06

 あまりにも私は小さすぎて、母の葬儀の日のことをよく覚えていない。ただ、うすぼんやりと忘れられない景色が断片的に今も時々よみがえる。
 今はこんなに静かな森の中で、あれだけ大勢の人が集まったのは後にも先にもないだろう。夏の大雨が町を襲ったにもかかわらず、母が最期の日まで大切にしてきた庭には人が溢れ、家の中には母と特に親しくしていたイルダ婦人やそのご主人、花屋の店主、ピエトロさんもいた筈だ。棺に収まる母は綺麗で、とても、殺されたふうには見えなかったと誰もが口をそろえた。
 私はずっと兄の陰に隠れて、受け入れきれない現実に戸惑いながら、でも、母の死を目の当たりにした日から3日も経っていれば流す涙もなくなっていた。けれど、大人たちが棺を抱えて墓地へ向かおうとするとき、私はようやく事の重大さに気付いた。あの綺麗な母が、二度とこの家に帰ってこなくなる。気付いたらもう棺には杭が打たれ、私は叫ぶ声も涙もでないから、母を連れて行こうとする大人たちの足を止め、雨の中、母の庭で、冷たい棺にしがみつづけた。

 そこに彼らもいたんだろう。私よりずっと早くに母親を亡くし、私とは違って母親の顔も知らない二人。そののち、私にとって一番大切な友だちになる二人。

 葬儀の翌日。床に大きく残る母の血痕を隠すために、兄と町へ絨毯を買いに行ったのを覚えている。その日は傘要らずだった。私は絨毯なんて興味なくて、母の死とはかけ離れた町のにぎやかさに眩暈を感じていた。そうして、兄が目を離した隙に私の前に突然現れた男の子。それがジョットで、彼を追いかけてきたもう一人が今でいうG。あたたかい手に手を取られ、淡い金髪に目を奪われ、数日ぶりに声が出た。『きれい』と。


―18年前―


『きみ、名前は?』
『……エルザ』
『エルザ! 年は?』
『5さい』
『そうか、僕はジョット、まだ4さいだ』
『誕生日は?』
『1月だ』
『……ずうっと先だね、ちびくん』

 彼との初めての会話を今もこうして覚えているのは、私は母を亡くして一度自分も死んだようになってしまったからかもしれない。彼との会話は、記憶に残る産声。一度心が死んで、あの輝きに目を奪われて、息を吹き返した私の心は、その時からジョットのものだった。生まれ変わってから最初の言葉、大きな悲しみをぬぐう感情。それらすべてが、私を救ってくれた。

『いつか必ず、背はきみをおいこすよ』
『そんなことないとおもうよ』
『いや、ぜったい』

 ジョットが笑った。私が初めて目にした彼の笑顔。自信に満ちた笑顔だった。どうしてそんなこと言いきれるの。当時の私は根拠をしらない。小さなジョットは全力でつま先立ちしてやっと、私と目線の高さが揃うほどだった。ジョットの後ろで黙っているGも、私より小さかった。ずっとこのまま、何年先も、私が母みたいな大人になっても、きっとこの子は私より小さいんだろうと、そう思い込んだ。

『……じゃあ、たしかめてみよう』

 私の最初の強がり。勝つ自信は私にもあった。だから、私が負けたらなんでも言うこときくなんて、大きく出たものだ。
 ジョットはしめたしめたという顔で、頑張って続けていたつま先立ちをやめた。すとんと低くなるちびくん。でもなぜか、私よりずっと賢い子のようだ。

『毎日たしかめなければいけないね』
『毎日あわなきゃいけないの?』
『そうさ、そうやって、友だちになるんだ』

 たのしそうなジョットと、ぶっきらぼうなGと、握手した。
 あの時から私達は友だちでいる。出会った日から別れの日まで、何度同じ季節を一緒に超えてきたことだろう。決め込んだ強がりは、思いのほか早くに私の負けが確定してしまう日が来るけれど、もうそんなことどうでもよかった。真面目に背比べしていたのなんてほんの最初のうち。後になってジョットに聞いてみた。


「毎日背比べする、っていって何年もかかる競い合いをしてなかったら今頃幼馴染なんかじゃないかもね」
「そんなことあったかな」
「やっぱり覚えてるの私だけかぁ」

「……いや、"なんでもする"、んだったか?」
「それはもう一回聞いてるからね」

 私の春に、また、あなた達が居る。この花が咲くころには、私達が出会って18年目の夏が来る。

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