01

 8年間。激動するイタリア統一運動の中で生きてきた。人で溢れる華やかな街で、いつも人波に流されないように必死だった。豊かさを覚えて、大人になって、踵の高い靴を好きになった。なんだか少し、空に近づけるような気がしたから。けれど、転んだところで見上げた空も大差なく、足の痛みとともに余計むなしくなるだけだった。

 8年前。15歳になるまで暮らしていた故郷は貧しかった。つつましやかな商人と勤勉な農民の町だ。けれど、地主や領主、貴族の目の届かないところで人々はとても陽気で、幼い私にとってあの町よりも豊かなところなんてないと思ってた。坂道も獣道も、障害物なんて一つもない。何も気にせず芝生の上を転げ回った。そこから見上げた空は、確かに私たちの近いところにある。そう感じていた。空に手を伸ばして、指の隙間から覗くまぶしい太陽だって掴めたんじゃないだろうか。大空に飲み込まれてしまいそうなすべての景色が、輝いてた。私たちはなんだってできる。そんな気持ちにだってなってしまう程、心が豊かだった。


 誰からだったっけ。「あなたに出会えてよかった」と誕生日にいただいた靴。あっというまに靴擦れしてしまったその足で、私は靴を買いに汽車に乗りこんだ。



ETERNA



 遠くのほうで、子供たちがかけ回っている。人の間をすいすいと縫っていくようにして、一体どこまでいくんだろう。にぎやかな声は鼻歌まじり。
 大人たちは日も登りきらないうちから酒場の店先でボトルを開けて、そこにいる一人の結婚を祝ってる。いや、結婚してしまうことを憐れみながら、労わりながら、でもやっぱりめでたいと騒いでる。誰一人として畏まった格好なんてしてなかった。くしゃくしゃのシャツ。酒場の前を通り過ぎていく礼拝帰りであろう淑やかな婦人が、いっそ別の国の人のように見える。けれど本当は、婦人だってこの町で育った活発な人だ。その証拠にほら、結婚という言葉を聞いて態度を一変、新婦の背中を叩いて祝ってる。


 音楽、言葉、私が知っている音が溢れてる。景色、空気。ここにあるすべてが褪せかけた思い出と重なりあう。
 私を育てたこの町に、そしてこの町で育った私に、踵の高い靴は似合わない。
もう何日も足首をガーゼでぐるぐる巻きにしている。足のむくみも限界だ。私は記憶だけを頼りに商店街を進み、顔見知りが営んでいた靴屋を目指した。


「見ない顔だね、旅行かい?」


 昼の賑わった小路で、私は花屋の前で足を止めていた。花の手入れをしていた店主は、すかさず私に声をかける。鮮やかなアイリスを抱えたまま。

「いえ、帰省なんです。そのアイリス二束くださいな」
「おっありがとね。しかしお嬢さんみたいなキレイな子忘れちまうとは、俺としたことが」

 私は覚えてるわ。あなたのお店で売り物のお花、ひっくり返したことあるんですもの。――とは、言えない。言葉を飲み込んで微笑んでみせた。

「8年ぶりです、子供でしたし」
「そうかいそうかい! よく帰ってきたね」

 そして私は包まれたアイリスを小銭と引き換えに受け取り、花屋を後にする。着替えと、全財産と、入るもの詰め込めるだけ詰め込んだ重たい鞄ですでに片手は塞がれてた。これで転んだら受け身は取れないなあ、と足元への用心は欠かせない。

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