07

 今までにないピンチだ。私は隣のGを横目で伺った。その表情に焦りが見えても、言葉で意思疎通ができない状況。私もGも腕を縛られ、口に布を当てられて喋ることができない。町はずれの小屋に押し込められて、何分、何時間が経っただろう。


―9年前―


 この町の中でも若年層が取り仕切るギャングの仕業だということはすぐに気付いた。見慣れた顔ぶれではあるが、決して近寄らないようにと大人たちから釘を刺されてきたのだ。
 私とGは、日ごろの喧嘩で目を付けられたんだろう。主犯格らしい男が小屋にやってきて、両手足を拘束されている私たちをみつけると、にやりとして歩み寄ってくる。離れの耕作地近くに住むウルデリコだ。ウルデリコはかがみ、私を見る。首から腕にかけて、おどろおどろしい刺青があった。咥えさせられた布が解かれ、したたる涎をぬぐう間もなく前髪を持ち上げられる。

『ッ今すぐ離せ!! 警察がくるぞ!!』
『ハッ、この町の警察なんて給料泥棒だ、嬢ちゃんだってわかってんだろ』

 油で汚れたような手で軽く頬を叩かれる。噛み付いてやろうかとする私を、隣のGが体をぶつけることで止めてきた。Gは私よりは冷静で、眼光を鋭くしてウルデリコを睨んでいる。

『すぐにバレるさ、お金が欲しいたって私たち、もうあんたの仲間に根こそぎ持ってかれて、1リラも持ってないんだからね!』
『んなら売りさばく前に、嬢ちゃんを試してやってもいいんだぜ』

 私とGを狙えと、ウルデリコが手下に指示したところで、私たちのお金は私たちを捕まえたやつらの取り分だ。ウルデリコはまだ"足りてない"という様子で、私の胸倉を持ち上げた。さっきから、Gにはちっとも目をくれない。分かってる。最近よくわかるようになった。Gにはなくて、私にはあるもの。胸がふくらみを持ち、はじめて意識して自分の手で触れたとき、女の弱点なのだなと知った。ウルデリコの片手が抵抗できない私の胸に触れ、申し訳程度の布のしたで、鳥肌が立つ。幸い、Gは目をそらしてくれている。
 うめき声をあげても、助けてくれる人はいない。ウルデリコの手が服の中まで伸びてきそうだ。触られたくない、こんなごつごつの、油まみれの手。泣くな、泣くなと、言い聞かせて、その時、小屋のもろいドアが、蹴破られた。

『――っ誰だ!?』

 ウルデリコの手が離れ、私は床に転げ落ちる。敵が増えたか、助けが来たか、砂煙が人影を包んで視界をかすませる。


『二人を離してくれないか』


 聞きなれた声だった。


『……噂には聞いているぜ臆病者』

『あぁ、俺は臆病者さ。暴力は無しだ、何が目的だ?』

『こいつらの保護者を呼んでこいよ、身代金をいただくぜ』


 ウルデリコの大きな体越しに、ジョットの顔が見えた。怖気づきもしないで、ウルデリコとの距離を徐々につめている。私と目が合うと、彼は力が抜けたような溜息をこぼす。薄暗い小屋に、外からの光が差しこんで、ジョットの周りを縁取っていた。私はまた、彼と神様を見間違いそうになる。そう、そんな細身のジョットだからこそ、体格差のあるウルデリコなら迷わず手を上げてしまう。来ちゃだめだ。気付かれないように首を横に振る私に、ジョットはただ微笑むだけ。ポケットに手を忍ばせた。

『それには及ばない、これでどうだ』

 麻の巾着袋を、ジョットがウルデリコに手渡した。金銭だというのは、すぐにわかる。こんな方法しかないのか、これではこれからもカモにされてしまう。Gも唸り声をあげてジョットに意志を伝えようとする。
 しかし、眉をひそめたウルデリコはすぐに中身を確かめる。ウルデリコの手のひらで数えられるたび、銀貨が音を立てる。ウルデリコは自分のポケットに巾着袋を仕舞ってしまうと、唾を吐き捨てるようにしてジョットを睨んだ。

『孤児院のガキがいい暮らしぶりだな』
『……ウルデリコ、親父さんが蒸発したと聞いている、おふくろさんだって農園で働きづめなんだろ。弟のリディオもギャングの運び屋をやってるそうじゃないか、それでパンと服でも買ってやるといい』
『そりゃ名案だが、――俺はお前みたいな善人が気に食わねえ!』

 ウルデリコがジョットめがけて腕を振り上げる。
 この腕の自由が利きさえすれば! 私は思わず目をつぶり、肌と肌がぶつかる破裂に似た音のあと、恐る恐ると目をあけた。

『ジョッ……ト』

 信じがたい光景が目の前にある。ジョットは自分より一回りも二回りも大きなウルデリコの拳を、片方の手のひらだけで受け止めていた。


『これ以上は交渉決裂だ。この町に住むしかないのなら、家族の事も考えろ』


 それでも笑顔を絶やさないジョットに私ですら、普通じゃない、と思ってしまう。ウルデリコの表情にも動揺が見えた。私のよく知る救世主でありながら、普段と違う喋り方をする。臆病なんかじゃ、ない。

 ウルデリコがジョットの手を振り払い、ジョットが壊したドアを踏みつけながら去っていく。私とGはあっけに取られていた。 助かった、あれ以上の乱暴も、売られるのも、ましてや身代金の要求も免れた。ジョットは蹴破ったドアを見て、『ここの持ち主は誰だったかな』なんてのんきに言う。ここの持ち主だった男は夜逃げして行方不明だ、伝えようしたのに、私は力が入らなくて声もでなかった。

『探すのにかなり手間取って遅くなった、すまない』

 ジョットは私たちを拘束する縄を解いてくれる。ようやく自由がきくようになったGはジョットの両肩を掴み、険しい顔で詰め寄った。

『あの金はどうした!』
『グレータから借りたんだこれで3カ月毎日掃除を手伝えばいいだけさ』
『なら俺が全部代わる。お前にそこまでさせらんねえ』
『いいや、Gはこれからグレータの説教が待ってるぜ』

 Gは何より、ジョットの身を案じたんだろう。怒っているようにみえて、助けてもらった恩義にたまらなくなってる顔だ。

『ついにギャングを敵に回してしまったなしな』

 とはいうも笑顔で、無傷のジョットを目の前に、私とGは言葉もなかった。ジョットに引っ張り起こされるその力強さ。立ち上がった時、私はもうジョットに背を越されてしまうのだと気付いた。喧嘩に走る私たちより、常に一歩引いていた彼が、私たちの知らないところで一番人のために走っていたこと。気付いていたけど、気に留めてもいなかったんだ。初めて握手した幼い頃とはずいぶん変わって、大きくなったジョットの手。とっくに男の人の手だった。

『……悔しいよ、これから目つけられるのはジョットなのに、私じゃもう、力で男に敵わない、助けられるかな』
『こんなときまで意地を張らな……って、おいっ、ああもう』
『ん?』

 急に焦りだすジョット。その視線は私の胸元に向いていたのだと察するとほぼ同時、ジョットにジャケットをかぶせられて視界を遮られた。
 原因はこれだ、ウルデリコに乱暴され、わずかにはだけた胸元。気持ち悪さがぶりかえしそうなのも、よく知っているにおいが、なんだかごまかしてくれている。干したてのにおい、ジョットのにおいだ。

『頼むからもうちょっと、女の子だって自覚してくれ』

 はじめてジョットに切実な頼みをされた。ちくりと胸が痛む。幼馴染だから対等だと思っていた私たちの間に、突然性別という決定的な差が表れたみたいだ。
 ああ、私は女なんだな。分かっていたのに、自覚するのが遅すぎた。





 あの翌日から、Gはジョットにいくらでもついていくようになった。たとえばフリオとガストーネが年下をいじめたって、女の子を泣かせたって、私たちが真っ先に手を出さなくなったことにジョットは驚いていたけれど、それも最初のうちだけ。近頃はジョットが前に出て話し合いで事が済んでしまう。それから、ジョットはウルデリコの弟にも気にをかけ、食べ物を恵むようにもなった。他人の喧嘩の仲介もするようになった。いつのまにか立場は変わりつつあって、無茶をするジョットにGの心配が尽きないらしい。


 私の前を歩くジョットの背中を見ていた。振り向きざまにきらきらする橙色がすきだ。Gと肩を並べて笑うジョット。時々私の知らないところの話をするようになった二人に、私はついていけないでいる。男達の世界に一歩、近づいている二人を知っている。ジョット、そのサスペンダーを掴んで、振り向かせたい。でも手を伸ばせない。その時、私のなかで≪アレ≫を押しのけてこみ上げてくるもどかしさがあった。違和感を覚えながら、見つめた。
 こっちを見てほしい。こんなに小さくなってしまった私を見てほしい。そう思ったら、ジョットは振り向いた。頬の大きな絆創膏。『なに?』私はとぼけて、顔をそらした。だって、きっと、私の頬は桃色だ。

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