7
*二年前の話
日替わりA定食は食堂で一番価格が安いとはいえ、この学園に併設された学食レベルはそこらのファミレスなんて比較にもならない。本日の日替わりメニューである生姜焼きを食べながら、向かい側の席に着くクラスメイトの佐藤雅宗へ目を向けた。
既に食事を終えた雅宗は水の入ったコップを煽った。どうやら雅宗にはこの後、補習の小テストがあるらしい。
「小テストのために昼抜きなんて御免だ」と4限の途中で抜け出した雅宗は早々に食事を済ませ、堂々と満腹の状態で補習に参加するらしい。しかしこの様子では食後の眠気に抗えず、また赤点を取るに違いない。せめて解答用紙を全て埋めてから寝ろよな、と念押しをしているところである。
「補習はまだいいとしても小テストでも赤点続きで留年……なんて、つまんない真似すんなよ。今回の小テスト受からなかったらしばらく夜遊び禁止な」
「逆にお前がすげーと思うよ俺は。授業中居眠りばかりのくせに、なんでそれなりの点数を取れるんだよ。化け物か」
「教科書読めば“それなり”くらいは取れるだろ」
「……浅葱の坊ちゃんと比べたのが間違いだった」
拗ねたように口を突き出す雅宗にむっとして眉間にしわを寄せた。「まずは教科書開いてから言え」と真っ当な指摘をすると雅宗は耳を塞ぐ。その様子に呆れて物も言えない。
実のところを言うと、学園外で行われる集会に夜遅くまで参加しているせいで、最近では昼間の生活が疎かになっていた。
夜更かしのせいで昼間は猛烈な眠気に抗うことも出来ず、授業は気が付けば夢の中なんてざらだ。クラスFの連中が授業を真面目に受ける方が珍しいくらいだから教師はいちいち注意することもない。
ここらで一度軌道修正するべきだろうかと、目の前ででかい欠伸をする雅宗を呆れた眼差しで見つめていると、雅宗は頬杖をついて言う。
「ねっむいなあ……ああ、そうだ。滝真、今夜の集会で何するか聞いてるか?」
「何……って、なんだよ。どうせ喧嘩売りに行く前の気合入れだろ」
毎度毎度、同じようなことの繰り返しでよく飽きない。グループの上の奴らは喧嘩相手への恨み節と、仲間の大切さを謳っておけばいいとでも思ってるのではないだろうか……なんて思えてくるが、実際その集会で下っ端たちの喧嘩への士気は高まるのだからむしろ感心さえする。上のやり方はあながち間違いではないということなのだろう。
きっと今夜もいつもと同じだ。昼の生活に鬱憤をため込んだ阿呆が阿呆同士で殴り合いの喧嘩をするのだ。馬鹿みたいだと思う。けれど自分も彼らのように馬鹿に成り下がって鬱憤を晴らすことが出来たらどれほど楽になるだろうか。すべてを捨てて、自分の思うように生きることが出来たら。……なんて。
「まあ、そうなんだろうけどよ。なんか総長から発表あるって。滝真、お前なんか聞いてねぇの?」
「……なんで俺が聞いてるんだよ。なんも聞いてない。そもそもあの男の顔なんてしばらく見てねぇよ」
「それなんだよなぁ。ここ最近総長が集会で顔を出すことも減ったしよ、みんな結構不安がってんだぜ」
不安がってる、って何をだよ。頬杖をついた雅宗をじっと見つめる。
トップ不在のチームが別の形へなっていくことにか。あいつがチームを抜けることにか。チームがなくなることにか。そんなの、全部どうなったっていいと、心から思う。喉元まで出かかった台詞を飲み込んで、口元に笑みを浮かべた。
「……知るかよ。俺には関係ない」
「お前さぁ……はあ。一応お前もメンバーのひとりだろ。どんな形だって、お前は八雲さんが連れてきたメンバーだ。みんなお前のこと仲間だって思ってんだよ」
「……あいつが用意した場所に、あいつが用意した仲間…? そんなの、俺には必要ねぇ」
「……滝真、」
捲し立てるよう棘だらけの言葉が喉の奥の方で渦巻くけれど、雅宗の切なそうな表情に、喉元まで出かかった言葉もまるで氷のように解けて消えていく。
「なら、俺もいらない?」
「……お前は」
「なんてな。悪い、そろそろ補習始まるから行くわ。じゃあ、またあとでな」
お前は、違うだろうが。続くはずだった台詞は雅宗が椅子を引く音に掻き消えていく。
自嘲するように言って、一瞬捨て犬の様に心もとない顔をする雅宗。そして踵を返し、返事も待たずに歩きだしてしまうその背中に、ガラじゃないこと言うなよと口の中でつぶやいた。
「あれ、滝真。一人飯? 空いてるならここ座っていい?」
雅宗と入れ替わる様にそうやって声を掛けてきたのはトレーを手にした岩村と加賀谷だった。高等部へ上がって、クラスが離れてからは二人と話す機会もぐっと減った。久しぶりに見た二人はまるで別世界の住人のようにきらめいて見える。クラスFとSではこうも違うのかと、思わず圧倒された。
「いや、俺は……」
言い淀んで、離れていく雅宗の方へと目を向けた。すると顔だけ振り返り、俺たちの様子に気が付いた雅宗が、ひらり手を振って今度こそ背を向けて行ってしまった。人ごみに紛れていくその背中も、すぐに見失ってしまう。
ひどいことを、言ったかもしれない。口を噛み、嘆息する。どうせ今夜集会場で会えるだろう。その時、きちんと謝ろう。
「あ。ごめん、ツレいた?」
「いや、一人だ」
「なんだ、こんな広い食堂でぼっち飯か?友達も出来てないって噂は本当だったんだな」
「そんな噂広まってんのか、最悪だな」
「せっかくだし久しぶりに一緒にお昼食おうよ」
二人は俺の返答を待たずに空いた席へとトレーを置いた。相変わらず話を聞かないやつらだと苦笑して、どうぞ、と受け入れる。
三人集まってする話は大体くだらなくておかしい。なんの身にもならないような雑談を交わしながら昼を食べ終えたところで、食堂内の騒がしさに気が付いてお互いに顔を見合わせた。食堂はいつも煩いけれど、これは少し違う。入口の方には人だかりも出来ているようで、「サルでも迷い込んだのか」と言う加賀谷に対して咄嗟になわけあるかと突っ込むが、ここは山奥でもあるわけだしあながち間違いじゃないかもしれないと神妙に思う。
「生徒会でしょ。食堂使うなんて珍しいこともあるもんだね」
「生徒会……」
嫌な予感がした。ざわざわする。しかしさっさと退散すると言ったって、自分から騒ぎの中心地である出入り口の方へ向かうなんて考えたくもない。
「ほら、やっぱり。生徒会長までいる……滝真、大丈夫?」
「おい。顔色悪いぞ、大丈夫か」
「あ……そう、だな。そろそろ教室に……」
戻ろう。空になった食器の乗ったトレーを手に腰を上げた、時だった。
不意に、影が落ちた。先ほどまでの騒々しさはどこかへ、水を打ったような静寂。ひりつく空気。滲むような嫌な汗につばを飲み込んで顔を上げると、そこにいたのは。
「ぁ……」
「やあ、浅葱滝真。唐突だけれどお前に問う。お前の所有権は誰にある?」
突如として目の前に現れたのは生徒会長……日暮八雲だった。なんて酷い質問なんだろう。何の脈略もなくて、突発的で、きっとこの男は何も考えてなどいない。しかしこれに答えれば俺の生活はがらりと変わる。有無なんて言わせない。暗い絶望が広がっていく。逃げられない。どこにも、逃げ場所なんてない。八雲から目が離せず、言葉にならない声がこぼれていく。
生徒たちの視線が突き刺さる。岩村の唖然とした顔。加賀谷の険しい顔。見るな。こんな俺の姿なんて、見るな。
「……俺、は」
「ふざけんな……おい、浅葱。やめろ、答える必要なんてねえだろ」
「もういいから、行こう。ほら、滝真」
二人の手が俺を引っ張った。瞬間それまで動かなかった足が、体が、溶けていくように動き出す。二人ならここから助け出してくれる――。絶望に合間に見えた光にゆっくりと顔を上げた。そうやって絶望から抜け出すために希望を見出そうとしたのが、間違いだった。
「んーなんだかうるさいなぁ。君たちは……滝真の友達? 加賀谷くんに岩村くん、っていうの」
二人の名札を確認してため息交じりの笑う八雲。煩わしそうな声に汗が噴き出て、二人に掴まれていた手を咄嗟に振り払った。
「違う! 友達じゃない。ただ、……付き纏ってくるだけだ」
「はぁ!? お前、なに言って」
「うるさい、黙れ。俺は、いま、この人と話してる。……邪魔だから、どこか行け」
「うん、そうだね。君たちはただの証人であればいい。いま俺は生徒会長として滝真に尋ねている。お前の所有者は誰だ? お前は、誰のものだ?」
八雲が笑う。簡単だろう?ほら、みんなに向かって大きな声で答えろよ。そうやって目が語り掛けてくる。再び絶望に呑まれていく。答えなんて、決まってる。俺は生まれたときから今に至るまで、ずっと。
「俺は、生徒会長のものです」
静寂は崩壊した。生徒たちの騒々しい声、向けられた視線、フラッシュする携帯。満足そうに微笑む八雲が、俺の手を取って絡め合わせた。もう、俺を引き留めようとする二人の顔をみることはできなかった。
「滝真はいい子だね。こっちにおいで」
***
side change
閉じていた目をゆっくりと開く。
「ちょっと委員長、もうやめてよ。なんでそんなにピリピリしてんの?」
閉ざされたカーテンの隙間から光が差し込んでいる。「暗いし空気悪いよお」とカーテンを開け放ち、清原は窓を開けた。初夏の爽やかな風が入り込んでくる。まるで自分の心境そのものだと肺いっぱいに空気を吸い込んで、未だ暗がりで黙り込んだままの加賀谷を振り返った。
「何が引っかかってるの? もしかして後悔なんてしてる? 大嫌いなあの人のマネをしてみて、ちょっとは理解できたことが心底胸糞……って感じ?」
「うるせぇ。聖希、黙れ」
「こっわぁ」
なんだっていいけどね。もう今さら止まれない。清原は窓辺に後ろ手をつくと加賀谷の背中に向かって続ける。
「会長、ひっどい顔してたなあ。青白くて、今にも吐いちゃいそうな顔で、足元もふらふらしてて。そのくせ強がって巡流のことかばってさあ。あー、やっば……興奮すんなぁ」
「黙れって言っただろ。それ以上あいつの話がしたいならここから出てけ」
加賀谷から発せられたのは低い、唸るような声だった。
ほら、会長の話になるとすぐに不機嫌になる。せっかくいい気分だったのになあ。清原はため息を吐くと加賀谷の肩にそっと手を置いた。
「とにかく、今後はもう少し考えて行動しようね。固執する気持ちもわかるけど、あんなやり方じゃ生徒会は黙ってないし、何より巡流を怯えさせたら元も子もないでしょ?」
「・・・全部が終わってからじゃ遅い。巡流は風紀に入れる」
「そりゃそうだけどさぁ、あんまりひどいことして風紀には協力できないって言われたらどうするの? 巡流も知らないうちに会長と仲良くなってたしさあ、……ああ、でも逆にいいかもねえ……。会長のための裏切り……うんうん、いいんじゃない」
「……」
「計画はもう一回立て直してみるよ、うまいことできそうな気がするし。影也はもう少しお兄ちゃんとしての自覚を持った方がいいよ、頑張って」
「……」
加賀谷は答えない。それでもいい、計画は始まったのだからもう止まることはないだろう。まずは響巡流を風紀に取り込む。――理想を手に入れるために、俺たちは立ち止まってはいられないのだから。
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