頃だねえ』『若い頃のカティアと似ているな』、いろいろと声をかけられた。その大半は私にとって親世代の、特に母をよく知る町の人達だった。


―8年前―


『あらま、エルザったらそんなにおめかしてどちらまで?』

 また、呼び止められて歩みを止める。良く晴れた今日は、洗濯物をまとめて干す人の姿をよく見る。コザァートの家のおばさんも、いつに増して山盛りの洗濯籠を抱えていた。
 私はスカートをつまみ上げて、物語の見様見真似であいさつをする。ふざける私に、おばさんは愉快げに笑った。

『どこにもいかないの。ベルがくれたから、たまには着なきゃ』
『とっても素敵、カティアがみたらきっと喜ぶわ。なんだかホント、カティアそっくり。あっという間に彼女の年に追いつくわね、いまいくつ?』
『このまえ15歳になったばかり』
『この夏で10年が経つものね。……そうだシモン! シモン、ちょっとでてきなさい!』

 後ろの家にまで届きそうなおばさんの大声で、ご主人が出てくるのかと思った私は緊張する。しかしドアが勢いよく開き、姿を見せたのは私と同年代の男だった。さっそく目があった私たちは全くの初対面で、挨拶もままならない。まばたきをくりかえした。

『おばさん、その子は?』
『友人の娘のエルザよ。こっちはシモン、私の甥よ。あなたたち同い年のはずだわ』

 彼は被っていたキャスケットを取った。さっぱりとした赤毛が広がる。今日の日差しは強いから、彼の髪は光を受けてまぶしく見えた。人のよさそうな面持ちがどことなく、どこかのだれかさんと似た雰囲気。彼は手を差し出してきた。

『シモン=コザァート、しばらくこの町にいるんだ、よろしく』
『こちらこそ。良い町だから、気に入ってくれるとうれしい』

 軽い握手を交わし、目をあわせて笑う。コザァートの家族とは付き合いが長いこともあれば、彼自身に親しみやすさがあるせいか、すこしだけ緊張していた私は肩の力が抜ける。

『今日が初めてで来たばっかりなんだ、もしよかったら案内してくれないかな』
『もちろん!』

 彼はキャスケットを深めに被りなおす。わざとらしく顔を隠すようにする素振りが少し引っかかった。早速に手をとられ、案内をするのは私なのに彼に引っ張られるように町の中心街へ行く道を向く。おばさんは、次は3軒先まで届くような大声で言った。

『ちょっとあんた、荷物の整理は終わったの?』
『帰ってきてからするさ!』

 彼とは気が合いそうだ。呆れるような手振りをするおばさんの姿が、あっというまに遠ざかる。

『君の服は素敵だね。もしかしてこれからデートの予定でもあったかな』
『なかったけど、これってデート?』
『あはは、君次第さ』
『じゃあまずは道案内で』
『あっれ、つれないなあ』

 笑いながら冗談を交え、私はコザァートを引っ張った。デートは無しで、彼らにコザァートを紹介しよう。ジョットとGとも気が合うに違いない。
 けれど、気がかりがひとつ。コザァートはGを見て驚かないだろうか。Gはついに、真っ赤に燃え上がる炎のような刺青を入れた。それも堂々と首筋から右頬にかかっている。幼いGと死別した父親を知るという刺青師と出会い、Gは父親と同じ文様を背負うことを決めた。私もジョットも驚いたけれど、自分のルーツを認めたGをかっこいいと思う。

『道案内の前に私の幼馴染を紹介したいの、いい?』
『しばらくここにいるから知り合いは多い方がいいさ、よろこんで』
『よかった。あなたと同性だし、きっと話もあうよ』

 ならばよし。この時間なら二人は農場を抜け出してきているだろうと姿を探す。歩きながらも私はコザァートにどこに何のお店があるのかを教え、さりげなく、親しい店のことを宣伝しておいた。

『エルザは顔が広いんだな』
『大きな家族みたいな町だからね。コザァートの町はどんなところ?』
『地中海がすぐそこだ。海、見たことあるかい?』
『ないの。話にしか聞いたことがない』
『いつか来てくれた時にはオレに町案内を任せてくれよ』
『ぜひお願いしたいな』

 海は程遠い、山間のこの町の気候風土が珍しいらしい。コザァートは仕切りに辺りを見回して、自分の町との違いを意気揚々と私に語ってくれる。船にも乗ったことがあるらしい。この町の外を知らない私は、どこかで目にした一色のインクで描かれた海と船の絵を浮かべながら、コザァートの話に惹かれていく。そうだジョットも、山の向こう、海の向こうに興味を持っている。

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