02

 この町を出て、はじめの2年はナポリにある領主の屋敷に放り込まれた。その土地をナポリと呼ぶこと、生まれ故郷からどれだけ離れた場所にあるのか、私は右も左もわからないままメイド服に袖を通した。ただ強く感じていたのはひとりぼっちになってしまったということ。
 主人は家業を継いだばかりで、いい年だというのにいつまでたっても若旦那と呼ばれていた人だった。主人が持つ土地は私たちの故郷からほど近い広大な農地。主人ときたら一度もその土地に赴いたことがないという。けれど農地管理人に任せきりなのは、珍しいことでもなかった。
 私はナポリで身寄りのない子供として扱われてきた。労働することで賃金をもらい、衣食住も補償されていたあの暮らしは、私に金銭的な豊かさを教えてくれた。
 (でも決して心は豊かではなかった。兄と、あなたたち幼馴染がいない、いつまでも慣れない町での毎日を、私は望んじゃいなかった。)

 それすらももう6年前のことになる。次にシエナの街に連れられた私は、建てられたばかりの屋敷のメイドになった。金融業や貿易、鉄道などの諸産業にまで手を出し、界隈では名の知れた一族の別邸である。本邸はナポリにあって、歴史も古い。当然メイドの年齢層も高くて、掃除洗濯、諸作法と私はなにもかも一から叩き直された。Gの言う通りに人参真っ二つが限界だった私の生活力は、あの両家に仕えなければ進歩しなかったに違いない。


「……、ってイタリアを転々として、……というわけ。パイの出来はいかが?」
「ああ、美味しいよ。うまく焼けている。Gといい勝負じゃないか」
「悔しいがペイストリーは俺よりうめえな、誰から教わったんだ」
「ナポリの邸宅で口伝えしてるものなの。今度教えるわ、また来てよ」
「エルザさえよければまた焼いてもらいたいものだな。Gが厨房にこもりきりでも困るんだ」

 そう言ってジョットはGを小突いた。Gはいつのまに料理に目覚めたのだろう。粗放的に見えて昔から研究熱心で誰よりも几帳面だ。私は身についた感覚で料理するけど、Gは分量をきっちり計るタイプに違いない。絶対にそうだろう。

「Gのつくるものも食べてみたい」
「ま、気が向いたらな」
「ふふ、待ってる」
「Gはよく皆にドルチェも軽食も振る舞ってるぞ。よっぽど暇なんだな」
「誰よりも早くに食いつくのはどこの誰だったかな」
「少なくとも俺は一番ではないさ」

 そこでGも反論しなくなった。一番に食いつく人はほかにいるらしい。


「……っていう忙しそうなお二人さんは今何のお勤め?」

 そろそろ話し手の交代をしても良い頃だろう。私は胸の中に躊躇いを感じながらも切り出した。
 この町で育ったあなたたちが、この町に似合わない恰好をしている。そう少なくはない部下を抱えてることも、この森を通る人の様子をみればわかった。使用人もいる。盗み見てるわけじゃない、昨日の私は暇を持て余して外を眺めてばかりだった。
 ジョットはパイを食べすすめる手を止めて、Gもたばこの火をもみ消した。あ、空気が変わる。すべてを打ち明けきれてない私も、自然と笑顔が引きつった。ジョットが言葉を選んでる。


「俺たちは、自警団を立ち上げたんだ」


 私がどんな反応をしてもいいように、二人はよそよそしくすまし顔だった。その胸の内でどんな煮えたぎるような思いを隠しこんでいるのかはわからない。自警団。二人のことだ、幼い頃と変わらない正義感が形になったのだろう。
 突然、Gがジャケットの内側からピストルを取り出した。弾は詰めてないとはいうが、緊張感が張りつめる。わかってた、この時代に自警団が丸腰でいられるわけがない。どの町にもある農民によって組織されてきた自警団は、いまや当たり前のように武装している。そうでもしなければいけないのだ。もはや誰かが銃を握らなきゃ、治安は守られない。

「おい、それは持ってくる必要ないと散々言っただろう」
「わかってもらうのには手っ取り早いだろ。自警団なんていえばそりゃ聞こえはいいが、領主に仕えてたエルザなら要領は分かるだろ。騙してるつもりでい続けるのも無様じゃねえか」
「そうだ。だがまず早くそれをしまうんだ、俺から話す」

 ジョットにけん制されたGはピストルを仕舞った。二本目のたばこに火をつけ、口にくわえた。ジョットの話に口を挟むつもりはないといった様子で、横目で私を窺ってくる。「ビビらねえんだな」と、煙と一緒に吐き出した言葉がすこしだけ冷たい。

「自警団の首領は俺だ、Gは昔と変わらず俺の相棒でいてくれてる。エルザがこの町を出た後一時期、ここの領主が入れ替わった頃だったかな。悪政に住民が混乱して目も当てられないほど治安が悪い時期があった。自警団を作ったのはその頃だ」

「たった10代のうちに?」

「ああ、俺たちの背中を押してくれる友もいた。行動を見せれば町の人も支えてくれた。エルザだって同じだろう? 俺たちもこの町が、人が好きなんだ。だから少しでも悲しい出来事が減るならば、なんだってしようと思った」

 どうしてこんなに、まぶしいんだろうな。変わらない正義感も、この町への愛も、責任感も、きっと取り巻くすべてが二人を強く見させてる。今までにどんな思いをしてきたんだろう。あなたたちは優しいのに、なんて悲しいすまし顔をする。8年間、この町を振り払って生きてきた私が、二人を責めることなんてできないのに。
 ジョットはじっと手のひらを見つめ、強く拳を作った。


「決して武装なんてしなくても、話をすれば誰でもわかってくれるんじゃないかと信じてたさ。実際そうして俺たちの言葉を受け入れてくれた奴らが、今じゃ仲間として付いてきてくれている。気付けば自警団は大きくなってた、町の外にも、国の外にもでるようになった。森の奥にある屋敷は隠れ家で、多くの仲間を引き入れるために別所に本拠地を設けたんだ。この町を守ることから始まったのに、正直に言えば、俺とGもこの町は半月ぶりだな」

「先週から近場での案件があって戻ってきてるとこだ。だが俺達がこの町にいるときに限って、新たに問題は起きる」


 Gは煙を吐き出す。私に向って考えてみろとでもいうよう、間を設けた。
 ふと頭に浮かぶのは、先日路地裏に見かけた怪しい男たちだ。彼らは緊急事態を聞きつけた二人の仲間なのだろうか、それとも、問題の原因か。眉間にしわを寄せて深刻な顔をしたG。ジョットは、というと、さっきまでのすまし顔はどこへやら。私からすると拍子抜けなぐらい、少年のように笑ってる。

「おいジョット、笑うな」
「そんなに可笑しいこと?」

 楽しそうな、嬉しそうな無邪気な笑いに、張り詰めていた空気が緩む。ジョットは一呼吸ついて、私を見る。

「ああ、靴屋のイルダ婦人が駆け込んできたんだ、大変大変って、顔真っ赤にして興奮してるものだから何か事件かと思って俺たちも背筋が凍ったよ。でも婦人が教えてくれたのは、エルザ、お前が帰ってくるってことさ。自警団は関係ない、俺とGだけの大問題だ」
「……うっ、そ」
「嘘なものか。8年ぶりに帰ってくるお前を迎えたくない幼馴染がどこにいる」

 一昨日、フリオとガストーネに絡まれていた私をどこからともなく助けてくれた二人。8年前、二人に黙ってこの町を出て行ったまま、私はバツが悪くてこの町に戻ることも伝えられなかった。だというのに、言われてみれば8年ぶりの再会を驚いていたのは私だけだ。二人は、わざわざ待っていてくれたというのか。あんなタイミングよく、どこから? ああ、イルダ婦人の靴屋を過ぎてしまえば、道沿いには喫茶店しかない。家からすぐ近くて、パスタの美味しい家庭的なお店。
 こんな幼馴染のこと、忘れずにいてくれただけ嬉しかったのに。

「ここに半月ぶりに戻ってきて改めて実感するが、俺たちは守るべきものが多くある。仲間が増え、Gも俺も気付いたときには仲間を守るための力が必要だった」

 細められた目から覗く橙色の瞳が、揺らぐことなく私を見つめる。そうやって何人と打ち解けてきたのだろうか。私は何も悲しくなければ、二人がこの町を離れていることに怒ってもいない。なのに。「それが権力や言葉に限った話ではないということを、許してほしい」、ジョットとGが頭を下げる。私は慌てて首を横に振ることしかできない。責められることを望んでいるというのなら、誰が二人を責めればよいのだろう。そんなことをできる人は、きっと今も昔もこの町にはいない。


「……顔を上げてほしい。私は二人の正義を信じてる」


 コーヒーのにおい、たばこの煙、騒ぎ声一つない森の中、誰かのために何かを成し遂げること。子供の頃には持っていなかったものを多く手に入れ、同じぐらいの理想を捨ててきた。私たちは大人になってお互いに姿を変えて、あの頃の声を思い出せない。
 でも、ジョット、あなたを信じてる。G、あなたを誇りに思う。この町にいてくれてありがとう。何年経っても私は言い続けるだろう。

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