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「これで以上だね。浅葱くん、加賀谷くんお疲れ様」

「お疲れ様でした」

「2時間もかかったのか、ごめんね。貴重な夏休みなのに」

腕時計に視線を落とす理事長は申し訳ないというように眉を寄せた。慌てて加賀谷と共にそんな事ないと否定するが、理事長は大きなため息をついて大層疲れた様子で椅子に深く腰かけると遠い目をして窓の外に視線を移す。その様子に加賀谷と目を見合わせてどうしたものかと戸惑うが今日の理事長はあまり本調子とは言えないようだった。

「あの、理事長…」

「もう帰っても大丈夫だよ。僕はまだやらなければならない事があるから…うん、まだまだ仕事が残ってるからさ…」

そうとても小さなか細い声で言うと、ついには机に突っ伏してしまった理事長の姿にぎょっとする。こんな理事長の姿見たこともない、相当お疲れなのか、疲労のせいでついに頭がやられてしまったのか…なんと声をかけたらいいのかわからず一人オロオロしているといきなり、そうだ。と何か思いついたように席から勢いよく立ち上がる理事長。今までの鬱屈とした様子は何処へ、立ち上がる理事長にはどこか吹っ切れたような清々しさを感じた。
さっきまでのは一体なんだったのか、理事長のテンションに置いていかれながらも、今日の理事長はやはりどこかおかしいと思うが加賀谷は特になんとも思っていないようでいつもの澄ました顔で黙って理事長の姿を眺めていた。

「あの、何か思いついたんですか。そうだ…って」

「うん。海へ行こうか、今から」

「…はい?」

輝く笑顔でぶっ飛んだことを言い始めた理事長に素っ頓狂な声が漏れてしまう。加賀谷は相変わらず表情を変えず驚きもせずに、ただ少しだけ呆れたように小さくため息を吐いていた。





先ほど海に落とされたおかげでびちょびちょだった全身も、夏のギラギラと輝く太陽の容赦ない日差しのせいで加賀谷の待つパラソルに戻るまでに大分乾いていた。肌が焼かれていく感覚につい海に戻りたくなるが、先ほど十分竜都さんと海でじゃれついた後、加賀谷を一人にしておくのも可哀想だし一旦戻ろうと話でまとまったので仕方ない。

ビーサンで砂浜を蹴るように進みながらつい1時間ほど前のことを思い出して隣を歩く理事長に目を向けた。
海に行くと決めた理事長の行動は早かった。俺と加賀谷がこの後の予定は特に何もないと返事をするや否や俺と加賀谷を自分の車に押し込んで1時間弱の海水浴場まで3人でプチドライブだ。海を眺めるだけかと思いきやわざわざ海パンまで買ってきたのでまさか入りませんとは言えなかった、それに少しワクワクしてたのも事実。加賀谷も何を言うでもなく素直に海パンを受け取って、売店まで買い出しに行くと言って早速海に落とされていたというわけだが。

「ただいま〜また売店行き損ねちゃった」

「はじめから行く気ないだろ」

「まさか。とりあえず二人ともびしょ濡れに出来て満足したや、お付き合い頂きどうもありがとう!騒いだら喉乾いちゃった、影也ちょっとビールと何か二人の飲み物買ってきて」

ニコニコしながら加賀谷に何やらちょっかいをかけている竜都さんはとても楽しそうだ。仕事を忘れたいと、理事長と呼ぶことを禁止されたことを思い出して苦笑する。今目の前で楽しそうにしている人が理事長ではないのなら、加賀谷にとってはただの叔父さんになるんだろう。理事長と学園の生徒という枠組みが無くなった今、打ち解けた二人の距離は予想以上に近くてなんだか呆気にとられてしまっていた。
というか仕事を忘れたいって、まだやらなければならないことが残っていると言っていた気がするが、ビールまで飲んで大丈夫なんだろうか。
少し不安に思ったがせっかく仕事を忘れて楽しんでいるのを邪魔するほどの勇気と厚かましさは生憎持ち合わせてはいなかった。

「…」

「ほら、早く行く」

いいように使われるのが癪なのか、ムッとする加賀谷に千円札を握らせて容赦なく送り出す竜都さん。結局加賀谷は何か文句を言う暇も与えられずにパラソルの外に追い出されてしまったので渋々と売店の方へと歩いて行った。


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