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「この馬鹿息子!」

ベシン、と派手な音がした。俺の隣で、晴は呆けたような顔で頬を抑えて母を凝視していた。ちなみに平手打ちを食らったわけではない、母の手にはどこから用意したのか大きな白い紙が蛇腹になった所謂ハリセンが握られていて、晴はそれでド派手に頬を叩きつけられたのだ。派手なのは音だけだったようで、頬は赤くなることもなく痛みも衝撃もあまりないのだろう、晴も俺も突然の武器の出現に何が何だかと言ったような感じで何も言えないでいた。すると母は今まで溜めてきた鬱憤を晴らすかのように、晴に向かって説教を始めたのだった。

「いきなり転校するから書類にサインしてって、理由も言わずに全部勝手に決めて…。それで仕方なくサインしてもこの4ヶ月近く何も連絡せずにあんた何やってたの?連絡の一つくらい寄越しなさい!」

普段穏やかな母も今日ばかりはすっかりお怒りモードだった。母さんがここまで起こっているのも久しぶりに見た気がする、その気迫に隣にいる俺まで怒られているような気がして居心地悪く顔をしかめた。
隣で母に怒られ、子供のようにむすっとして何も言い返さない晴の背中に手を回して小さく叩く、あれほど帰ったらすぐに仲直りをしろと言ったのにこの弟は全く。尚も何も言わずに黙りこむ晴に仕方ないと小さく息を吐き出して、目の前で般若のような顔をして仁王立ちする母に視線を移した。

「まあ、母さん。東葉よりも星渦の方が名は売れているし実際名門なわけだし、それに俺もいるんだからうちに転入したいっていうのはおかしい事じゃないだろ。晴も転入して慣れない場所でいろいろ忙しかったんだろうし、仕方ないんじゃないか」

「でも…」

「ほら、お前もきちんと謝れ。母さんはお前のお願い聞いてくれたんだろ?それに対して連絡の一つも寄越さないのはおかしいって、お前にもわかってるだろ?」

俺の言葉に般若が揺らぐ。少し困ったような目で俺に視線を移した母と目が合い、俺と母の視線はそのまま晴へと向いた。俺と母の二人分の視線に晴は俯き、耐えかねたように少し顔を上げてこっそりというように俺の顔を伺った。その様子がおかしくってつい笑ってしまうのを堪えながらも小さく頷いてやると晴は意を決したように顔を上げて、母に向き合った。

「…ごめん」

「晴」

「わかってる。転入のサインは、ありがとう。…連絡しなくてごめん」

そう言って頭を下げる晴の姿に母は嘆息した。
昔から俺も晴も母に怒られることは多かったけれど、母さんは謝ればすぐ許してくれたしそれ以上引きずる事もなかった。だから今回だって俺は晴に早く謝れと言ったわけで、晴もそれは分かっていたはずだ。ただタイミングを見失ってしまっていただけで、きっかけさえあればすぐに解決するような事だったのだ。
予想通り、頭を下げる晴の姿を見守る母のその顔にはもう怒りの色は見えなかった。

「もう、本当にあんたのそういうとこ誰に似たのかしら。ほら中入って。部屋に荷物置いてきなさい。お昼ご飯出来てるから」

先ほどまで怒っていたとは思えないような穏やかな笑顔に俺と晴は顔を見合わせて笑った。母の穏やかさは晴に受け継がれているんだろう、前々から思ってはいたがやはり二人の穏やかな笑顔なんかは本当にそっくりだった。母の怒りが静まりすっかり気の晴れた晴はさっさと靴を脱ぐと家へと上がり廊下を進んでいく。まったく、人騒がせな弟だ。突っ立ったままの俺に、不思議そうに振り返って俺を呼ぶ晴に適当に返事を返す。ふと玄関で俺が上がるのを待つ母と目が合った。

「ありがとうね、滝真」

「ん。ただいま」

「はい、おかえり」

久しぶりに帰ってきた実家は少し広く感じた。
今年の夏は、この家で過ごすのである。今年の夏は例年よりも一段と暑くなりそうだった。


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