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「あの、すみません。一個聞きたいことがあって……その、風紀委員長が俺のことを所有するって言ってましたけど、それってどういう意味なんですか?」

 おずおずと尋ねる響の台詞を聞いて、今までスマホにばかり向いていた岩村の顔が初めて前を向いた。まっすぐ響に向けられた視線はまるで何かを責めるようで、静まり返った室内に響の息を呑む音が聞こえてくるようだった。
 北条が苦い顔をして口を噤み、そんな二人の反応に戸際が不思議そうに目を丸めている。
 そうか、そうだった。例の事件が起きた時、一つ学年が下の戸際はまだ中等部生だった。響に関しては言わずもがな、今年転入してきたばかりなのだから知るはずもないだろう。
 響の今後に関わってくる事である以上、知らないままでいるよりは、詳しく説明しておくべきなのは明白だった。仕方がない。あまり気持ちの良い話ではないけれど、わがままも言ってられない。この際だから説明をしてしまおう。そう思って口を開こうとした、その時だった。

「いーよ、それは俺から説明するわ。誰かに教えてもらわなきゃ知るわけないもんねー、そんな学園の特殊ルールなんて」

 岩村のやけに明るい声が沈黙を破った。思わず目を向けると、岩村は先ほどまでのきつい視線も嘘のように笑みを浮かべ、手元のスマホを操作すると響の前に差し出した。

「俺も全部のルールなんて覚えてないからさぁ、こういう時のためにメモっといてんだ。みんなにも共有しておくねー」

 通知音と共に岩村からファイルが送られてくる。スマホに表示されたファイルをタッチして、開いた。

――所有権制にはルールがある。
 それは、そのような文言で始まる。

「一般生徒に広がっていた非公式のルールは記載の通りだよ」


――所有権制にはルールがある。

・所有権制は、ルールを理解した者のみに適応される。

・所有権制は、お互いの合意のもとでなければ認められない。

・所有権制は、一度拒否をした者に再度申し込むことを禁止とする。

・所有権申請は、2人以上の立ち合いのもと行う。

・一人に対し、所有者は一名とする。

・所有権は、一年の有効期限とする。



 一通り目を通して息を吐く。岩村が送ってきたファイルには、そのように記載されていた。

「なんだよ、これ……。こんな、所有するとか、されるとか、この学園じゃ普通のことなのかよ」

 震える響の声にスマホからゆっくりと顔を上げる。
 知らない間にこんなローカルルールまでできていたのかと、暗く根の這った学園の闇にもはや感心さえ覚える。岩村は猫のように目を細めると、響の手元から自身の携帯を回収してポケットにしまい込んだ。

「はっまさか。今ではこんな制度があったって知ってる生徒の方が少ないくらいだよ。それにこんな人権無視の制度なんて学園からとっくに禁止されてるし、学園に見つかったら重い処罰も用意されてるんだ。そんなリスク背負ってまでやる馬鹿……は、まあ特例で免除になるとはいえ、いたんだけどさ」

「……加賀谷先輩ですね……あの人は退学にはならないんですね……」

 言いにくそうに加賀谷の名前を出す戸際に、北条と岩村、そして俺で顔を見合わせてため息を吐く。何の弁護のしようもない。
 岩村は両手を組むと声を抑え、低く唸る様に続きを話す。

「初めてこの所有権制が使われたのは二年前のこと。当時の生徒会長がある生徒に対して所有権を唱えた」

 二年前。丁度、今くらいの時期だったか。生徒会室の窓の外の、風に吹かれる青い木々に目を向けて、岩村へ視線を戻す。それはまだ夏が来る前。高等部へ上がった俺たちはやっと新しい生活に慣れ始めてきた5月の頭のことだった。

「当時の生徒会長…学園の頂点に君臨していたその人に異議を唱える者はなく、また生徒自身も、生徒会長の所有となることを認めた。その日、その生徒は学園公認の生徒会長の所有物となった。そしてついでに所有権制なるものが誕生した、ってわけ」

 思い出話をするように言う岩村の顔には苦々しい色が浮かんでいる。冷めてしまったコーヒーに口をつけると酸味の混じった苦みが、口内に広がっていく。

「当時は随分流行ったよねぇ生徒同士の所有権。生徒会が自分たちのことは棚に上げて、一般生徒によるそういう関係は禁止にしていたから表立ってはできなかったけど、かなりの数がいたんじゃねぇの」

「トラブルも比較にならないほどあったそうで、そこでこの件に関しての取り締まりを一任された風紀が台頭してきたとか」

「はぁ、はじめから二強ってわけじゃなかったんですね」

 腕を組む北条に驚いた様子の戸際。なるほど、確かに2年前……俺たちが1年生だった頃は、まだ風紀はそれほどの力を持っておらず生徒会の一強だったと思い出す。

「でも、どうしてそんな話が今さら、俺に……」

「わっかんね。だから俺たちも困惑してんだー。ほんと、あの堅物馬鹿は何考えてるんだか」

 あいつは面倒なやつだが決して馬鹿ではない。今さらそんな化石の様な禁忌のルールを持ち出して一体何をしようとしているのか。全く考えが読めずに、不気味にさえ思えてくる。

「ルールとしてはお互いの同意が必要だし、一度でも拒否した相手に再度申し込みをすることはできないようになってんの。非公式でもそれなりのルールのもとでやってたから当時の生徒会も大きくは動かなかったんだよ。まあ一年後、当時の生徒会長が卒業してから、学園が正式に動き始めたんだけどさ。所有権を唱えるなんて、今じゃ下手したら退学もんよ」

「今回は巡流もルールを知りませんでしたので無効扱いになりますが、次はそうはいきません。ですがしっかり拒否をすればもう同じことはしてこないはずです」

「つまり風紀委員長が俺に所有権を唱えたのは退学覚悟で、ってこと?」

「いいや。加賀谷は風紀委員長だから、今説明したルールには当てはまらないんだ」

「???」

 響だけならず戸際の頭の上にもハテナが飛び交っている。二人がそうなる気持ちもわからなくはない。苦笑する岩村がちらっとこちらを一瞥して、すぐに視線を戻した。


「公式は少し勝手が違うんだわ。役職付き――生徒会役員だとか、風紀委員幹部のことを指すんだけど――、役付きが行うものを公式、一般生徒同士で行うものは非公式としている。
学園が禁止しているのは非公式のものだけで、公式ルールは黙認されているんだ。
公式の関係は広報委員から正式に発表されるから学園中の生徒が知ることになる。でも発表って言ったって誰が誰の所有物になりました!……なんて、言わねぇよ。所有権を渡した生徒は何らかの役を与えられ、それが発表されんだ。
たとえば親衛隊長。
たとえば風紀委員会秘書係。
たとえば生徒会補佐役員。
親衛隊員、みんながみんな所有権握られてるってわけじゃねぇよ。でも、ゼロではない。だから穿った目で見てくるやつらがいるのも事実」


「まるで眷属みたいだねー」岩村が自嘲するよう言って、コーヒーへ口をつけた。眷属、まさしくそのものだろう。所有するだとかされるだとか、どう考えたって高校生の俺たちに必要であるわけがない。
こんな無駄な制度を生み出したあの男は、やはり悪魔かなにかなのだろう。許していい訳がない。加賀谷だって、そのことは十分わかってるはずだったのに、一体なぜ。


「そんな、……」

「横暴だって、そう思うよな。けど、これを許し、むしろ推し進めたのは一般生徒たちなんだわ。
彼らは役付きを神様や王族、崇める対象としてみている。だから一般と同じ扱いをすることを許さないし、俺たちも彼らのお望み通りの役付きでいるために、横暴でいなければならないんだ。彼らがそれを望んでんだよ」

「じゃあ、ここにいる全員が役付きで、相手さえ承諾すればいくらでも所有権を手にできる、ってことかよ」

「まあ、そういうことになるよね。当然役付きである加賀谷が巡流に対して行ったのも公式のものだけど、だからといって何が変わるわけじゃない。まあ精々学園中に結果報告がされるくらいかな。
巡流がある日突然風紀委員会書記とかになってたらみんな察するだろうね」


「断ったらそれはそれで面倒そうだ」沈んだ顔をする響が溢すように呟く。岩村は困ったように笑うと、そうだ、と名案を思いついたと言わんばかりに手を叩いた。


「今ここでなっちゃったらいいんじゃない? 俺に所有権渡して親衛隊入ればいいよ。そうすれば俺がこの学園にいる間は手出しはされないし」

「えっ!?」

 この阿呆は。戸際、北条と顔を見合わせ、呆れて息を吐くが岩村は上機嫌で話を続けていく。

「一人の生徒に対して所有者は一人までってルールがあるからね。加賀谷に迫られるより先に他の所有者を見つければいんだよ!
あ、もちろん役付きの所有……公式じゃないとだめよ。学園に見つからないようこっそり非公式の関係が出来てても、公式の方が強いから横取りされちゃうんだわ。俺は寝取られも嫌いじゃないし、どっちかっていうと寝取りたい方だけど」

「馬鹿。何の話してんだ。……とにかく、そういう手もあるとだけ考えておけばいい。ただしあんまり悠長にしている時間はないぞ」

 困惑しながらも小さく頷く響にふっと肩から力を抜く。なんにせよ一度あの馬鹿を問い詰めておくべきだろう。諸々の事情を含めて考えても、響をこのまま放っておくべきではないことくらい一目瞭然だ。

 俺の隣に座り、ぼんやりした様子の戸際に目を向ける。戸際は生徒会役員の中で唯一の二年生だ。響と戸際はクラスは違うが、俺や北条なんかよりもよっぽど響を気にかけてやることができるだろう。
 戸際の肩を叩くと、戸際ははっとした様子で振り向いた。

「戸際。放課後、響を寮まで送ってやれ」

「えっ俺ですか」

「そうだ、お前だ。同じ学年だろ」

「えぇ、快斗じゃちょっとばかし頼りなくねぇ?」

 口を突き出して言う岩村に戸際がなんとも微妙そうな顔をする。岩村の言う事もわかるが、戸際の言いたいことも十分伝わってきて引きつった笑みを浮かべる。
 不服そうに「ちょっと、岩村先輩。ひどいです」と抗議する戸際に、岩村がけらけらと笑っている。

「まあ。仮にも役員に手を出すような馬鹿はいないだろ。風紀だって、生徒会が近くにいれば近寄ってこないはずだろうし」

「会長。それなら僕も同行します。いいですか?」

「北条も? ああ。まあ、急ぎの仕事もないし、今日はそのまま帰るといい」

「えっ、じゃあ俺も一緒に帰る……って思ったけど、親衛隊の子と約束あったんだった。また今度一緒に帰ろうね」

 すっかり馴染んだようで、わいわいと盛り上がる岩村たちの様子を横目で見ながら深くソファに体重を預ける。すると無意識に感じていた緊張の糸が解けたのか。腹の虫が弱弱しく鳴き始めて思わず、腹を擦った。

「あぁ……そろそろ昼の時間が終わるな」

「げっ、飯抜き!? 購買ならまだ開いてるよね。ほら快斗、なにぼーっとしてんだよ、いくよ」

「えっ!? お、俺ですか!? あっ、ちょっと、岩村先輩……引っ張らないでくださっ」

 慌ただしく出て行く岩村と戸際の後ろ姿を見送って、息を吐く。北条もどこか疲弊したような様子で、空になったマグカップを片すために席を立った。
 片付けくらい自分も手伝おうとその場で立ち上がるも、困惑と疲弊を隠し切れない様子の響に気が付いて思わず足を止める。そうして半ば無意識に、卓上のメモ帳にボールペンを走らせた。


「響、これは風紀の番号だ。加賀谷の件はともかく、校内で何か問題に巻き込まれそうになったらすぐに連絡しろ。あいつらも馬鹿ではない。問題をごちゃまぜにしたりはしないはずだ」

「風紀、ですか。……はい、ありがとうございます」

「こっちは寮監の番号。マスターキーを持ってる。……これは俺の番号だ。風紀も寮監もダメで、どうしようもなくなったらかけろ。そんな問題が俺にどうにかできるとは思えないし、そもそも出るかはわからねえが」

 相変わらず、分厚い眼鏡の向こうの表情は読み取りにくい。けれど驚いたように少し開いた口がぱくぱくと開閉し、そして息を呑むように喉が上下する、その様子に小さく笑う。

「あ…ありがとう、ございます。こんな親切にしてもらって、俺……」

「窮地に立たされている奴を放っておく趣味はないからな。……さっきの、お前が転校初日に受けた同室者からの暴行の件は風紀には届け出たのか?」

「……いや」

「……好きにしたらいい。ただ自分の選択を後悔するなよ」

「はい、わかっています」きゅっと結んだ口元。力強く頷くその姿に、こいつが後悔する姿は見たくないと強烈に思う。やはりどうにかしなくちゃいけない。謎の制度も、ルールも、学園も、生徒たちの意識も全部。
 響の肩を叩く。やはり俺も、自分の選択を後悔するわけにはいかないのだ。


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