水浅葱の夏2
「あれ、兄貴どっか行くの?」
筆記用具とノートの入った鞄を手に階段を下っている時のことだった。
階段の下でアイスをくわえながら自室に戻ろうとする晴に呼び止められ、そんな晴の姿に顔をしかめる。歩き食いをするなと昨日母親に怒られたばっかだというのに、この馬鹿弟は全く人の話を聞かない。溜息を吐きつつも説教をしている時間はないし今回は見逃してやろうと階段を下りて晴の問いに答える。
「秋んとこ行こうと思って。暇だし、勉強教えてやりに」
「えっなら俺も行く!ちょっと待ってて、すぐ準備終わらせるから」
そう言って、俺の返事も聞かずアイスを咥えてドタバタと階段を上って行く晴に、まさかそう来たかと呆気にとられる。昔だったらまず俺を家から出さないように妨害工作をして秋と遊ぶこと自体を辞めさせる手段に出ていたあの晴が、まさか喜んで一緒についていくなんて言うとは。晴の目覚ましい成長に感動を覚えるが、おっとそれどころではない。慌てて腕時計に視線を落とすが今から準備をするのでは約束の時間には間に合わないだろう。なんせ既にお昼だというのに晴ときたら部屋着のまま、寝癖だってついたままだ。これから着替えて髪を整えてだとまあそれなりに時間はかかるだろう。あれほど母親に夏休みだからといってぐうたらするなと怒られているのに、聞く耳を持たず神経が図太いというか。全く誰に似たのやら。
仕方ない、いまどうこう言ったって意味もないし待っている間にアイスでも食べていよう。そうと決めたらキッチンへ方向転換して、秋に遅れる旨の連絡をするために携帯を開くのだった。
*
「はぁー俺秋の病院行くの初めてかもしんない。てか会うの超久々、緊張するわー」
「あー、確かにそうだな。秋、お前が来たってわかったら喜ぶぞ」
「そうかなー、まっそうだよね。なんたって幼馴染だし。あっここだね。お邪魔しまーす」
相良、の表札を見つけるとなんの躊躇いもなく扉を開ける晴に逆に俺が怯む。なにが緊張する、だ。口ではそういうものの全くそんな様子が見られない晴にぎょっとする。
普通何年振りかの幼馴染と会うってなったら多少は緊張したりして入りにくかったりするもんじゃないのか?それからノックするのが礼儀だと、ズカズカ室内を歩いて行く晴の頭を叩く。頭を抑えながらしまった、という顔をする晴に呆れて溜息をつくと、部屋の奥から笑い声が聞こえて来た。
「ノックくらいいいよ気にしなくて。晴にそこまで求めてない」
「秋!久しぶり、随分小さくなったね!」
「久しぶり晴!俺が小さくなったんじゃなくてお前が大きくなったんだよ。滝真もありがとう来てくれて」
「ああ、いいよ夏休み暇してたし。調子良さそうでよかった」
こっち座って、と用意された椅子に遠慮なく座る晴の目は輝いている。確か最後に三人で会ったのは俺と秋が中1の正月とかじゃなかったか?中等部から姉妹校の東葉学園に通うようになった晴はそれを機に反抗期に入ったみたいで正月休みや夏休みも実家には帰って来なくなった。
そうこうしてる間に秋の身体の調子も崩れて入院をすることになり、結局三人どころかそれぞれが会うのも疎らになってしまったのだ。高三になったいま、こうやってまた幼馴染三人で会うことが出来るのはまるで奇跡のようだった。
「何しんみりしてんの、ほらお土産は?」
「あ、ああ。これ商店街のケーキな」
「おお、さんきゅう!滝真が買って来てくれないと食べれないからもう俺禁断症状出そうなんだわ」
それ食べたら勉強するか、と鞄からノートを取り出すとあからさまに顔を歪める秋と晴。お前ら、今日何をしに来たのかわかってるのか。
「さ、さすがにノート出すの早くない?」
「そうだそうだ、もう少しゆっくり話でもしようぜ。俺と晴なんて超久しぶりなんだから…」
二人顔を見合わせてしきりに頷く様子にため息をつく。普段はいびりいびられの関係のくせにこういう時ばかり結託する二人に俺は昔から悩まされて来たんだ。
仕方ない、と二人を安心させるように微笑んだ。
「ケーキは後にして先に勉強だな。ご褒美が後の方がやる気でるだろ?」
「え、ええ…」
「そんな、…」
顔を青くさせる二人に、ぼんやりしてないで筆記用具を出せと催促する。往生際悪くせめて一口、と懇願する二人から遠ざけるように、ケーキは備え付けの小さな冷蔵庫の中へ静かに仕舞われるのであった。
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