03

「通り雨だったね」
「もう降りそうにないな」

 俺とエルザが町に出たときには、既に空は晴れ上がっていた。夕日が雲の隙間から顔をのぞかせている。傘をたたみ、俺は片手に花束を持つエルザの分も受け取る。申し訳なさそうにしつつも素直に俺に手渡した。昔だったら頑なに自分で持とうとしていたところだろう。
 二人、肩を並べて歩くのは随分久し振りだった。かつて大差ないほどまで追いつけた身長は、今ではエルザの頭が俺の顔半分まで届くといったところか。またエルザがぐんと伸びて、俺を追い越すのではないかという心配はもう不要らしい。

「まさかエルザを見下ろす日が来るとはな」
「ジョットも伸びたね」
「昔のままだったら困るな。それから、お前にヒールを履かれたらもっと困る」
「きっと背丈届いちゃうね。でも私、しばらくヒールは履かないの」
「何故?」

 ふとエルザの足元を見る。ヒールは履かないと言ったが、いくらなんでも服装に似合わない庭用のサンダルだった。靴擦れでもしたのだろうか。素足には包帯を巻いている。首をかしげてエルザの返事を待った。何故か言葉に詰まっている。
 俺たちは軽く汗ばむほど丘を上っていた。雨をまとった芝の上は、確かにヒールでは歩きにくい。革靴を選んだ俺もここまでくれば半ば諦め気味に歩いた。いっそ裸足になってしまいたいと、思う。


「背伸びするのは合わないって気付いた、から」


 風が吹いた。俺たちを巻き込み、咲き誇る花を包みあげて、強く吹いた。
 横顔が夕焼けで縁取られたエルザの横顔を窺えば、顔を上げて目を見開いていた。翠色の瞳が夕焼けの橙色を受けて、黄色く輝いている。涙目だ。指摘してしまえば、そんなことはないと言うだろう。俺も黙って夕日を向いた。

 景色がパッと開けて町を一望できる、ここは墓地だ。


「母さん」


 しかしここには18年前から、墓石はたった一つしかない。力が抜けた声でエルザが墓石に語り掛けた。先ほど町で見繕ってもらったばかりの花束を置く場所に迷っている。墓の周りには手向けられたばかりの鮮やかな花束もあれば、自然と咲いている花も手入れされていた。町の人が頻繁に墓参りに来ているのだろう。

「ごめんなさい、帰ってきてすぐ会いにこれなくて……、兄さんもいないのに、一人で来るのが怖かった。ああ、母さんもいないんだって、ここに来ると、思い出す」

 震えるその肩を俺は抱けない。膝を折るエルザと同じように、墓石の前で祈った。俺とGは会ったことがない。ただ、エルザの母親は大人たちの話では有名な人だった。まさにこの町の太陽であり、時には恵みの雨のようで、愛された人だったという。若くして、5歳のエルザを残してこの世を去った。

 ――死を迫られた。その事実を俺やGが知ったのは、最近の事だ。


「私、気付いたら母さんが私を生んだ年に追いつく。でも母さんにはきっと追いつけない、……私と兄さんを身を挺して守ったあなたみたいに強くなれない」

「……エルザ」


 エルザは懺悔するように語る。声は震えていても泣いてはいない。まっすぐとした瞳をしているのに、決定的な心の弱さが垣間見えていた。今にも壊れそうで、俺は思わず名を呼んだ。ハッと息をついて振り返るエルザは、口に手を当てていた。口にした言葉を、どこか後悔するようだ。

「ごめん」
「俺に謝らなくていい」
「町に行こうって誘ってくれたのに、しんみりとしちゃって」
「いいんだ。夕市にも早かったし、俺も久しぶりに挨拶しにきたかった」

 Gとは何度か来た事がある。エルザが居なくなった8年前から毎年、命日には訪れた。その度に思い出す。きっとエルザの母親の死があんなにも早く訪れていなければ、俺たちが幼馴染みになることはなかっただろう。
 エルザの母親の葬儀が営まれたその日に、俺とGはエルザに出会った。忘れもしない夏の終わり。刺すような日差しを知らない木漏れ日の中で、俺たちも育ての親に手を引かれて参列した。多くの大人が涙する中、棺にしがみついて離れようとしないのは残された愛娘。俺達と年の変わらない女の子を、放って置けなかったのだ。

「今までも来てくれてたの?」
「エルザが居なくなってからな」
「ありがとう」

 少しは肩の力が抜けたのだろうか。照れくさそうにしながら、ゆるやかに微笑んでくれた。エルザは何も言わない墓石にそっと触れる。

「また来るよ、母さん。何年たってもいろんな人が来てくれてるのね」

 エルザは立ち上がり、改めて俺を向く。何故か不安そうな目をしていた。その真意は読み取れない。ああ、壊れそうなお前と出会ったその日から、守ると決めたんだ。この意志は揺らがない。きっと長くは傍にいられない。あと数日。何をしてあげられるだろう。

「もういいのか」
「うん、夕市ももうすぐでしょう」

 踵を返して丘を下ろうとする足取りが早い。俺は思わず腕を取り、必要もないのに引き留めた。エルザが肩を跳ねさせて勢いよく振り返るものだから、慌てて手を離す。顔に血が集まりそうになるのを抑えられそうになく、つい顔をそらした。

「なら帰りにイルダ婦人の店に寄ろう」
「ああ、革靴、濡れちゃったものね」
「それもそうだが、誕生日だっただろう」

 呼吸を整え、エルザを窺った。うつむけば目にかかる自分の長い前髪越しに、確かにエルザも顔を赤くしたのが分かる。

「覚えてたの?」
「もちろん。靴を贈らせてくれないか」

 この町を軽やかに歩く幼馴染に、とびっきり似合うものを。

「なら、」

戸惑いながら、はにかみながら、また少し言葉に迷ってる。最後には突き刺すようにまっすぐな目をして、俺の手をつかんだ。

「どんな靴でもいい、ジョットに選んでほしい!」

 かつて決して背伸びをしない、等身大の少女だった。そんなエルザが好き「だった」。踵に血を滲ませるなんてらしくない。靴擦れなんてイルダ婦人が許さないだろう。

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