01

 潔く認めよう。あれはまぎれもない初恋だった。前に、後に、浮かぶ女性の顔がない。きれいなままの思い出が、反して大人になっていく俺の後ろ髪を掴んで離さない。

 今でも、俺たちとこの町で大人になっていく彼女が夢にでてくる。俺とGも自警団を起こすことなく、3人でなんでもない大人になっていた。上質に仕立てられた服を着るでもない。腕のいい料理人に毎食世話になるでもない。立派な屋敷に住むでもない。ただぼんやり、目覚める、ベッドの隣のぬくもりを確かめる。遠い記憶にある母親とよく似たやさしさが漂う部屋に、一足先に目覚めた彼女がいる。いないはずの彼女がいる。朝の冷たい風が吹き込んで、レースカーテンを膨らませれば、彼女を包んでさらってしまう。ああ、夢なんだと気付いて、本当に目を覚ます。

 いなくなってしまう前日、ひとつも笑わない彼女にどうしようにもない愛しさを覚えた。あたたかなこの町に育てられて、どんな表情も豊かに持っている。そんな彼女が笑わないのは、いつぶりのことだっただろう。悲しいことがあったのなら、できるなら抱きしめて、気が済むまで傍にいてやりたかった。というのも、愛しさの裏には大きく渦巻いた不安があったのだ。

 抱きしめたいと思った時、幼い頃から一緒にいた彼女を自分とは違う"女性"なんだと強く意識した。名前を持たない感情が、その時ようやく恋という輪郭をもった。

 だがもう遅かったのだ。渦巻いた不安は恋以上に明確だった。彼女はパッと、いなくなってしまうんじゃないか。昔から勘が働く俺は、ほぼ確信したのに、その気持ちを振り払った。考えないようにした。また明日、笑ってくれるだろうと自分に言い聞かせた。彼女が最後に「また明日」というのだから、俺は当たり前のように明日を待っていた。
 そして何も聞き出せず、指ひとつ触れず、何ひとつ言えず。8年前。彼女が兄とともに忽然と消えた。その朝はその年もっとも長く続いた大雨だった。晴れ上がった後の虹は鮮やかだったという。俺の目には、ちっとも見当たらなかった。



ETERNA



「おい、フリオとガストーネがひっかっけてるあの女……」


 先に異変に気付いたのはGだった。昔から目ざとい奴で、周囲への注意は欠かさない。
 喫茶店の外は人通りがなく、迷わずフリオとガストーネだけが視界にはいる。奴らは何度言っても懲りないらしい。何もできなかった頃の俺は、二人の身勝手で泣く羽目になった子達を慰めるのが精一杯だった。代わりと言ったらなんだか情けない話だが、俺とは反対に、奴らに飛びかかっていった勇猛果敢な幼馴染がいた。それも女の子だというのに、飛び蹴りだって躊躇わない。顔に傷をつくっても気にしない。まさに男勝りという言葉を、町の人たちは彼女のために使っていた。

 3日前。靴屋のイルダ婦人が俺とGのところへ手紙片手に駆け込んできた。驚く俺たちの様子なんて気にも留めず、息を切らしながら、「あの子が帰ってくるわ」、と。
 エルザ。悩まずともその顔はすぐに浮かぶ。といっても、8年前、15歳。脳裏に焼きついているのは、笑わなかった日の顔。


「エルザ」


 フリオとガストーネに挟まれて抵抗が敵わない女性がいくらか弱く哀れに見えても、俺たちは見間違えるはずがなかった。飛び蹴りもひっかきも、もうしないらしい。
 3日前から心の準備はできていて、必ず前を通るだろうと見越した喫茶店で待っていたんだ。自分はとても冷静なつもりで立ち上がった。それでも思ったよりも勢いがついて、椅子を倒しかけてしまった。Gが直してくれている。俺は真っ先に外にでた。

「フリオ、ガストーネ。その人はどちらかの恋人かな? そうでなければ離してもらいたい」

 二人はまず俺の顔を見るなり明らかに動揺し、後から続くGを見て後ずさる。釘をさすように忠告すれば、「なんでお前らが揃うんだ!」と唾を吐きながら去っていった。そう、偶然のように俺たちが揃う。これを縁と言わずして何と言おう。

「助かった……」

 女性は解放されてふらりとその場に崩れこんでしまった。昔からそうだ、崩れるときに明らかに人の方を避け、助けられることにひどく負い目を感じる勝気な性分。
 なぜか、今日はいい天気ですよと、使用人に背中を押されて外にでた朝を思い出した。ああそうか、今日は雲ひとつない快晴だ。気にもとめていなかった日差しが、顔を上げたその人の表情を明るく照らす。表情のこわばりが緩やかにほどけて、記憶の中のエルザも8年ぶりに笑った。

top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -