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「赤城先輩これ食べます?」
「ありがとうございます。けれど僕の事は気になさらなくて大丈夫ですよ」
「赤城先輩さ、俺の方が年下なんだしいいですよ、敬語なんて使わなくって。滝真の親衛隊長ってだけで俺関係ないし」
「……しかし」
困った様子の赤城が助けを請うように、俺へ目を向ける。
「……晴の言う通りだ。お前の好きにしたらいい」
「…わかりました。そうしたら晴くん、一緒にたこ焼き買いに行ってくれる?」
その口調はまるで子供扱いだ。
また逸れたらかなわないからと自虐交じりに笑みを溢す赤城。晴は一度俺に目を向けると、赤城からのそんな扱いは気にならないらしい。もちろん、と笑いながら頷いた。
「滝真も行く?」
「…いや、待ってる」
「それじゃそこの木陰にいて、ちょっと行ってくる」
「滝真様。これを持っていてください、風紀の皆様から連絡があるかもしれませんから」
赤城はそう言って半ば無理やり携帯を押し付けてきた。受け取った携帯をどうしようか、困惑している俺を置いて二人は人ごみに紛れていく。
そうして二人の姿が見えなくなった頃、ようやく張りつめていた空気が和らぐような感覚を覚える。まるでずっと詰めていた息を一気に吐き出して、肺いっぱいに酸素を取り込み、そうしてもう一度深く吐き出す。そのままおぼつかない足取りで先ほど晴が指さした木陰の傍まで行き、地面から浮き上がった太い木の根っこに腰を落とした。
俺は一体何に緊張していたのだろう。先ほどの晴の姿が目に焼き付き、そして俺の名を呼ぶ声が耳にこびりついて、どうしても離れなかった。
「浅葱。ここにいたのか」
「……加賀谷か」
頭上から掛かる声にゆっくり顔を上げる。
予想していた通りの人物に特段驚くこともなく、そいつの名を呼べば加賀谷は訝し気に眉を寄せた。
「なんだその顔は。何かあったのか」
「…お前が指摘するくらいだから、余程酷いんだろうな。そんなに酷い顔をしてるか」
加賀谷が俺の問いに答えることはなかった。
加賀谷に対して気の利いた返答なんて期待してはいなかったけれど、それでもスルーはないだろうと思う。一度深く息を吐き出して遠くの方で賑わう屋台の方へ目を向け、その様子を眺める。なんでこうなってしまったんだろう、確かに物の数十分前までは俺たちもあの人たちのようにただこの騒がしい空間に身を委ね、楽しんでいたはずなのに。
「お前、前に言ってただろ。晴が俺に見せている顔は一面でしかないって。あの時はこれっぽっちも気にも留めなかったけど、今思えばお前の言う通りだったって思うんだ」
「何の話だ」
「とぼけんな。歓迎会当日、わざわざ生徒会室まで足を運んで晴が風紀委員に入ったって知らせに来た日の事だよ」
「そんなこと、あったか」
「……俺は、あの日、お前が…風紀が何か企んでるんじゃないかって、晴を使って何かしでかそうとしてるんじゃないかって思った。けど違ったな。本当に俺があいつの抱えているものを、本当の姿を見れていなかっただけの話だったんだ」
自分が情けない。お前に対しても、弟から逃げるななんて言っておいて。苦笑交じりに言うと加賀谷は一度だけ俺に目を向けて、すぐに視線を逸らした。
日暮八雲の存在は関わった人間すべてを不幸にする。俺も、晴も、そして加賀谷や岩村だって。
あの男に関わりさえしなければ、…違う、俺と関わりさえしなければ、こんなことに巻き込まれないで済んだ。風紀も、生徒会も、ランキングも何もかも、あいつが作りそして遺したもの全てが糞くらえだ。だからこそ、俺の手ですべてを作り変えてやる。そうやって、あの日二人を俺の捻じ曲がった運命に巻き込んだ日、固く決めたはずなのに。
「こんなことになるなら、始めっから逃げておけばよかったな」
あの日、逃げておけば俺は生徒会長になんてならないで済んだ。そうすれば加賀谷や岩村だって風紀や生徒会に入らなかったし、今のように対立する必要なんてなく昔のように三人で馬鹿やって、同じ時間を過ごせただろう。
弟の闇にだって気が付かないで済んだかもしれない。ただ犬のように懐っこい晴の相手をして、ただひたすら代わり映えのない毎日を、作り上げられた奇妙なルールの下で送っていく。歪んだレールの上を、為す術もなくただ進んでいき、最後に俺は、俺だけが想像もつかないような進路を歩んでいくことに、なって。
「…今からでも、逃げるか。一緒に」
まるで子供の目線に合わせるように、木の根っこに座り込む俺の前で腰を落とす加賀谷が何気ないことを提案するかのように言った。
しかしそれは、とんでもないことだ。その言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要したが、理解したとはいえそれにすぐ答えるにはあまりにも俺の立場も、加賀谷の立場も、重すぎる責任を伴っていた。
一体どんなつもりでそんなことを口にしたのだろうか。お互いの立場をわかった上で言っているのだとしたら、それはとんでもない無責任野郎でとんでもない阿呆だ。しかし加賀谷が何も考えずに適当にそんなことを口にするわけがないこともわかっているからこそ、余計にその意図をはかりかねた。
いつにもまして何を考えているのかわからない、俺の後ろの提灯の光を反射した加賀谷の瞳を探るようにじっと見つめる。
その目には困惑しきって情けない顔をした俺の姿も共に、暗い闇夜に浮かぶよう、映し出されていた。
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