12

「シエナで働き始めて1週間たった時に手紙を寄越したきりだなぁ」


 奥様を連れて訪れる大きな邸宅も、久し振りだった。「今は警備体制を強めてて」と、奥様は物かなしそうな顔で言ったが、私達はご厚意で屋敷の中まで入れてもらえた。奥様を使用人に任せて引き返そうとしたところで、来客を聞きつけた旦那様が顔をだしてくれたのだ。私に気付くなり笑顔を見せ、応接室へとひっぱりこまれた。

 旦那様は相変わらずツイードのスーツがお気に入りらしい。私をここから送り出した時より、貫禄が付いたふうに見える。

「旦那様、おかわりないようで」
「お前は垢ぬけたな。ここでは田舎者と笑われたお前も、シエナでの暮らしで都会慣れしたもんだ、その男は恋人か?」

 すこし古い型の人間で、頑固なところがある旦那様だけれど、面と向かって反論さえしなければ気を悪くする人ではない。その質問は想定済みだ。ごく自然に、彼の第二の名前を間違えないように、ここに来るまで心の中で唱え続けた。

「彼はアルバート、ええっと……」「スコットランド」「……からの留学生で、ナポリを案内してるところです」
「ずいぶんとイタリア語が達者だ、熱心だね。他は」
「3か国ほど」

 アラウディさんの話に合わせながら、その一言一言を私は疑った。欺かれてるのは旦那様と奥様なのか、それとも私なのか。すました横顔は、私に「アラウディ」と名乗った時の冷淡な顔つきと同じだった。

「君たちには妻が世話になった。アイツは娘に対して過保護すぎる、冷静じゃなくて困ったものだと思わないか」
「アロンザ嬢はどうなさったんですか」
「まぁ、冒険さ。うちは男手がいない、長女は嫁いだし、この家はアロンザに継がせるんだ」

 旦那様の言葉に、私は記憶を振り返る。たしかに、私の知っているアロンザ嬢は幼いながらに賢く、仮に男だったとしたら誰もが認める家長になるだけの器量がある。17歳になったという今でも変わりないのなら、婿を取るだけ取って自身が実質の地主を務めるのも難しいことではないのだろう。ただ、どうやらアロンザ嬢はおてんばが過ぎる年頃のようだ。時刻が18時を回る今でも、年頃の娘が帰ってきていないとなれば、それは奥様も心配になる。

「旦那様、アロンザ嬢は今日出て行ったというわけでは……」

 私の言葉の途中、ノックの音の後に年配の使用人が入ってきた。私の知ってる顔だったが、あちらは私には気付いた様子もない。旦那様は私達に断りをいれると、席を立って使用人の方へ寄った。

「旦那様、お客様です。隣の応接室にご案内しました」
「予定はしていない。誰だ」

 旦那様はしきりに時計を気にしながら、使用人からの耳打ちに眉をひそめた。

「……司祭様だと? 今朝来たばかりだろう……ああ、ああ、分かった、夕食の時間を遅らせるように伝えてくれ。
エルザ、アルバート君、もてなし一つできずにすまないね。今日のところはこれで」
「ええ。お忙しいのでしょう」
「いいのさ、久し振りに顔が見れてよかったよ」
「こちらこそ。アロンザ嬢の次のお誕生日にはプレゼントを贈ります」
「娘はお前の武勇伝が好きだった、お前からのプレゼントとなればきっと喜ぶ」

 アロンザ嬢をおてんばにしたのは、私ではないかと遠回しに言われた気がする。悪気のない旦那様の笑顔につられる反面、帰り道もしきりに泣いていた奥様を思うと心が痛んだ。
 旦那様は「それじゃあ」と言って部屋を出ていく。私達も使用人に案内されるがままに廊下に出たが、来客のあった隣の応接室に入っていく旦那様は、打って変わってなんだか不機嫌そうに見えた。

「ところで」

 使用人に送り出され、前庭を歩く中で、私はひそめた声で隣の彼に問う。

「どこからどこまでが本当のあなただか、さっぱり。アラウディさん? アルバートさん? どっちで呼べばいいの?」
「君の幼馴染にはアラウディで通じている」
「ならアラウディと呼んでいい? なんかこう、……歯がむずがゆい」
「馴れ馴れしいよ。君」
「ははっ、よく言われる。きっとあなたはジョットとGにも同じことを言ったのでしょうね。とにかく、アラウディ、あなたが話せるのは、英語、イタリア語、それから汽車の中で読んでた本はドイツ語だった。本当はあと何か国語に通じてるの? 出身はイタリアとスコットランド以外、留学生ではなくて……職業は?」

 やっと、彼と会話ができるようになってきたことに自然と安心感が伴ってきた。いつまでいるのかもわからない不安だらけのナポリの街で、今の私にとっては唯一の頼りにできる人だ。私はついつい、喋り過ぎてしまう。幼馴染と一緒に居る時だってここまで饒舌じゃない。
 彼はくたびれたようで、今一度ナポリの地図を開いた。

「服を買う前に食事にでもいこう。好きなだけ食べればいい、とにかく君は口に物を詰め込んで、口数を減らすべきだね」
「それは……ごめんなさい。だったら美味しいお店を案内するわ、つぶれてないといいけど」
「旅行気分なのかい?」
「まさかそんな」

 厳しい指摘に私は肩をすくめた。バカみたいな笑顔をつくってみせた。彼の呆れた顔を定着させてしまっているのは、確かに私だ。
 旅行気分? まさか、そんな。私は、何もわかってないことの恐怖を、愉快な言葉にかき混ぜている。彼が私にちっとも興味ないのをいいことに、彼の視線が向けられないうちに、あちらこちらを見回してはナポリの街を探ってる。
 まだ眠らないナポリの街の、この騒がしさは何だろう。


「……ねえ、何か、騒がしすぎると思――」


 邸宅の門を抜けた日没の街。隣を歩く彼の方を窺うとそこに彼の姿はあらず、私は何かに強く腕を引っ張られた。

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