06

 朝からパスタを茹でようとしたら、兄は時間がないからと結局何も食べずにさっさと出て行ってしまった。休暇を取ってるのではない。もともと仕事のついでに立ち寄ったというのだから、忙しい朝になった。まぁまた、そのうちケロっと戻ってくるんだろう。昔から兄は日中のほとんど働きにでていたのだ。感傷に浸ることもなく、幼い頃の感覚を取り戻しつつある私は、生まれ故郷での生活に馴染み始めていた。

 兄を見送ったその足で、開店間もない花屋へ種を買いに行った。剪定用の鋏も買った。家にあるジョウロと鎌はまだ使える。プランターも余ってる。家の前の花壇を整えるだけなら、これで十分だろう。

 そうして庭にはひとまず一式の道具が揃った。ジョット達から庭師を紹介してもらいたいところだけれど、生憎そこまでのお金はない。とりあえず、春を迎えたにしては殺風景なこの庭を、彩りたかった。
 母を亡くしてから私達の家の庭には花が咲かない。花を植えることが、まずなくなった。自生する花を見られるのも、ほんのわずかな間だ。私は思い切ってブラウスの袖をまくる。小屋からスコップを引っ張りだそうとしていると、施錠していないフェンスが開く音がして、続いて申し訳程度の小さな鈴が鳴らされる。私は振り向いた。

「おはよう、エルザ」
「朝っぱらから何しようとしてんだ?」

 平和ボケ、というのだろうか。故郷の空気は優しくて、私は警戒するということを忘れつつある。兄に言われた「ボンゴレには関わるな」。ボンゴレが私の幼馴染を指すことも分かったが、兄の忠告を心の片隅に追いやって、毎日のように彼らの顔を見ては、ほっと一息を吐く。危害どころか、安心感をもらってる。

「おはよう、ジョット、G。これから町へ?」
「いや、散歩がてらお前の顔を見にいこうかとおもって」
「俺はタバコ買に行きてえんだがな。……ところでおい、お前んとこの兄貴が帰ってきてるんだろ」
「もう、Gはそうやってすぐ嫌そうな顔しないの。幸い、ベルはもう朝早くに出てったよ」

 まだ始業時間には早いらしい。二人は庭に入ってきて、私に歩み寄る。Gなんて今日も目の下にクマをつくっている。二人は3日後にこの町を出ていく。忙しい中で、わざわざちょくちょく顔を見せにきてくれてるのは嬉しかった。約束しなきゃ会えない大人になった筈なのに、彼らの屋敷への通り道に私の家があってはそうもいかない。

「花、植えるのか」
「今植えれば初夏には満開になるかな」

 花壇の雑草を根からむしりながら、夏頃には鮮やかな寄せ植えができていることを思い描く。母が庭をつくっていたころは、何が植えられていたっけ。頼りになるのは母の友人が営む花屋で、店主に言われるがままに種を買った。 

「ああそうだ、花が散る前に見に来てよね」
「そうしたいところだな」
「一段落すればいつでも帰ってこれるだろ」

 あれから少しはGも休めただろうか。今日は顔色も良かった。二人が仕事で気を揉んでいるのには気付いている。せめて私は、笑顔でいよう。
 あっという間だ、3日後には二人がこの町を出ていってしまう。戻ってくる時期を訊ねることはばつが悪くて、私にはできなかった。私にできることは、この町で二人の帰りを迎えることだけだろう。

「手伝っていいかな」

 伸び放題の草をむしる私の隣にジョットがしゃがんだ。私の顔を覗き込むようにして、長い前髪を垂らす。こうして近くで見ると余計、身に着けているシャツ一つ、良いものを着ているのだなと分かってしまう。手元には、派手な指輪。あれ、いままでこんなの付けていたっけ。いつもより立派に見えるジョットを隣に、私はなんだか背筋が伸びてしまった。

「……そんないい服きて、立派な指輪までつけてる人に土仕事は頼めないなあ」
「おっとこれは外す。それに土汚れ程度、汚れ落としが得意なうちのメイドなら朝飯前だろう。」

 そういって袖をまくるジョット。外した指輪を無造作にポケットに突っ込んで、早速雑草を鷲掴みにした。私はふと、Gを窺う。手伝えという目線を送ったつもりはない。Gは何故か、ジョットを見下ろして顔を引きつらせている。

「おいジョット」
「Gが一張羅のまま仕事に行って帰ってきた後も……、あ……」
「……、え?」
「そうだ……Gが石に躓いて転んで泥水まみれになってな、その汚れもしっかり落としてくれたんだよな。な、G」
「てめっ……、……ああそうさ。俺は転んだ、そういうことだ。そういうことにしておけ」
「一張羅で!? かっこ悪!」

 私は思わず吹き出してGを笑う。明らかに嫌そうな、不愉快そうな顔をしたけれど怒るるようすもなく、力が抜けたようにがっくりと肩を落とした。

「勝手に言ってろ」

 ぶっきらぼうにそう言って、結局Gもシャツの袖をまくってしゃがんだ。反論しない。自分の醜態をぬけぬけと私の前で認めてしまう。そんなGが未だかつて居ただろうか。いや、いない。ありえない。
 私の両脇で何食わぬ顔で草をむしる二人。私は思わず立ち上がった。


「ねえ、嘘吐く必要ある話?」


 ジョットとGは驚いて顔を上げた。私を見上げる間抜けな顔が二つ。ジョットは再び草むしりの手を進め、私から目をそらした。

「転んだのはGじゃなくてランポウだったかな、すまない記憶が曖昧だ」
「私の目を見て言う」

 再び二人と目線の高さを揃え、顔をあわせようとした。けれどジョットもGも、まるで草むしりが楽しくてしかたないみたいに地面に夢中だ。わざとらしいにもほどがある。

「G、一張羅のまま血が付くような仕事でもしてきたの?」

 私もわざとらしく草を抜きながら、ほぼ確信をもって詰め寄った。今度は二人が同時に動きをとめて、私を見た。ああ図星なんだろう。顔をあわせてやらない。

「それを言ったらお前が心配するかと思って」
「するよそりゃあ、G、銃を持ってるのは知ってるけど、そんな仕事するの」

「まぁ、たまにな」

 一度は嘘を吐いたのに、図星をついてしまえば隠す気もないといった態度でGが答える。あまりにもあっさりとしていて、私も返す言葉を見つけられなかった。たまに、の事細かい頻度とか、血の量だとか、気になってしまう。何やってんの、もう。声にして怒りたいぐらいだ。言葉にできない勢いで、背丈のあるひょろりとした雑草を抜こうとした。けれど、思いのほか頑丈だ。根元から掘り起こして、引き抜く。


「昨日のあの様子じゃベルナルドさんから、俺たちと関わるな、ぐらいは言われただろう」


 なんて察しがいいんだろう。それでも私は顔を上げない。ジョットが手の届く範囲の草を取り終えた様子が、視界の端に映る。指輪の似合う綺麗な手が、すっかり土まみれだった。


「エルザ、お前に任せるよ」

「何言ってんの、私は無条件でジョットとGの幼馴染、友だちでいる」


 そんな寂しい言い方に、思わずジョットとGを交互で見る。兄に何を言われても、私の気持ちは決まっていた。ずっと前から決まっている。
 目を丸くするジョット。Gは半笑いだった。

「……な、なんて、黙ってどっか行った私が言うんじゃ都合良すぎかな」

 恥ずかしくなってまた俯いた。大真面目に、幼馴染に友だちだなんて言うのは初めてかもしれない。散々二人に強がってきた少女時代を想えば、今の私はなんて気弱なんだろう。両隣から笑い声がして、顔に熱が集まる。

「そんなエルザに救われてるよ。な、G」
「ああそうさ」


 私の方が、二人の傍にいていいんだろうか。自警団として立派に振る舞う二人を見ていると、そう思うこともあった。珍しく二人も素直だ。ここにいていいんだと、森も慰めるように木々を揺らす。

 今でも、私達は何もかもを打ち明けきれてない。だからと言って嘘を吐いてまでひた隠しにしたって通用しない。どんなに上手な芝居でも、私はきっと見破る。ジョットもGも、見破ってくる。離れていた時間よりずっと長い月日を、私達は一緒に過ごしてきた。

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