05

 たかだか幼馴染が頻繁に顔を出して、仕事の邪魔をしに来てるのかとも思われてしまいそうだった。少しだけ、足取りが重い。ピエトロさんからのおつかいの品を持って、家に帰るその足でジョット達の屋敷へと向かった。もっとも、実際に荷物を持ったのはベルナルドだった。
 ベルナルド、10歳年上の兄。8年前、ナポリで別れたたった一人の家族。母を亡くしてから私を大切に育ててくれて、気が付いたころには稼ぎにでていた。「エルザのためだ」が口癖で、禁欲的で、まさに責任感の塊。いつのまにかスーツが板についている、33歳。兄は、私の知らない人のように見えた。
 家を通り過ぎて屋敷へと向かうその足が次第に重たくなっていくのは、この手厳しい兄が私の幼馴染と折り合いがよろしくないからということもある。


「ベ、ベル? あとは私が届けるから先に家に行って休んでていいよ」
「いや、いい。お前に持たせるわけにはいかない」
「そう……」

 元々背の高い人だった。けれどどうだろう、より一層高いところにいってしまった兄の顔を見上げても、兄が私を見下ろそうとしない限り目線が合わない。ただ、声色からして機嫌がよくないのは分かりやすかった。いつもそう。機嫌が悪いと口調が固くなる。

「ああほらあそこ。彼ら、あの屋敷を買い取って改築したの」

 獣道が開け、歴史を感じさせる屋敷が顔を出す。ジョット達の屋敷には庭師もいるらしい。もしくは専属でなくとも、定期的に庭師を呼びつけてでもいるんだろう。手入れの行き届いた前庭が見える門前まで来た。兄は眉をひそめて「立派なもんだな」とぼやいた。分かりやすい嫌味だ。同時に私達はやっぱり兄妹なんだな、と感じる。私も同じことを言った筈だ。
 昨日初めて訪れて、まず驚かされたのは門番がいることだ。男が一人。私たちを見つけ、すかさず威圧的に仁王立ちに変わった。昨日はGがいたから、何のこともなく通してもらえたけれど……、近寄れば、幸いにも今日も昨日と同じ人だ。私の顔を窺うと、険しい表情を緩めて門を開ける。

「ボスか、G様にご用事ですか?」
「いえ、ピエトロ八百屋から野菜を預かってるのと、あと昨日忘れ物をしてしまったので、彼らは呼んでもらわなくても済みます」
「わかりました。中までどうぞ。ですがそちらの男性は……」
「兄です、付き添いです」
「どうぞ」

 背の高い門を過ぎる。夏の季節を迎える前に青々とした芝が背丈を揃えている。やや長めに設けられたアプローチを歩き、ようやく玄関にたどり着いたかと思えばここにも見張り番。しかも二人。私は門番と交わしたやり取りをそっくりそのまま繰り返して、ようやく屋敷のドアが開けられる。するとそこにはリディオと名乗る若い男性がいて、深々と頭を下げてきた。そう、昨日もGと入ってきたらこうだった。私が思っていた以上に、幼馴染二人が作り上げた自警団は上下関係が明確だ。

「応接間にご案内いたします。お忘れ物のカゴもただいまお持ちしますので、少々お待ちください」

 小さい頃、廃墟だったこの屋敷に3人で忍び込むのは、たやすいことだった。門なんて壊れてて、鍵だって痛んだドアを少しずらせば開いてしまう。今は何もかもが変わっていて、私には少し窮屈だった。ほんのつい先日まで、私もこういったところに勤めていた筈なのに。

 兄が男性に野菜の入った袋を渡す。紙袋に印字されたあの紋章が再び目に入った。リディオというの男性がつけているピンバッジにも同じ紋章が模られている。

 "ボンゴレ"

 それがジョットとGの言う自警団の名前なのだろう。

 案内された応接間では牛革のソファに促されるまま腰を下ろした。ジョットの仕事部屋だとGに連れていかれた部屋よりは狭く感じる。けれど、私が勤めていた屋敷の応接間と広さではいい勝負だ。

「……、なぁエルザ」

 あれからずっと黙って私の後をついてきていた兄が口を開く。浅く腰をかけて、両ひざに拳を置いている。姿勢の良さが不自然で、隣に腰を下ろした私は気付かれないように拳一つ分離れた。

「……やだ、緊張してるの? ベルだってこういう雰囲気にはなれてるでしょう」
「緊張はしていない。だが、ここがあのオンボロ屋敷だとは思えんな」
「直すのに何年かかったんだろうね」
「さぁな。ただ俺たちが居なかった8年は、相当長かったみたいだな」

 腰をおろしていても、私は兄を見上げなくてはいけない。その視界を遮られるように大きな手が伸びてきて、私の頭をすっぽりと覆う。ぽん、ぽんと、二回、あやすように頭を叩かれる。「すまない」。とても小さな声が耳に届く。


「俺が目を離した8年で、お前もこんなに母さんに似た女性になった」


 私の記憶の中で、母の存在は断片的なものだ。しかし10年先に生まれて母に育てられた兄は違うらしい。私と、母さんのどこが似ているというんだろう。顔? 私には思い出せない。8年ぶりの兄との静かな時間が流れる。すると、廊下を走る音がドアを抜けて聞こえてきた。革靴の音はこの応接室の前で止まり、ドアが開けられる。


「エルザ、すまない、カゴなら今日の夜にでも返しに行こうと思っていたとこ―――……」


 息を切らしたジョットだった。その手には私が昨日置いて行ったカゴがある。呼んでくれとは頼んでいないけど、私はどうやらまたジョットの仕事の手を止めてしまったようだった。彼はうつむいて呼吸を整えて、顔をあげる。その視線は確かに私を捉えたが、次の瞬間に両目を大きく開いて、私より手前に座る兄へと向いた。


「……ベルナルドさん?!」


 ジョットはわずかに後ずさり、焦りと驚きを顔にだした。私がジョットと再会してから、そんなに焦るのは初めて見る。顔色がよろしくない。大人になったジョットも、兄を前にしてしまうと8年前と変わらない無防備な少年のように見えてしまう。

「よぉ金髪。顔が真っ青だ」

 兄が、不気味に笑った。まさかここでジョットに手を上げることなんてしないだろうけど、念のためにと私は兄の袖を掴んだ。
 にらまれたジョットはひとつ、咳払いをして私たちの向かいに腰をかけた。私は申し訳ない気持ちになりながらカゴを受け取る。ジョットは呼ばなくていいと、はっきり断っておけばよかったのだろう。

「帰ってきたんですね」
「仕事で近くまで寄ったんだ。まーさかお前たちが自警団をやっていたとはな」

 兄は急にふんぞり返って、ソファの背もたれに手をかける。この屋敷の主を前にして、それはないだろう。私は兄の裾を強く引っ張って姿勢を正させた。ジョットの方が縮こまってしまっている。

「さっき、町で銃声が聞こえたぞ。ここでのんきにしていていいのか」

 また厳しい目をして、ジョットを睨む。体格がよくて、常に厳しい顔をしている兄は一歩間違えれば暴力的にだって見えなくはない。しかし、ジョットはさすがこれだけの警備を敷いた自警団の首領というところだろうか。雰囲気に慣れ、既に落ち着きを取り戻している。それよりも、銃声という言葉に反応をしてわずかに眉を吊り上げた。

「町で銃声を聞けば、見回り中の部下がすぐに巡察へ向かいます。報告を受け、場合によっては私が動きましょう」

 私の知らないジョットの落ち着いた笑顔だった。多くの部下を束ねる男の顔をした。兄を向き、今はもう物怖じしない態度をとる。ああちがう、初めてではない。ジョットは少年の頃から、こうした頼もしい表情をして、人を惹きつけてきた。私には向けられないその視線。こっちを向いたらどうだろう、私はまともに目を合わせていられるだろうか。あたたかい瞳、何度だって目を奪われてきた。


 きっと私は、次にジョットに目を奪われたとき、どこにもいけなくなる。そんな気がして、目を伏せた。

「……、……ランポウって青年、一人で向かってったけど大丈夫?」
「ああ、ランポウと会ったのか」
「八百屋で顔を合わせただけど」
「大丈夫さ、あれでももうベテランだ。後で報告が入るだろう」

 慣れている。けれど、ジョットの視線が窓の外に移った。きっと今すぐにでも自分で現場に駆けつけたいんだろう。あなたは、そうやって町に寄り添う人だ。するとふと、ジョットは何か思い出したようで、私たちを向きなおす。


「エルザ、ベルナルドさん。そういう動きがある中で申し訳ないが、俺とGは4日後にこの町をでて本部に戻ることになった」


 昨日、靴を選びながら教えてもらったことが、たった2日早まっただけ。頭ではすぐに理解できたのに、今、心に穴が開きそうなほど、何かを失くした気がした。

「あ、そうなの、予定、早まったね」
「仕事が遅いと本部の部下に急かされてしまったよ。心配ないさ、俺とGに匹敵するだけの守衛陣を手配した」

 出てきた言葉が冷静で、私は自分でおかしさを覚えた。失くしたって、何を。自分の考えを自分の中で否定して、それを笑顔に変えてみせた。
 そりゃそうだ、もちろん心配はない。けれど私の幼馴染の代わりはいない寂しさを、言葉にはしない。町のために、さらには地縁を問わず人のために働く二人を、私が足を引っ張ってはいけない。私はつい、ジョットを見つめてしまった。それに気付かれたか、兄が不意に立ち上がり、私の腕を引いた。


「俺も明日にはここを出る。お前らが居ようが居まいが関係ないが、武装しようが構わないが、これだけ近くに住むエルザに危害を加えることだけは俺が許さない」


 掴まれた腕が痛い、兄の言葉も耳に痛い。何より、その言葉に黙って頭を下げるだけのジョットの姿から、私は目をそらしたくなる。

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