27



場所は老舗の蕎麦屋。こじんまりとした店内に足を踏み入れると、玄関先で老年の店主と着物を身に纏った女性と偶然鉢合わせた。
他のお客だろうか。あとから入ってきた上にこちらは待ち合わせだし、店員も現在応対している店主らしき人以外見当たらない。奥の方には待ち合わせしていた奴らの姿がありわざわざ案内も必要ないかと素通りしかけるが、後ろから店内に入ってきた加賀谷が先を行こうとする俺を呼び留めた。
何事かと振り返ると加賀谷は難しい顔をしたまま一言、待てと続けた。
一体なんだ。訝し気に顔を顰めると、間もなくその加賀谷の声に反応した女性が振り返る。そうして加賀谷の姿を見止め、口角を上げて微笑んだのだった。


「あら影也さん。こちらも丁度到着したところなの、よかったわ」

「お久しぶりです、変わらずお元気そうで」

「ええ、あなたもね」

全くの他人だという予想に反して親し気に言葉を交わす二人。
なんだ、知り合いだったのか。元々清原の家の別荘地の近くだ、知り合いと偶然出会ったとてもありえない話ではない。二人のその親し気な様子に姿勢を正すが、会話を交わす女性の姿に何か既視のようなものを感じて、ふと唐突に、ある一つの可能性を思いついてしまった。
俺の不躾な視線に気が付いた女性は、会話をしていた加賀谷から俺と赤城へと視線を移した。その視線に心臓が脈打つ、高揚…というよりも危険信号に近いそれに無意識に唾を飲み込む。そして女性は俺たちから視線を逸らさないままに、加賀谷を名を呼んだ。

「ねえ。そちらの御方、紹介してくださる?」

目を細め、まるで見定めるかのように俺をまっすぐに見つめるその女性の視線に晒されて、不思議と捉えられ逃れられないような獲物になったような、そんな錯覚を起こした。
少し三白眼気味の切れ長な瞳と一つに纏められた黒髪、黒い着物から覗く細く長い首筋とそこからそのまま落ちていくような撫で肩が、熱帯雨林に生息する蛇を連想させる。彼女は正に艶やかという言葉がしっくりくるような女性だった。

女性ながらも、他人に対して与えるこの威圧感には覚えがあった。
もしかして。先ほど気が付いたある可能性に、隣に立ち目の前の女性と言葉を交わす加賀谷に視線を向ける。視線に気が付いた加賀谷は横目で俺を一瞥すると、すぐに女性に視線を戻して小さく頷いた。


「同級生の浅葱滝真と赤城夾です。浅葱、赤城、こちらが聖希の母で俺の叔母にあたる、聡子さんだ。」

加賀谷がそう続けて目を伏せた。その横顔を見つめながらもやはり。なんとなく予想していた答えは自分でも驚くほどすんなりと受け入れられる。
それは事前に加賀谷の叔母が来ると知らされていたからでもあるが、彼女の容姿や雰囲気は確かに加賀谷家のそれであったからで。

…――今から大体30分ほど前。いきなり加賀谷の叔母であり清原の母である人物が来たと珍しく急いた様子の加賀谷が俺たちを迎えに来た。そこからは急かされるままにシャワーを浴び碌な休息も取れないまま昼食の場に選ばれたこの蕎麦屋に案内された訳だったが、清原の母と言うくらいだ、どんな女性が現れるかと身構えていれば彼女の登場で、ある意味驚かされてしまった。まあ、得体が知れない、という点では清原と瓜二つではあるけれど。

「…初めまして、浅葱滝真です」

「赤城夾です」

そんな失礼極まりない感想を胸の内に抱えながらもただ名前を名乗って頭を下げる。そんな中で畏まった加賀谷による紹介に否応なしに加賀谷家と清原家の関係が思い浮かんだ。
正直彼女を前にして、実の子のはずの清原よりも加賀谷との血の繋がりを色濃く感じていた。清原の母と言われるよりも加賀谷の叔母と紹介された方がしっくりくるというのもまたどうかと思う話ではあるが、これっぽっちも似ていない加賀谷と清原、二人の間に確かに血の繋がりがあるのだという、確かな証拠にもなるのは何か皮肉めいているとさえ思う。

ふと視線を隣へ向ければいつも通り外へ向ける笑みを浮かべて聡子さんに対して会釈をする赤城の姿、その奥の方に見えたのは先に着いて俺たちの到着を待っていたのであろう、清原達の姿があった。

テーブルに着いた晴や植木がそれぞれ雑談を交わしている中、清原だけはこちらをじっと見つめている。その瞳はつまらないものを見るかのように暗く濁った様にも見える、その視線が気になりはしたけれど、挨拶中に余所見をするほど礼儀がないわけじゃない。聡子さんのまるで見定めるかのような視線を受け止めるべく改めて姿勢を正すと、聡子さんはそれを待っていたと言わんばかりに俺の手を取って自身の胸元へ持って行った。

「滝真さん。貴方とは初めましてじゃないのよ」

「…どこかでお会いしていましたか?…申し訳ありません、一体どちらで」

「いえいいのよ、覚えていないのも無理ない程あなたは小さかったですから。過去の話になりますが浅葱家と加賀谷家には交流があったの。うちは分家ですけれどそれでも浅葱家とは仲良くさせていただいていたのよ」

それも、貴方がこんなに小さかった頃にね。そう言って自身の腰下あたりを手で差す聡子さんに目を丸める。うちと、加賀谷と清原の家との間に交流が?記憶を辿れどそのような思い出は一切ない。彼女の言う通りの年齢の頃と言えば、確かによく父に連れ回されていた時期と被る。ただあの頃は何をしたらいいのかも誰に挨拶をしていい顔をしたらいいのかも、とにかく何もわからず、ただ失礼のないよう、父の後ろで礼儀正しく静かにしていただけだった。それが楽しいとも逆に苦だとも、なんとも思わなかったのだから記憶になんて残るはずもないのだけれど。きっとその時期に彼女と出会っていたのだろう、そしてもしかしたら、加賀谷や清原とも、どこかで。


「そうでしたか。今こうして同じ場所にいるのも何かの縁かもしれませんね」

「ふふ、そうだと嬉しいわ。今後とも、ぜひ浅葱とは仲良くしたいもの」

爬虫類のような鋭い目を細めて、口元を手で覆い笑う。それに合わせるように笑みを浮かべれば聡子さんは満足げに表情を緩めて笑い、そしてゆっくりと加賀谷に視線を移した。

「影也さん。それでは私は公務に戻ります。休暇中に失礼しましたね」

「いえ、お久しぶりにお会いできてよかったです。…聖希とはよろしいのですか?」

「ええ、いいのよ。今日は滝真さんにご挨拶できただけで十分だわ。それに赤城家のご子息にも」

聡子さんは最後に微笑むと清原たちを一瞥するだけして、そのまま挨拶をすることもなく、背を向けて行ってしまった。
その後姿を見つめ、漸く途切れた緊張に息を吐く。
加賀谷の前で今さら緊張を感じたり億したりなどしないから忘れがちだけれど、他人に与えるこの威圧感は尋常ではない。今さらだが加賀谷を前にした生徒達の気持ちがわかった気がする。
しかし、まさか本当に挨拶をするためだけに此処へ立ち寄ったのか、なんて抜け目のない人なんだ。固まった体を解すよう首を回す。重労働の後にこんな接待染みた事させられるなんて、何が夏季休暇だとげんなりしてしまう。

「というか、公務って?」

「ああ、地方議員をされてる。仕事に戻ったんだろう、いつも忙しそうにされている」

「…議員」

まさか。加賀谷の言うことが俄かに信じ難くて眉を寄せれば加賀谷の後ろからにゅっと顔を出した男が呆れたように深く息を吐き出した。

「つまんない人たちだよ。わざわざコネ作るために顔出しに来たって馬鹿みたい、他にやることあんだろ」

いつの間に距離を詰めたのか、清原が今はもういない玄関の方に目を向けながら言う。息子に目もくれず仕事へ戻った彼女を見つめるその顔に怒りや悲しみのようなものは無く、呆れに近く無関心にすら見えるそれのみだった。

不躾にもついその横顔を見すぎていたらしい、清原の咎める様な視線を受けて思わず顔を背ける。
気を取り直すような清原の、まーあー、と間延びした声にゆっくりと視線を戻せば清原は悪戯っこのように口の端を上げて笑った。

「コネなんて作らなくたって俺と会長の間には既に強い絆があるもんね」

「阿呆か。…んなことより腹減った。飯食うぞ」

「もう準備は出来てるみたいですね、俺たち待ちだったみたいです」

行きましょうか、と促す赤城を振り返ってうなずく。「遅いよ兄貴、赤城さん!」席に着いたままの晴の急かす声に悪い、と一言謝罪をしてから、集まるみんなの元へと向かって行った。


47/70
prev/next

しおりを挿む
戻る


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -