夢の話1



その日の晩、酷く懐かしい夢を見た。

祭りでいろいろな出来事があったせいだろうか。
古い記憶が呼び覚まされるように、俺は逃げないという選択をした、忘れもしないあの日の出来事を夢に見たのだった。



「滝真、いるのか」

「・・・・・・いる」

小さく返事を返すのと部屋の電気が点くのはほぼ同時だった。
一人で生活をするにはあまりにも広すぎるその空間、申し訳程度に設置されたソファの上で座り込む俺は何をするでもなくただ一日、ずっとぼんやりしていた。
部屋に帰ってきた男は俺の姿を見つけると、ソファの背もたれの方から顔を突き出すようにして、俯く俺を顔を覗く。存外近いところで視線が合うと、男はその整った顔面をぐにゃりと歪めて大きなため息を吐き出したのだった。

「きったねーなあ。なんだよその傷。またやられたのか?顔はやめとけって言ってんだろ、学習しねえなあ」

そんなことを俺に言ったって仕方がないだろ、顔を狙って殴ってきたのは相手なのだから。そう文句を言ってやりたかったけれどすんでのところで飲み込む。余計な口答えをしてもいいことなど一つもない。

日暮八雲は呆れたような顔をしてソファの背もたれを乗り越えて俺のすぐ隣に腰を落とすと、傷のついた頬を、遠慮も躊躇もなく抓り上げた。痛みで小さな悲鳴が漏れる。小さな傷とはいえど、まるで傷を抉られるような痛みに反射的に抓るその手を掴めば、八雲の鋭い眼光が俺を突き刺した。

「い、いた、・・・離し、」

恐怖で身が竦んでしまったのだろうか、思うように声が出なくて、小さく掠れた情けない声がだだっ広い部屋にぽつんと落ちる。
八雲は何も言わず、ただ底冷えするような瞳で俺をじっと見つめるだけ。条件反射のように、全身にじわりと汗が浮かぶ。
何か癇に障るようなことを言ってしまっただろうか、機嫌を損ねたのなら謝らなければならない。しかし理由もわからずに無闇に謝ることを八雲は嫌う。どうしたらいいのか、計りかねているとしばらくそんな俺の不審な様子を眺めていた八雲は、突然興味を失ったようにぱっと手を離し、その場で立ち上がって伸びを始めた。その様子に内心緊張の糸が切れる。どうやら謝らないで正解だったようだ。しかしそんな俺の安堵をぶった切るように、八雲はそのまま上から俺を見下ろしてとんでもないことをさらりと言い退けたのだった。

「ああ、そうだった。明日の朝会でお前を正式に生徒会補佐にすると発表するから、8時には第一体育館に来い。その傷も見栄え悪いから絆創膏かなんか貼っとけ」

「・・・は?急に、何を」

「ちなみに来ないならそれでもいい。本人挨拶ができないんじゃ補佐の話も無しにするつもりだ。あとは自分で選べばいい」

八雲は俺の返事なんて初めから聞くつもりもないようで、言いたいことだけ言うとそのまま立ち上がって部屋を後にしようと背を向けた。
ちょっと、待ってほしい。なんだよ、いきなりそんなこと、言われたって。言いたいことや不満や疑問がぐるぐると渦巻くけれど、その去って行く後ろ姿を呼び止めるための声は出てこない。喉の奥でまるで詰まったみたいに、声にならない言葉達が浮かんでは消えていった。



「行かなかったら、……」

溢れるみたいに、小さな俺の声が偶然にも八雲に届いたのか。扉に手をかけた八雲は動きを止め、顔だけ振り返って静かに俺を見つめた。
その瞳には何もない、ただ暗い闇が続いているだけだった。


「行かなかったら?卒業まで今の生活を送ることになるだろうね」

まあ、お前の人生それでもいいんじゃない。そう言って嘲るよう笑う八雲はもう振り返らないで、そのまま部屋を出て行ってしまった。
一人部屋に残されて、俯く。俺の人生がどうなろうと、八雲は知ったこっちゃない。当たり前だ、元々他人に興味も無く、人がどうなろうとどうでもいいというような人間なのだから。

しかし、部屋の主は俺にそれだけを伝えるために一度帰ってきたのだろうか、だとすれば本気で俺を生徒会に引きずり込もうとしている?
しかしそれならば、始めから俺に選択肢など与えないだろう。俺が今の生活を続けるはずがないと思っている?絶対に八雲に着いていくという自信があった?…わからない、けれど、八雲がそんな賭けにも近いことをするだろうか。俺を本気で生徒会に入れたいと思っているならもっと確実な方法を取るはずだ。ならば、俺が入っても入らなくても、本当にどちらでもいいと思っている、ということだろう。
あの男を理解することはとっくに諦めたつもりだったけれど、わけもわからずに振り回され続ける事は想像していたよりもずっと苦痛だった。


ソファからゆっくり立ち上がると昨夜の喧嘩で負った傷が痛んだ。
八雲の部屋で、八雲の服を纏い、八雲の帰りを待っていると、本当に自分が八雲の所有物になったような気がして酷い気分になる。
一度気分を変えよう、そして考えなければ。俺の人生を変えることができるのは俺だけなのだから。

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