05
ジョットからもらったこの靴が、早く足の形に馴染むといい。できるだけ早く。
『1週間後には本拠地に戻る予定なんだ』
ディスプレイされた靴を眺めながら、唐突に切り出したジョットの横顔が目に焼き付いている。
イルダ婦人のお店で、ジョットは真剣になって私の靴を選んでくれた。スツールに腰をかけて、足を差し出して、一体何足を履いてみたことだろう。早速に履き替えて帰る私を、イルダ婦人は笑ってた。
焦ってしまったんだ。1週間後には二人が本拠地に戻る。そのあとには私がこの町で二人を待つ番が来る。私の帰りを待ってくれた二人に、それまで何をしてあげられるだろう。
私は貯金を切り崩しながらの生活をしている身。財力も持った彼らに、何か高いプレゼントをするというのは、無理な背伸びだ。料理は、というと、どうやらあの屋敷には専属の料理人までいるというのだ。私の出る幕もない。
何か良いアイデアはないかと、通りがかりの八百屋で足を止めた。顔見知りの店主が愛想よく片手を上げる。
「やあエルザ、毎日買い出しとは熱心だな。けど戻ってきてからトウガラシ全然買ってないだろ、これがなくっちゃジョットとGの胃袋は掴めないぜ。ナスと合わせてどう?」
店主のピエトロさんはいつだって日焼けて真っ赤な顔をしている。店前にはいつだってつるされたトウガラシと木箱いっぱいのトマトの、つやめく赤。幼い頃の記憶を彩っていたのもこの野菜たちだ。
「え、今のボスたちの話?」
唐突にその人は、私とピエトロさんの間に割りいってきた。先客で、さっきからドリアを品定めしていた人。向かい合うと、表情にあどけなさが残る青年だ。昼寝から起きたばかりみたいな、ぼんやりとした目で私とピエトロさんを交互に見る。
「ランポウさん知らんのかい、こいつぁジョットとGの幼なじみだ」
ランポウと呼ばれた青年は、店主と私を交互に見る。大きくあんぐりと開いた口。スモモ一つ、そのまま押し込めそうだ。
「え、え、えー?!じゃあこの人がボスたちの幼馴染?!」
腰を抜かしそうにしながら、挙句私に指をさして、青年は声をあげた。ボス。自ら自警団の首領だと説明してくれたジョットのことだと捉えて間違いはないらしい。
「エルザっていうの、どうぞよろしく」
「パイの人だ! ……でも聞いた話じゃすぐに手をあげる暴力女でガサツだって言うけど、意外だものね、そうは見えない。あ、俺様はランポウ」
「……それを吹き込んだのは、G?」
「怒ってもナスで殴ったりしないでね。あと怒るなら俺様じゃなくてGを怒ってほしいだものね」
「……そんなことするはずな――」
その時、爆音が響いた。私の声も、道行く人の笑い声も遮られる。穏やかな町の変哲もない昼下がりが一瞬にして凍り付いた。木々に止まっていた鳥は慌ててどこかへ飛んでいく。けれど通り過ぎる人々は、時が止まったかのようにその場で固まっていた。
「……、……なんだなんだ今の音ァ!?」
真っ先に叫んだのはピエトロさんだった。銃声だとは気付かずに、恐怖ではなく迷惑そうな顔をする。町中が不思議なぐらい静まり返ったのも、銃声だと判断して悲鳴を上げる人がいなかったからだった。私は、声がでなかった。焦りで心臓が急かしたてられて、どくどくと音を感じる。銃声の音の元はどこだっただろうか。そう遠くはないらしい。この平和な町で銃なんて誰が……。思い浮かんだのはあの日、拳銃を私に見せつけたGの顔。いやまさか、その逆だ。武装自警団が必要な町になったということだ。
「じゅっ、銃声だものね! ちょちょ、ちょ、俺様行きたくないんだけど……っ、いっ行かなきゃっ……」
固まって動けない私たち通行人とは違って、ランポウという青年は誰よりも早く動いた。顔をこわばらせて行きたくないと一度は口にしたのに、銃声が聞こえた方を確信したのか、迷うことなく走っていく。彼の動きをみて、皆はふっと魔法が溶けたように動き出す。あっという間に、いつもの町の昼下がりが戻ってきた。
「……彼、とても怖がってるのに」
「自警団の仕事を自覚してるのさ。ランポウさんは大地主の御曹司でなあ、ここに来たばかりの頃は話の通じねえボンボンだったが、ジョットとGの姿を見てるうちに学んだか、しごかれたか、見てくれと言ってる事は頼りなさげだが、実際はやるときはやる男になったってもんよ」
なぜかピエトロさんが鼻高々として言う。走っていった青年・ランポウは見たところ丸腰だったのが心配だけど、どうやら町の人からはそれなりに信頼があるらしい。
「ああそうだ、なぁエルザ、おまえさんに頼みがあるんだが、あの屋敷まで今日のディナー分の野菜届けてくれんかね」
「ジョットたちのところへ?」
「ランポウさんに頼んじまおうかと思ったが行っちまったしな。トウガラシとナス、それからトマトはおまえさんに駄賃としてあげるからよ」
私が返答をする前に、野菜が入った紙袋を足元に置いてくる。この後精肉店にでも行こうかと思ってたところだけど、野菜をもらえるっていうのなら話は別だった。トウガラシ、どう使えばいいのだっけ。母のレシピは家に残っていたっけ。
紙袋には野菜がいっぱい詰まっていた。一番上には大ぶりで鮮やかな赤いトマト。このままかじりついたって瑞々しくて美味しいに違いない。
両腕で抱えていけるだろうか。紙袋を持ち上げようと腰を曲げる。
「……ん?」
ふと、目に付いたのは紙袋に印字されている八百屋らしからぬ紋章だった。中央に表される弾丸。シンメトリーな紋章には小さな文字で"vongola"と書かれている。八百屋だというのに海の二枚貝。弾丸。とてもちぐはぐだ。
「おじさん、どうして八百屋がボンゴレ?」
「それはうちの家紋じゃないよ。ボンゴレに届けるときはいつもその袋なんだ。うちは御用達だよ」
「ボンゴレ……?」
私が首を傾げていると、店主も怪訝そうだった。私の言ってることがおかしいのやら。浮かぶのはふっくらとした貝の身。白ワイン煮? パスタ? それとも斬新に弾丸和えなんてどうだろう? 冗談じゃない。ついさっきの銃声も合わせて、私の頭の中でいくつかの点が結びつきそうだった。
けれど、来客を迎えるピエトロさんの威勢のいい「いらっしゃい!」の一言ですべてが吹き飛んだ。惜しい。どこまで考えたっけ。
「おいおいさっきの銃声聞こえたか? この町も物騒になったなあ、ピエトロのおっちゃん」
それでも私は考えようとした。八百屋は八百屋。二枚貝はさておき、弾丸を描いた紋章、さっきの銃声。私がこれから野菜を届ける先は――。
ピエトロさんに気さくに絡むその男の声は、私の思考すべてに覆い被さってくる。
私は息をのんで振り返った。声一つ、古い記憶にわずかに触れて、思い出す。覆いかぶされそうなほど大きな体がそこにある。上下黒のスーツ。筋肉質なのは服の上からでも一目瞭然だ。まるで大熊みたいなその人は、店先のトウガラシに頭が届きそうだった。
さっぱりとした短髪。黒の髪。白い肌。しかし首に残る、赤黒い火傷の跡。
「……ん?お前、ベルナルドか、いかつくなったなあ。誰に似たんだ。エルザはこんなにカティアに似て美人になったつうのに」
ピエトロさんに背中を突き飛ばされて私は男の方へよろめいた。あぁ、まだ袋を持ってなくてよかったと、心底安心してた。受け止めてもらえる確信をして、甘えたのだ。やはり私を受け止めるその手は、大きくて、優しい。
「ベル!!」
8年前、この大きな胸板に飛びついた最後は、ナポリだった。
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