01

 もめていたのが原因だろう。エルザの足元にはがくから落ちたアイリスの花が落ちていた。俺はしゃがみ、彼女に気付かれる前に手にはめていたグローブを外す。8年ぶりに会う幼馴染にこれでは無礼だろう。アイリスを拾ったその手で、その手をエルザに差し出した。
 躊躇うのかと思えば、迷いなく俺の手を取り、アイリスを潰さぬように指先だけで力をいれてきた。どくりと強く音を立てた心臓。この脈に、気付かれていないだろうか。


「ありがとう」


 俺と、俺の肩越しに空を見ていたその瞳を細めて笑う。記憶に残るエルザの顔立ちと思い比べても驚くほどの変化はないというのに、社交の場で初めて出会った女性のような気がした。垢ぬけて、たおやかさを得たのだろう。
 果たして、俺とGと幼少期を過ごしたこの幼馴染というのは、差し伸べられた手を真っ先に取り、そして素直に礼をいっただろうか。いつもエルザの「ありがとう」は「くやしい」の次にあった。

「災難だったなお嬢さん」

 からかい気味にGがエルザを小突いた。Gの表情を窺えば、思っていることは俺と同じなのだろう。8年間音沙汰がなかった幼馴染の帰省がよろこばしい反面、さて、大人になったエルザの化けの皮をかぶっているのはどんなガキだったか――。そんなところだ。

「災難って……っ、あーっ、くやしいよ」
「お」
「でた」

 俺に引っ張り上げられて立ちあがるときに、途端に顔をしかめたエルザ。言葉になる順番が違うだけで、考えていることは変わっていないようだった。フリオとガストーネ相手に力では敵わなくなったこと。そしてまた俺たちに引っ張り起こされていること。そのどちらもエルザにとっては、純粋にくやしいのだ。きっとくやしさの基準は子供の頃のままだろう。拗ねたような表情で、俺とGとも顔を合わせようとしない。
 そしてようやく幼馴染が帰ってきた実感がしてきたのだ。俺もGも思わず笑うことを堪えらそうにない。残るエルザの大荷物を拾い上げながら、二人で笑った。

「ははっ、くやしいか、怖いじゃなくて」
「笑わせんなよ、お前この町出て、花嫁修業でもしてちったぁ淑やかになってるかとおもえば」
「二人して何よ。そうやって私のこと小馬鹿にして!」

 むくれた顔をしてみせるエルザだったが、どうにも人の感情に釣られやすいところがある。一人だけ拗ねているのもばかばかしくなるだろう。あっという間に歯を見せて笑った。小突かれた仕返しにとでもいうように、Gを叩く。そんな無邪気さも変わっていない。幼い頃の二人を見ているようで、ここにいる俺自身もあの頃のようだった。

 だから錯覚してしまいそうになるのだ。エルザはずっとこの町にいたんじゃないか、と。俺はまたエルザがいる夢を見ているだけなんじゃないだろうか。


「そうやっていつも……、……変わってないね」


 エルザは糸が切れた操り人形のように、急に声に張りがなくなる。幼い笑顔ではなくアンニュイな表情で俺とGを交互にして見る。ああ、そういう顔、どこで覚えたんだろうなあ。


「……私、この間までシエナで暮らしてた。二人に話したいことはいっぱいあるの。私、ひどいことしちゃったもの」


 そしてバツが悪そうに目を伏せたエルザが言う。「シエナ?!」と驚いたGが問い詰めるようにおうむ返しをしても、分かっていて何も言わない様子だった。

 今のエルザはまさに特別な日の後のような恰好だ。都市で暮らしていたのだろうとは一目でわかったが、そんな遠くまでいってたとは思いもしなかった。エルザが8年前にここを去ったときが15歳。まだシエナなど他国も同然だった。この国がイタリアと呼ばれるようになって一つに括られているが、簡単に行ける場所ではない。一体なぜ、どうやって、どうして。問いただしても、笑ってごまかされそうだ。

「よかったらまた今度、改めて会えない?」

 遠慮がちに尋ねるエルザ。そうか、俺たちはもう約束しなければ会えない大人になったんだ。だがそれ以上に、少なくとも明日に居なくなったりはしないのだと安堵する。次の日には、どうだろうか。

「そうとなれば早い方がいいな。明日にでもスケジュールを開けたいんだが、G」
「明日は無茶だ。予定があること忘れんなよ」
「明後日」
「明後日って、お前なぁ……」

 Gはくたびれた顔をして俺に耳を貸せと小さく手を招く。「焦る気持ちは分かる、少し落ち着け」と。

「おいエルザ、そっちは身の回りの片づけがあるだろ」
「といってもここにある荷物だけよ。二人の都合に合わせるけど……、そういえば二人は何の仕事してるの?」

 何一つ疑わない様子で小首をかしげたエルザ。この町に帰ってきて何も聞いていないのだろうか。

「ああまあ、それについてもまた話そう」
「水臭いったら」
「お互いさまだろ。さ、家に帰るんだろう」

 旅行用にしては大きすぎる鞄と、すぐに使えるようにしてある鍵と花束を見ればしばらくは昔の家に滞在するらしい。具体的にいつまでか。聞き出そうかとも思ったが、それもまた上手いことはぐらかされそうな気がしてやめておいた。

「二人とも荷物ありがとう、じゃあ行くね」
「いや、良ければ送るさ」
「悪いが帰る方向が一緒でな」

 一緒?エルザは小首をを傾げた。ああ、一緒だ。


 Gとたった二人で組織した自警団が形になってきた後、俺たちはエルザの家よりも奥にあった廃墟の屋敷を買い取った。ファミリーが増えるにつれて、増改築を繰り返して大きくなったボンゴレの隠れ家。今となっては町中に大きく構えなかったのは正解だったと思う。ただ一つ、これからエルザの暮らしに危害が加わることだけはあってはならない。そんなこと誰にさせはしないが、さて、ボンゴレをお前になんて説明しよう。

「ジョット、G、坂登るの遅いね、もう年かな」
「おーら、もういっぺん言ってみろガキ。ここで荷物置いてってもいいんだぜ」
「それは困るんだなあ」

 生家への足取りが軽いエルザの後を追う。お前が笑わなかった日も、「じゃあ、また」と当たり前の明日を思い描いた。俺たちにとっての明日が来ることをずっと待っていたんだ。


「なぁエルザ」


 名前を呼べば振り返る。当たり前に声が届く距離。たったこれだけのことを望んでいた。


「おかえり」


 この町を帰ってくる場所だとしてくれて、ありがとう。

top

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -