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 一体なんだっていうんだ。

「……巡流、何かしたの?」

「し、しらない……俺だって聞きたいくらいだ」

 良弥が小声で耳打ちをしてくるのに対して、ぶんぶんと首を振る。

「君たちは下がっていてください。岩村君と戸際君も、余計なことはしないように」

 向かいの席に座っていた北条先輩が険しい顔つきで席から立ち上がった。
 一体、なんだっていうんだ。
 始めは生徒会役員だった。副会長と会計、書記が食事を共にしたいと言ってそれに承諾してすぐのこと。黒髪のいかつい男が何名かの生徒を引き連れて、明らかにこちらを目指しながらまっすぐに向かってきたのだ。その異様な雰囲気に空気は張り詰める。

「……なんで生徒会んとこの役員どもがいるんだ」

「悪いけど、僕たちは今食事中です。あとにしていただけますか? 加賀谷君」

 加賀谷。そう呼ばれた男が北条先輩をにらみつける。しかしその凶悪な睨みに全く動じない北条先輩の姿に、王子みたいな顔して案外肝が据わっているんだと場違いながらも妙に感心してしまう。
 そしてはらはらとその一部始終を見守るのは俺たちだけではなかった。食堂に居合わせた生徒たちの注目が見事に集中している。向けられた視線が刺さるようで、ひどく居心地が悪かった。

「それにこんなたくさんの生徒の前で、何人もの風紀委員を連れて来るなんて……」

「うるせぇ。てめぇに用はねぇ」

 北条先輩の台詞を遮り、一蹴する加賀谷と呼ばれた男がまっすぐ俺の前まで向かってきた。射るような目。深い黒の瞳に目が奪われて、離せない。

「お前が響巡流か。……噂通りだな」

 そして加賀谷は俺のつま先から頭のてっぺんまでを、まるで汚物を見るような目で見て言う。この学園に来て、叔父さんの言う通りの変装をするようになってからはそんな目で見られることにも随分と慣れた。しかしここまで鋭い眼光に睨まれるなんて初めてだ。心臓がきゅっと掴まれたように痛くなって、思うように体が動かせなくなる。
 加賀谷の腕には「風紀」と書かれた腕章が身につけられている。どうやら彼は風紀委員会の人間らしい。


「そうだけど・・・俺になにか用、ですか?」

 ただ、俺は3人で昼食をとっていただけなのに。生徒会に、風紀に、一体なんだっていうんだ。怒りにも似た感情が、ふつふつと沸いて出てくる。

「・・・俺は加賀谷。風紀委員会の委員長をしている」

 張りつめた空気に心臓が震える。隣の灯も良弥も、生徒会の役員も風紀委員も、みんな何も言わず事を見守っている。否、この空気では何も発言することなんてできない。許されるわけがない。目の前の男、風紀委員長の絶対的風格に身動ぎさえできずにいるんだ。

 ああ。この感じ、どこかで感じたことがある。そうだ、それは、はじめてあの人に、生徒会長を前にした時。同じだ。あの人と、風紀委員長は、同じなのだ。


「響巡流。今からお前は俺の所有とする。ついてこい」

 風紀委員長のやけに落ち着いた、静かな声が空間を震わし、鼓膜まで届く。
 今、彼はなんと言った? 静かに目を見開いて、目の前の男を見上げた。
  
 気がつけば食堂内はさっきと打って変わり、酷く心地悪い叫び声に包まれていた。


**



 なんであいつがここにいるんだ。いや、違う。さっき戸際の話の通りなら理由はわかっている。そうしたら風紀の目的は、意図は一体なんなんだ?
 北条たちのいる席へと一直線に向かっていく風紀委員の連中の先頭に立つ男。加賀谷に息を呑み目線が釘付けになる。身を縮こませる響の姿が人垣の隙間から見えて、思わず足先がそちらへと向くけれど、それ以上体は動かなかった。
 数分の差とは言えど風紀より先に響と接触していた北条たちはともかく、生徒会長である俺が向かえば余計にややこしくなるに違いない。風紀は風紀の仕事をしているだけなのだから、余計な口出しは無用だろう。


「やっかいちょ! 本当に来てくれたんだね」

 風紀の列から外れて、一人こちらへ向ってくる男に顔をしかめる。軽い足取りがさもステップを踏むようで、このひりついた空気にまるで場違いだ。上機嫌にやってきた男、清原をにらみつける。

「……清原。面白いものが見れるって、これのことか。一体風紀は何を考えてる」

「昔さ、同じようなことがあったの覚えてる?」

「……いきなり、何の話だ」

 存外低く出た声に清原が猫のように目を細める。

「あれは俺たちが高等部へ進学してすぐのことだったよね。食堂でご飯を食べていたあんたらの元に当時の生徒会長が近づいて行って、言ったんだ」

「……やめろ。そんな話、覚えてない」

「『お前の所有権は誰にある?』」

「やめろ」

「君は答えた。青白い顔をして、絶望から目を逸らすように、固く目を閉じて言ったんだよ」


 そうして清原が恍惚に頬を染めて言う。

「『俺は生徒会長のものです』って」

 瞬間、記憶がフラッシュバックしていく。
 食堂、お昼時、騒がしい空間。美味しいランチ。気の置けない友人。近づく足音。顔を上げるとそこにいたのは当時の生徒会長。周囲からの刺さる視線。水を打ったような静寂。唐突な問いかけ。定められた答え。瞬間、その場にいた生徒全員が証人となる。俺は俺のものではない。俺は。生徒会長のもの。俺は、日暮八雲の所有物だと。
 日暮八雲の口角が上がる。細められた瞳の奥、雁字搦めにされた俺の姿が映りこんで、そして。

「っ! やめろ、あいつはもういない!」

 思い出される記憶をかき消すように頭を振る。記憶の中の日暮は深い笑みを浮かべると、意図も容易く消えていった。そのことに、俺は深く安堵する。

「そうだよ、あの人はもういない。けど、あの人が遺したものはいくらでもある」

「うるさい、黙れよ清原」

「…。あの時会長の隣にいた影也は、一体何を思ったんだろうね?」

「っ、付き合ってられるか。失せろ」

 これ以上話していたら気がおかしくなりそうだ。清原が行かないのなら、俺がどこかへ行けばいい。その場で踵を返して歩き始める。食欲なんて失せてしまった、これ以上ここにいる必要はない。
 半ば逃げるように歩調を早めると、それを阻止するように腕が取られた。思わず立ち止まって振り返ると、清原の蛇の様な鋭い瞳が俺を捉えて離さない。手を取られ、指を絡められる。清原の冷たい体温が指先から伝わってきて、俺の熱を奪うようだった。


「待てよ。会長にもうひとつ、おもしろいこと教えてあげるよ」

 もう、これ以上何も聞きたくない。清原の手を振りほどきたかったけれど、体は思うようには動かない。
 抵抗らしい抵抗を見せない俺に満足したよう、清原が笑ってそっと耳元へ口を寄せてくる。囁くような声が、耳に掛かって鼓膜を震わせる、


 瞬間、全開にされた食堂の窓から風が勢い良く吹き抜けていく。
 ものすごい音と風力にぎゅっと強く目を瞑った。視界は一瞬で暗闇に染まり、光がシャットアウトされる。

「ね、おもしろい・・・でしょ?」

 柔く、無邪気に笑う清原。
 食堂には俺と清原しかいないと、そんな錯覚を起こしてしまいそうなほど静まり返っている。そこだけ次元がずれているようで、取り残されたような疎外感だけが残る。

「転入生くんのおにいちゃんが影也だなんて、これ以上面白いことなんてないよね? そーま、くん」


『弟なんて、全部兄貴のもんなんだよ』
 なにをいまさら、と鼻で笑う日暮八雲の姿が清原に重なる。
 俺は何も言えず、ただ静かにその場に立ち尽くしていた。

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