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 校庭を走る運動部の声だけが廊下に小さく響いていく。放課後だというのに、窓が開けっぱなしになっているんだろう。戸締りの確認の怠りだ。生徒会室へと向かいながらため息を吐いた。かといって自分で空いた窓を探す気にもならない。今日一日、昼間の出来事が頭から離れなくて、ずっと上の空だった。
 加賀谷から響への所有権の発動。
 そしてそんな二人が兄弟だということ。
 清原がデマを言うとは思えない。しかしあの二人が兄弟なんて、信じがたいのも事実。二人が兄弟なら、つまり加賀谷も響理事長の甥ということになる。……そんな話、今まで一度も聞いたことはない。
 それに、なぜ兄弟同士で所有権を唱える必要がある?そう考えて、吐き捨てるように笑った。そんなの、俺が一番わかってるくせに。兄弟だからとか、従兄弟同士だとか、そんなのに意味はないのだ。血のつながりなんて、執着の前では何の意味もない。血の繋がりはむしろ強固にさせることを、俺が一番よく理解しているのに。


「兄貴」

 階段の先、踊り場で夕焼けに照らされた男子生徒が俺を呼ぶ。俺を兄貴と呼ぶのはこの世界でたった一人だけ。歩みを止めて、弟の名を呼んだ。

「ひどい顔してる。いつもそんな顔してるの?」

「今日は疲れた。もう帰る」

「昇降口は上にはないよ」

「生徒会室に荷物取りに行かないと」

 階段を上って、踊り場で佇む晴の元まで行く。晴は手を伸ばして俺の両頬を挟み込むと、むにぃと横へ引っ張った。

「……いひゃい。はなせ」

「怖い顔。下で待ってるから、今日一緒にかえろ。兄貴とたくさん話したい事あるんだ」

 そう言って晴は微笑んだ。3年ぶりの兄弟の再会だ、話したいことなんて俺だって山ほどある。小さく頷いて晴の手を外すと、夕焼けに照らされた階段を上る。晴はただ静かに、先を行く俺を見送った。
 他の生徒会役員には今日は響巡流と共に帰宅するよう指示したのもあって、カギのかかった生徒会室には誰もいなかった。夕焼けが差して赤く染まった生徒会室。自分の机に置いてあった鞄を取って無人の生徒会室を出て行く。今日はいろいろあったから、きっとみんなも疲れただろう。
 そんなことを考えながら廊下を歩いていると曲がり角。出会い頭で誰かとぶつかりそうになって咄嗟に身を引いた。辛うじて衝突は避けられたものの、向こうの生徒が廊下へ落とした鞄の中身が散らばってしまって、それを拾い上げる。

「ああ……すみません、お怪我は……」

「いや、こちらこそすまなかった……て」

 ノートを拾い手渡そうとしてはっとした。目の前の男子生徒も俺に気が付いたようで、瞬間目を輝かせてノートを差し出す俺の両手を強く掴んだ。

「ああっ、これは会長……! 申し訳ありませんでした。僕の不注意で危うく滝真様にけがを負わせてしまうところでした……。どこか痛むところなどはございませんか? ……おや。もしかしてこれからお帰りですか? お送りいたしましょう、お鞄をお持ちいたします」

「い、いい。ほら、ノート、はやく受け取れよ」

「ああっすみません! 僕なんかのためにノートを拾わせてしまって、ありがとうございます」

「もういいだろ、お前もさっさと帰れよ」

「あーぁ、待て待て、逃げんな。お前ももう追いかけっこは飽きただろ?会長」

 いきなり声音を低くして、廊下の壁へと追い詰める男子生徒に心底げんなりする。ふざけんな、やっと帰れると思ってたのに最後の最後にこいつと出くわしてしまうだなんて。
 どうにか手に持ったままのノートで目の前の男の顔を押し退けるが、線が細いくせに意外と頑丈なせいでビクともしない。互いに額に血管を浮き出させながら攻防を繰り返す。

「そういえばお煎餅はいかがでしたか? 美味しいって噂だったのでご用意させていただいたのですが」

「っ、お前が用意したって知ってたら口になんてしてなかった。二度とあんな真似すんな!っていうかどけ!」

「大変喜んでいただけたようで……はあよかった。」

「話きいてたか? お前、こんなところ誰かに見られたらなんて言い訳すんだよ、親衛隊長が会長を追い詰めてるなんて、シャレになんないぞ…っ」

「さあどうでしょうか……。どっちかって言うと困るのはお前だと思うけど。天下の会長がまさかネコだったなんて、一般生徒たちに知られたらどうなってしまうんでしょうかねえ……うーん、どうなると思う?」

「しるか! いいからどけ!」

「男たちにそういう目で見られて、ケツを狙われる。頑張れば抱きたいランキングにも食い込めるかもなぁ。新聞部にネコだと報道され、しかも相手は親衛隊長である俺なんて……あー、考えただけで笑える。ファンが泣くねぇ」

 ネコだとかタチだとか、そもそも俺は男を相手にしない!そう言って退けるが目の前の男……赤城夾(あかぎ きょう)は聞いているのかいないのか、ぺちゃくちゃとおしゃべりを続けている。どうにかして逃げなければ日が暮れる前に俺の体力が底をついてしまう。慌てて赤城を押し退けようとするが、焦りのせいでノートを取り落としてしまった。
 ぱたん、と切ない音を立てて廊下に落ちたノートを目で追いかけ、慌てて顔を上げると勝利を確信した顔の赤城が口角を上げた。そうして俺のネクタイを引っ張って顎を掬う。ふざけんな、俺に触るな。低い唸り声に赤城が笑う。

「……会長、先ほどからお言葉が汚いですよ。いくら二人きりだからって、他の方に聞かれてまずいことは口にしないべきでは?」

「お前にだけは言われたくねえ。いいからどけって、このっ」


「兄貴?」

 廊下に嫌に響く声が、俺と赤城の静かな攻防を中断させた。
 二人してそちらへと顔を向けると、廊下を走ってこっちへ向ってくるのは晴だった。慌てて赤城から距離を取る。赤城もそれ以上は追ってくることなく、落ちたノートを拾って鞄へと突っ込んでいた。
 まさに救世主。乱れたネクタイを直して晴へと向き直る。

「待ってるの暇だったから来ちゃった。……お友達?」

「友達なわけあるか。こいつは……」

「これはこれは、滝真様の弟様でいらっしゃいますね。僕は赤城と申します。滝真様の親衛隊隊長を務めさせていただいております」

 手のひらを反すようにかしこまる赤城に心底うんざりする。先ほどまでの様子は全部夢だったんじゃないかと錯覚するが、今の赤城もさっきまでの赤城も全部赤城夾という人物で違いない。狂気の沙汰だ。
 不思議そうな顔で赤城を見つめる晴は俺の腕を取るとぺこりと頭を下げて微笑んだ。

「んじゃ赤城さん、悪いけど兄貴返してもらうね。いこ、兄貴」

「はい、お気をつけて」

 晴に引っ張られながら赤城を振り返った。会釈をする赤城に向かって中指を立てると、赤城は微笑んで中指を立て返してきた。あいつはそういうやつだ。晴が「どうしたの?」と言って振り返ると赤城は文字通り手のひらをくるりと反して優雅に手を振るのだからおもしろい。

「なんでもない、早く帰って飯にしよう」

 今日は疲れた。ため息交じりに言うと晴は嬉しそうに頷いたのだった。

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