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「学園内では基本バス移動だから、きちんと覚えておけ」

「基本バス移動って規模が頭おかしい……ああ、特別棟だ……たどり着けた……! 会長、ありがとうございました……!」

 ふらふらとその場でしゃがみ込んでしまいそうな響の腕を掴んで支える。遭難からの生還者みたいだな。転入早々こんなんでこれから先の学園生活は大丈夫なのか。
 相変わらず見てるだけで不安になる響の様子に、ひとまず行くぞと半ば引きずるようにして特別棟へと向かっていく。すると少し先を行ったところ、特別棟の玄関前でスーツ姿の男性がこちらへ向かってひらひらと手を振っているではないか。その姿に気がついて、歩くスピードを早めた。

「あれ、二人一緒なんて、面白い組み合わせだね。どうしたの?」

 玄関前まで到着すると慌てて頭を下げた。
 まさか外に出ているとは思わなかったから、完全に油断していた。
 高級そうなスーツに、髪を軽く撫でつけている。まだ若く、下手したら大学生にも見えるこの人こそが、まさにこの学園の理事長である。

「叔父さん!」

「……おじさ、」

 隣にいた響が理事長のもとへ駆け寄っていくその姿に体から血の気が失せていく。
 いや待て、確かに高校生から見たら理事長は大人だし、おじさんという年齢になるのかもしれないが、流石に理事長をおじさん呼ばわりするなんて、失礼極まりないというか、この馬鹿!

「ばっ、……響!」

 さっさととっ捕まえて頭を下げさせないと。そう思って響の背中に手を伸ばすが、ふと、何かが頭をよぎって、伸ばした手をそのままに体の動きを止めた。

「ひび……き。響、理事長…?」

「やあ滝真くん。今日もお疲れ様、巡流をここまで運んでくれてありがとうね」

 やっぱ一人じゃ無理だったね、と笑って響の頭を撫でる理事長……響理事長に言葉を失くす。犬か何かのようにじゃれつく響の姿と、さきほどのおじさん発言の正しい変換の可能性が頭を過って、ある一つの仮説をたたき出す。もはや俺は空笑いを溢すしかできなかった。





「そう、巡流は甥っ子だよ。僕の姉の息子。けれど編入試験はしっかり受けて貰ってるから実力は確かだよ、僕はきっかけを与えたに過ぎない」

「そう……だったんですね」

 少し前の響とのやりとりを思い出して思わず頭を抱えたくなる。まさか理事長の甥だとは。知っていれば、もう少し丁寧な扱いをしていたというのに。
 現在響には別室で待機してもらっていた。高そうな椅子に腰かけてにこにこと笑みを浮かべる理事長の視線が痛い。「そんな顔しないで、君は何も気にしなくていいんだよ」なんて言葉をかけてくれる理事長の優しさが、余計に刺さるようだった。


「それよりも。入学式、お疲れ様。いろいろとトラブルがあったみたいだね、君たちが全て片付けてくれたと聞いてるよ」

「少し問題が重なりましたが、他の委員会にも手伝ってもらい、ひとまずというところです。本日はその詳しい報告ということで、こちらを確認していただきたく」

「ああ、ありがとう。いつも任せてばかりで……本当に申し訳ないと思っているんだ。ごめんね」

「そんな、とんでもないです」

 理事長の申し訳なさそうな声音に下げっぱなしだった顔を慌てて上げると、「やっと顔上げてくれた」そう優しく微笑まれてしまい、思わず言葉を失う。

 理事長も確かに色素が薄く、若干の異国の血が入ったような顔立ちをしていたが、響のあの青の瞳とは全然違う。あいつの色は思わず息を飲んでしまうような、映えるような青だった。理事長のアンバーは調和するような優しさを持つ。まさか二人が血縁だなんて…。
 そんなことを無意識ながら考え、失礼にもまじまじと見つめていたらしい。困ったように笑う理事長の、俺の名前を呼ぶ声ではっとして、慌てて頭を下げた。

「いいんだけど、そんなに見つめられると照れるなって」

「す、すみませんでした。響と……あの、巡流と、血縁ということに驚いてしまって」

「あまり似ていない?」

「……あいつの素顔をきちんと見たわけではありませんから。でも、目の奥の色は似てるなと思いました」

「そっか、滝真くんはあの子の目を見たんだね」

 理事長は息を吐くと、どこか遠くを思い浮かべるように目を細めた。まるで昔話をするように、呟くようゆっくりと口を開く。

「綺麗な色だ。僕の母…巡流の祖母に当たる人が英国の血を継いでいた。僕も姉もさっぱりだったのに、あの子は濃く血を継いだようでね」

「隔世遺伝、ですか」

「わからないものだよね。出生もまた複雑でね、彼がこの世に誕生したとき、姉は愛しさと哀れみで涙を流していた。姉はあの子を守るために、いろんなものを手放したんだ。大切なものも、守るべきものも、全部ね。たった一人、巡流だけを守るために」

 まるで何かを責めるみたいに言う理事長に固く口を閉ざす。理事長は怒っているのだろうか。何に……巡流の母に?それとも、そうなってしまった環境に?そもそも、なんで俺にそんな話をするのだろう。
 そんな俺の考えなんてすべて見透かしていると言わんばかり、理事長は俺へ目を向けると、柔らかな笑みを浮かべたのだった。

「ごめんね、こんな話。でも、君には知っていてもらいたかったんだ。姉の考えなんて俺にはわからないけど、でもあの頃の彼女にはそれしか術はなかったんだって」

「……俺も、まだ子供なので全部を理解はできませんし、正直よくわかりません。でも、…だから、巡流はあなたと同じ目をしているんですね。お姉さんが、あいつを守ったから。大切なもの全部手放してでも、巡流を守り育ててきたってことは、あいつ自身が証明してくれています」

 慎重に、言葉を選びながら言うと、理事長は少し驚いたような顔をして、そして何か苦しみに耐えるよう口を結んだ。

「こっちおいで、滝真くん」

 机を挟んで、ではなくすぐ隣りへ。理事長に言われ、静かに向かう。
 席についたままの理事長のすぐ傍まで来ると、少し目線が下がった。見上げるような理事長の視線に乾いた唇を舐め、静かに彼の名前を呼ぶ。
 理事長の手が伸びて、そっと俺の顎を掬った。アンバーの瞳には、緊張し強張った様子の俺の姿が映っている。頬がなぞる様に撫でられ、そのまま髪を梳く。後頭部に回された優しくも熱っぽい手つきに喉が鳴って、気道が狭まるような息苦しさを覚えた。

「理事長、あの、……近いです」

「うん、近いね」

「からかわないでください。巡流も待たせていますし、俺はそろそろ」

「待って。少し疲れているね、身体が熱っぽい」

「……それは、」

 言葉に詰まると理事長は仕方がないという風に笑った。大きな掌が頭を撫で、そうして離れていく。少しの名残惜しさと、安堵に、静かに胸を撫でおろした。


「……君たちに全て任せておいて言うのも難だけれど、無理をしないでくれ。君が倒れたら一大事だよ」

「…はい。ありがとうございます、理事長」

「こら、前に教えただろ?」

「……すみません。竜都さん、ありがとうございます」

「いい子だ。いつでも頼ってくれていいから、無理はしないで」

 そう言って竜都さんは、満足げに微笑むのだった。



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