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庭の池を泳ぐ鯉をぼんやりと眺めていた。
話はまだ続くのかな、いつになったら終わるんだろう。
本当は一人でも遊びに行こうと思ったけど、話が終わったら兄はきっと僕と一緒に遊んでくれる。少しくらいなら、ぼくだって一人で待てる。穏やかな心持ちで眺めるゆったりと泳ぐ鯉の姿はいつまででも見ていられる気がした。


「晴、そこにいたのか」

「おにいちゃん!話おわったの?ならあそぼ!ぼく待ってて、」

「ごめんな、話は終わったんだけどこれからいろいろやらなきゃいけない手続きがあっていそがしいんだ。今日は遊べない」

「てつづき?」

縁側から声を張る兄の姿にやっと来たとぱあっと顔が明るくなるが続く言葉につい口を噤んだ。
よく意味がわからなかったけれど、とりあえず兄はぼくと遊んでくれないということだけはわかった。せっかく、遊びに行かないで待っていたのに。噤んだ口をさらにきつく結んで、むっとしながら地面に転がったボールを拾い上げる。兄は申し訳なさそうな顔をしていたけれど、家の奥から父さんの声がしたかと思うと、返事をして行ってしまった。その場に残されたぼくは手元のボールに視線を移して小さくため息を吐き出す。なんか、遊びに行く気も失せちゃった。池に背を向け、部屋に戻ろうと縁側に腰を落とす。見上げた空は薄暗くて、厚い雲に覆われていた。

「やあ、ハル。俺が一緒に遊んであげようか」

背後から唐突に声をかけられ、不意打ちに肩が跳ねた。
慌てて振り向くとそこにいたのは従兄弟の八雲で、顔をしかめる。よりによってこいつに見つかるなんて。ここにいるという事は話は終わったのだろう、それならさっさと帰ればいいのに、なんでまだいるんだ。笑う八雲からぷいっと顔を逸らして口を尖らせる。八雲に遊んでもらうくらいなら勉強する方がまだましだ。

「べつに、いい。ぼく宿題しなきゃだし」

「そ?なら宿題教えてあげるよ。まだ母さんたちの話終わらないみたいだし。俺も暇してるんだよね」

「いらない!ついてこないで!」

靴を脱ぎ捨てて家の中に上がると八雲はニヤニヤと笑いながらぼくのあとを追いかけてくる。どこまでついてくるつもりなのか、何を言っても歩みを止めず僕の後を追いかけてくる八雲にイラついて、いい加減にしてと怒鳴ろうと振り返った時だった。

「っ、」

底冷えするような瞳。確かに笑っているはずなのに、目の奥は笑っていない、射るようなその視線にぼくは何も言えずにただ立ち止って動けなくなってしまった。

「ハル。君のお兄ちゃん、俺にくれるよね?」.

「なに、を」

「聞くまでもなかったか、もう君のものじゃないって事だよ。これを機にさっさと兄離れするんだな」

八雲の話すこと全てが理解できないでいた。一体、こいつはなんの話をしているんだろう。小難しい話ばかりで、いやになる。ぼくは、ただ兄と普通の毎日を送るだけで、それだけでいいのに。

「馬鹿なお前には難しいかな?そーまはお前を捨てて俺を選んだんだよ。いくら馬鹿でもどういうことかわかるだろ?この先何があってもその事を忘れるな、お前は俺には勝てない。そーまにとって、実の弟のお前より俺の方が選ぶ価値があるんだよ」

「ぁ、…おにいちゃんは、そんなこと、」

「なんの責任もない甘ったれた次男坊はお兄ちゃんにとって邪魔でしかないもんな。今は分かんなくていいよ、いずれその身にしみるよきっと」

そう言い捨ててぼくのとなりを通り過ぎて行く八雲。

ぶった切るように、鋭いヤイバで刺すように。生まれて初めて他人による明確な、傷つけたいという感情に晒されて固まったままの全身が粟立った。
まるで言葉の暴力だ。半分以上が意味もわからない単語ばかりだったけれど、八雲の話す事の真意は驚くほどに伝わってきた。きっと兄は、僕の元から離れていく。そうしてこの悪意の塊のような男の元へ行ってしまうのだ。きっとそれを止める力は僕にはない。どうすることもできず、なすすべも無く兄がこの男の悪意に傷つけられて行くのを見ているしかできないんだ。

一人置いていかれた廊下で僕はポロポロと涙をこぼしていく、止まらない。止められない涙にいつしか使用人達が慌てたように集まってきたけれど、それでも涙は止まらなかった。なにを聞かれても僕はなにも答えなかった。そうして、止めどなく溢れる涙にはわけがあった。
兄を、守りたい。初めて持った感情を前に、僕は残酷なまでに無力だったから。涙が止まらないのはなにもできない自分にどうしようもなく、腹が立ったからだった。


***

「…、あれ…。はる、?」

「おはよう、兄貴。寝すぎだよ」

「あー、もうこんな時間か。寝すぎたな…」

ベッドの上でぐっと伸びをする兄の姿に微笑む。
あれから10年。俺はもう、無力なままの僕じゃない。身体も大きくなって、考えだって少しはマシになった。兄や両親に守られるだけの甘ったれた次男坊ではなくなったのだ。近くにいることさえ許されなかったあの時とは比べものにもならないほど俺は成長した。きっと今なら、今の俺なら兄だって、

「おれを、選んでくれるよね」

「?…なにが?」

「いや、何でもない。ちょっと、昔のこと思い出して」

「あー、俺もなんか懐かしい夢見てた気がする。そうだ、晴。お前馬乗れたっけ?実は夏休み明けの文化祭で馬使った出し物する予定で…」

「馬?乗れるよ、授業でもS取ったし。おれに任せて」

「あ、ああ。なら晴に任せるか。頼もしくなったなお前」

驚いたように目を丸める兄にまあね、と笑い返す。
きっと今の俺なら兄だって、八雲なんかよりも俺を選んでくれる。兄貴は俺が守るんだ。
あんな男に、滝真はあげない。

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