07

―11年前―


『エルザー!』

 窓の外から声がする。ジョットとGが交互に私を呼ぶ。朝の9時。今日は先生のところに行くのもおっくうだった。町に行きたくなかった。なんせ、あのガストーネに負けてしまったのだ。
 ベル兄はもう働きにいってしまって、私は一人。今日は家にいようと思ったのに、やっぱり二人はいつも通りに私を迎えに来た。泣いてしまって顔は真っ赤で、殴られた頬は青あざができていた。町に行けば皆に心配されるし、またピオを泣かせてしまう。ジョットとGにも、うしろめたさを感じていた。こんな顔で、こんな気持ちで会いたくない。布団を被る。

 トントントン、と階段を上る音。ベル兄が居ないことをわかっているから、勝手に上がってきたようだ。今日ばっかりは会いたくないのに、と私は布団の端を強く握った。けれど、すぐに布団は二人係でひっぺがされてしまう。

『……っありえない!』

 いくらなんでも強引だ! 私は思わず顔を上げる。そこには、私と同じように顔に、手足に傷を作ったGと、鼻に絆創膏をしたジョット。私がガストーネに負けたら、Gは2対1になってしまったし、ジョットはついにガストーネから私をかばってしまったんだ。二人の視線が私の顔の痣に向けられる。くやしいばっかりの涙がこみ上げてきそうで、私はベッドの上で丸まった。

『昨日よりひでぇな、よく冷やしとけよ』
『……Gごめん、ジョットごめん。負けるなんて、私昨日はどうかしてたんだ』

 つーんと鼻の頭が痛くなって、喉の当たりで息が詰まる。泣いてたまるものか。二人が私を責めないことに、すこしだけ気持ちが楽になっても、顔を上げられそうにない。早く今日が終わってしまえばいいのに。

『……今日だけ先生のところは行かないにする。皆に会いたくない』

 顔を上げないようにしたまま、私ははがされた布団をベッドの上に引きずり上げてもう一度被る。ずっしりとした布団の重さが、余計気持ちを重たくさせた。

『じゃあ3人で行かないにしよう。俺は今日鼻血が止まらなくなりそうなんだ』

 鼻血が止まらないのは大変だ。ジョットは昨日鼻をケガしている。私は布団からちょっとだけ顔を出して、ジョットの顔を覗いた。

『やっと顔だした』

 ニッと笑う。ジョットは鼻血がでそうという様子じゃなかった。ひどいウソだ。今、結構本気で心配したのに。

『鼻血でてない、ぜったいウソ』
『一日過ごしてみないと分からないさ』

 ジョットとGがベッドの脇に腰を下ろす。最初から居座る気満々だったらしい。バサバサと音を立てて本を広げる。それから、おおきなパンを取り出した。瓶詰のジャムとバターナイフまで持っている。町中の窯焼きパン屋さんの焼きたて、私が大好きな食事パン。大きく割れば、ふんわりと香ばしい匂いが鼻の先をかすめる。







『あれ? 背伸びたね』

 面と向かったそのとき、何かいつもよりミケの目線が高くなったと感じた。比べてみれば、隣に立つザイラを越してしまっていた。私の言葉に、ミケは得意げになってさらに爪先立つ。

『どうどう、俺もエルザの背越したらかっこいい?』
『100年早いなあおちびくん』
『ちくしょー、ジョットにすらどんどん離されるんだぜ。成長期ってこえーな』
『ジョットもまだまだおちびだよ』

 私に追いつくにはまだまだ低いところ、ミケの頭をざっくりとなでる。ミケもジョットも伸びてるけれど、私だってまだ成長期だ。ジョットとは頭一つ分差が開いていたことだってある。笑う私の背中に、誰かが背中を合わせてきた軽い衝撃。振り返れば、なんだかミケと同じように得意げな顔のジョットが居た。

『ならひさしぶりに比べてみるか』
『まだまだ私の方が高いって』

 比べるためにGを呼んだら、皆も集まってきた。靴を脱いで、ジョットと踵を合わせる。頭と肩がぶつかった。あれ、もしかして肩幅はジョットのほうが広いのかもしれない。あれ、前は頭、こんなにぶつかったっけ。


『……おー、まだ、エルザのほうが高いぜ』


 鼻で笑うようなG。私はほっと息を吐いた。気のせいだ。なんてことはない、また私の方が伸びるにちがいない。

『やっぱりエルザは高いなあ』

 大真面目に悩んだ顔をしてたジョットと向き合った。どくんと心臓が跳ねる。あれ、やっぱり、ジョットの背も伸びている。わざとらしく爪先立ちしたジョットに、ついに見下ろされた。あっさりと諦めてミケと背比べを始めたジョット。当の本人は気にも留めてないけれど、前は爪先立ちしたって私より低かった。

 私が5歳のとき。あの丘でお母さんは花の種になって、代わりにあの丘にあった小さな木の芽を家の庭に植えた。あの苗は、どの木になったっけ。今じゃもうわからないほどに、大きくなってしまった。きらきらして見えたジョットが私を見上げてた、私たちが友だちになった日。ジョットは、私を越せないと持っていた小さな男の子だった、筈だ。





『ガストーネと、キス、しちゃった』

 挨拶のキス? 私が首をかしげていると、その子は私を疎いといった。どうやらあのそばかす男とそういう仲らしい。ふうぅん、へえ、とあいづちをうち、私は石ころをけ飛ばす。イルダおばさんにも、おじさんにも、ベル兄にも、私からだってキスするし、キスされる。頬に痣を作れば、早く治るおまじない。3日で治るおまじないだ。血がでた傷にはキスしたらダメだという。それもなんとなくわかる。でもこの子の言うことはわからないなぁ、と思う。蹴飛ばした石は思わぬ方向に転がっていってしまった。
 あぁ、ちょっと退屈だな。お花摘みにいく流れかな。

『すきなの』

 勝手に答えるもも色の顔。あ、かわいいな、と横目で伺う。同い年ぐらいの女の子は、皆揃ってこいう顔をするようになった。私もしているのかな、と自分ではわからないのでベル兄に訊いてみたら、『してない』とぶっきらぼうに答えられた。

『恋人ってなにするの』
『エルザのお兄さんは恋人いないの?』
『働いてばかりだからいないんじゃないの』
『じゃあエルザは?ジョットかGのどちらかと恋人じゃないの?』

 その子に言われてはじめて、今ここにいない二人の顔が頭に浮かんだ。G。ジョット。特別心が跳ね上がるなんてことはない。だって、家族みたいなものなんだ。

『5歳の時から一緒にいるだけの幼馴染だよ』
『すきにならないの?』

 しぶとい。ぐいっと私に顔を近づけて、楽しそうだ。

『Gは強いし、ジョットは優しいし、どっちもすきだよ』
『はぁ、男としてだよ』

 その子の声が冷たくなったから、私は顔をそらしてしまった。わかってないな、と思われてる、その目。なんだかいたたまれなくて、たっぷりとため息がこぼれた。

『知らないよそんなの』

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