08
商店のある通りを過ぎて、昼間でも静かな住宅地に入る。彼らのおおきな家の前では年少組が遊んでいるのが見えたけど、ジョットとGの姿はなかった。おかしいなあと足を止める。私とは別に、コザァートは何かを見つけたようで私の肩を軽く叩いてきた。コザァートの視線の先を追うと、家の陰に座り込んでいる人の姿があった。
『彼は一体どうしたんだ、紙を……食べてようとしているのか?』
『……プブリオ! 同い年の友だちなの!』
私はコザァートと繋いでいた手を解いて、プブリオに駆け寄る。私に気付いてギョッとすると、慌てふためいてその手に持った古紙を隠した。彼の周りには新聞が積みあがっている。この町にはめったに新聞が届かないけれど、確か、彼の父親のパオロが遠くの町まで行って新聞配達の仕事していた筈だ。パオロは半年分の滞納が噂だって出稼ぎ先を解雇され、つい先週この町に戻ってきた。後日、滞納分はきっちりと徴収されたときいた。息子であるプブリオもまた、しばらく見ない間にすっかり痩せこけてしまった。一体何日、何も食べずに過ごしてきたのだろう。紙で空腹感をしのぐなんて、よっぽどだ。
『プブリオ、この新聞、捨てちゃう?』
『やっ、これは……』
新聞の一面の角が無造作に引きちぎられていた。ごくり、とプブリオの喉がうごく。私は積み上げられた新聞を取って、分からない単語ばかりの紙面を広げた。
『すごい、これナポリの新聞ね! それも4日分もあるじゃない! 日付は……先月、ねえこれ買い取っていいかな、勉強に使いたいの。ごめんなさい、代金はこれで足りるかしら』
プブリオの手に銀貨をひっくり返して、私は古新聞を両腕で抱えた。ごくり、とまたプブリオの喉が動く。彼は静かに頷くと、銀貨を数えながら家の中へと入っていく。『売ってくれてありがとう』と声をかけると、プブリオは振り返って『出世払いで返すよ』と涙声で言った。
そうして待たせてしまったコザァートのところへ戻る。なぜかコザァートは私を見て半笑い。
『新聞読めるの?』
『兄に読み聞かせてもらおうかな』
『はははっ、そりゃいいな』
コザァートはポケットから財布を取り出して、銀貨二枚と引き換えに私の腕から新聞を2部抜き取った。
『それで、彼が君の幼馴染?』
『彼は違うよ。あの家は納税額を引き上げられてて苦労してるの、あんな様子みたら黙って見過ごせないよ』
『なるほど』
するとコザァートは通り過ぎざまに、その財布をプブリオの家の納屋の前で"落とした"。落とした、というより、それは正確に狙って開きっぱなしの納屋へ投げ込こまれたといえる。
『……コザァート、あなたってすごい人!』
『そうかい? しょっちゅう物をなくすオレをほめる人は少ないさ、母さんにも呆れられる』
『しょっちゅうって、あーあ、そりゃ事情分かんなきゃ怒られるよ』
『そういう君も予想外の買い物が多いんじゃないか?』
『ふふふ、そのとおり。兄にまたか、って顔されるの。なんでかってのは内緒だけどね』
『オレも誰かの前でやるのは初めてだ、内緒にしててくれよ、おばさんに伝わったら母さんにまで伝わるに違いない』
そういって情けない表情、照れた様子。でも、彼はお咎めなんて恐れてもいないんだろう。私はすごい人に出会っちゃったのかもしれない。このご時世、あんなことができるなんて、ただものじゃないってかんじ。
さて、肝心のジョットとGはどこにいるのだろう。彼らが居そうなところを当たろうかと思った時、『おい!』と大きな声が私達の背中に向けられた。
『おい!そこのお前! 赤毛のお前だよ』
振り返ると、ついさっきコザァートが落とした財布を手にしているジョットとGがいた。
『財布を落としたぜ、パオロん家の納屋に――って、エルザ!』
コザァートの隣に私を見つけて驚いている。私は二人に小さく手を振り、いつもと違った服装でいることを思い出してコザァートの陰に少し隠れた。けれどGなんて目ざとくて、私の胸元と裾のフリルに気付いて表情をゆがめた。その顔は、今にもはちきれそうな大笑いを堪えているものだ。
『ん、ああ……まいったな、そいつはわざと落としてきたんだ』
コザァートは通り過ぎてきたパウロの納屋を見やった。すこし残念そうに苦笑する。
いつものことだけど、ジョットもGも人がよくて、人がものを落としたら走って追いかけていく。でもそれ以上に彼らは人をよく見ているらしい。特に、"あんなふうに分かりやすく財布を落とした"コザァートにわざわざ届けようとするほど、二人も"バカ素直ではない"。なんか元々考えがあったんでしょ。私はジョットとGを交互に見て、それを確信する。
『そうか、余計な事をしてしまったな。だがパオロん家の事なら心配ないぜ。俺たちが買い集めた食料をパオロん家の納屋に"落としてきた"のさ』
『なんだ、ハハッ、君たちも同じことを?』
『ああ』
ほらやっぱり、二人は似ている。笑うと溢れる雰囲気だとか、人への気遣いの仕方が、そっくりだ。Gもそれを感じ取ったようで、こっそりと私を手招いて不思議そうである。
『紹介するよ、彼はシモン=コザァート、コザァートおばさんの甥なんだって、町案内してたところ。それでこっちが私の幼馴染の……』
『ジョットだ。こいつは相棒のG』
彼らは交互に握手を交わし合った。これから楽しくなりそうだ。まもなくして10年目の夏がくる。乾いた風すら暑い日のことだった。
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