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「はいどうぞ」

晴が差し出す先ほど買った炭酸水を受け取って、そのまま喉に流し込む。

漸く口の中にできた余裕にほっと息を吐く。一旦落ち着いてしまったせいか、晴に対して怒るような気力は湧かなかった。

晴の隣に腰を落として行きかう人たちを眺める。ここで屋台の列がおしまいのせいか人通りは少ない。みな一様に引き返していくその姿に、屋台列の終了地点のここならいずれ赤城や加賀谷たちとも合流できそうだ。それに人通りが少ないお陰で少し落ち着けるなとも思う。晴はそんな俺を横目で見て、同じように前へ視線を投げた。


「兄貴はさ、なんで生徒会なんて続けてるの?」

「なんで…って、」

晴からの唐突な質問にすぐには返す言葉が見つからずに口ごもる。いきなり何の話かと思えば、なんて突拍子のない。…いや、もしかしたら突拍子ないなんてこと、ないのかもしれないな。
なんとなく、今までの晴の行動を思い返す。確かに晴はずっと、今の俺の立場を良しとはしていなかった。それは生徒会に対して不信のある証拠か、はたまた単に兄を想っての事か。
一向に返事をしない俺に痺れを切らしたのか晴は小さく息を吐いた。

「…聞き方を変えるね。兄貴が生徒会を続ける理由ってなに?」

「理由なんて。……けじめか…なんだろうな。周りを巻き込んで、ここまで来たんだ。今さら俺だけが降りるなんて許されないだろ」

「……巻き込むってなに?兄貴は巻き込まれたんでしょ?あいつ……八雲の悪趣味に巻き込まれて、付き合わされて、後片付けを全部押し付けられただけじゃないの?」

まるで責めるみたいに語気を強くして言う晴の口から出てきた名前に息をのむ。
金縛りにあったみたいに体の動きが止まり、じわりと嫌な汗が浮かぶ。ゆっくりと隣に座る晴へ目を向けると、絡み合うように視線が合った。晴はどこか怒ったような表情をして、俺から目を離そうとはしなかった。


「晴。……お前、なんで」

「兄貴が今まで八雲に振り回されてきたこと、忘れたわけじゃないだろ。今の生徒会長の座だってあいつが全部遺して、勝手に押し付けてきたものだろ」

「お前、誰からそんな話聞いた。なんでそんなこと知ってる」

「知ってるよ、全部。だって弟だもん俺」

「っ、そういう話をしてるんじゃねえよ、誰がお前にそんな話をした」

「……兄貴。八雲はもういない。やめろよ、生徒会なんて」

俺の問い詰めにも応えず、晴はまるで憐れむみたいに顔を歪めて俺の腕を掴んだ。まるで俺の声なんて聞こえていないみたいだ。見たこともない晴のその様子に背中が薄ら寒くなる。

全て昔の話だ、俺が八雲に振り回されてきたのも、生徒会自体があいつが遺しそして俺へと押し付けてきた忌々しい遺物だという事も、もうすべて俺の中では過ぎ去り終わったこと。
今はもう俺にとってそんなことはどうだっていい。例え押し付けられた物だったとしても、もうあいつはいない。生徒会は紛れもなく俺の、俺たちのもので今はこの生徒会を、権力を使って学園を変えてやろうと、前を向いてさえいる。のに、なんで今さら。
そもそもなぜ、晴がそんな話を知っている?八雲がこの学園にいたのはもう2年も前の話だ。晴は今年の春この学園に転入してきたばかりで普通ならば知るはずがない。ということは、誰かが晴に八雲の話を吹き込んだ?…誰が?一体、何の目的で。

「兄貴は麻痺してるだけだよ、洗脳と同じだ。普通こんなこと、おかしいんだよ」

「晴、…。なあ、そんなこと、全部もう終わったことだ。あいつももういないんだよ、お前だってよくわかってるだろ」

「終わった?…は、本気で言ってんの?終わった?何が?何も終わっちゃいないだろ。あいつが遺したものがあり続ける限り何も終わんないし、兄貴は囚われ続けるんだよ、この先もずっと、死ぬまで、一生」

腕を掴む晴の手に力がこもる。
その痛みに顔を顰めるけれど力が緩むことはない。興奮しているのだろうか、瞳孔が開いて今にも噛みつかんばかりの勢いの晴に心臓が嫌に脈打ち冷や汗が浮かんだ。

「……晴、なあ。例えお前の言う通りだったとしても、お前が、八雲に囚われる必要なんてない、そうだろ」

絞り出すよう言う。するとまるで魂を抜かれたみたいに呆ける晴に、内心まずいと奥歯を噛む。言葉選びを間違ってしまった。
我に返ったようにはっとする晴は次第に喉で笑うような音を出すけれど、その瞳は全く笑ってなどいなかった。

「は……。は、はは。そりゃあ、兄貴にとってはそうだろうね、そうだよな…」

「晴、痛い、から…」

「……兄貴が選ぶのはさ、いつだって八雲だったよなあ…。秋でも、俺でも、ましてや加賀谷さんでも岩村さんでもない。どんなに酷い事されたって酷い扱いを受けたって、結局、滝真はやくも、や……やく、やっくん…やっくんに、くっついて離れないんだ。そんなにやっく、んが、好き?酷いことされても、いきなり飽きたみたいに捨てられても、それでまた気まぐれで遊ばれても、それでもやっくんがいい?滝真はまた、あいつを取るの?」

捲し立てるよう言う晴の勢いに気圧されて言葉を失う。その間にも壊れたロボットのように八雲の名前を繰り返し呟く晴は、もう俺のことなんて見ていなかった。
その瞳はガラス玉のように反射して何も映してはいない、きっと今、晴が見ているのは昔の八雲と俺と、そして仲間外れにされている自分の姿だろう。
俺なんかよりも、よっぽど晴の方が八雲に囚われている。いつになっても、いくつになっても、八雲の存在が晴の心に棲み付いて離れないでいるのだ。

「晴、」

「滝真。いつになったら、俺の事見てくれる?」

俺の台詞を遮るように、名前を呼び、腕を掴んで問いかける晴の声が震える。
まるで置いてけぼりにされた少年が泣くのを必死に堪えるようで、晴は俺の腕を掴む手に力を籠める。加減の知らないその力に顔を歪めて、俺の腕を取る晴の手に自分の手を重ねる。けれどもその力が弱まることはなく、ついにはミシ、と骨が軋むような嫌な感覚に冷や汗が浮かんだ。
どうしたら元に戻るだろう、わからない。わからないけれど、ここで逃げたらだめだと本能が告げている。それになにより、弟から逃げるなんて、俺が選ぶはずがなかった。

「晴、…大丈夫だから。俺はお前を、」


「滝真!」

喧騒のどこからか、俺の名前を呼ぶ声が届く。
それは俺が晴の頬に手を伸ばして、触れる直前の事だった。


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