10




「会長、お疲れ様でした」

北条が隣を歩く。いつも騒がしい廊下は放課後のため静かで、校庭から聞こえてくる野球部の掛け声が小さく聞こえてくるのみだった。
窓からは夕焼けが差す。両手いっぱいの花束を抱えながら、静かに北条の顔に視線を移した。
今日を持って俺は中等部生徒会長という役職を退いた。それは俺の下で副会長を務め、一年間支えてきてくれた北条も同じだった。夏休みが終わり肌寒くなってきた頃、俺たちの代は終わり今までの先輩がしてきたように、次の代へとタスキを繋いだのだ。
こうやってしみじみと思うと会長を務めた一年間はとても長くて、しかしそれと同じくらいあっという間だった。
俺たちは学園を良いものにできただろうか、良い生徒会でいられただろうか。ただ俺たちを送り出してくれた後輩の涙と笑顔を思い浮かべると、とても胸がいっぱいになるのだ。

「かいち…そっか、もう違うもんね。浅葱くん、今までありがとう。君の元で働く一年間は大変だったな」
「おい北条、最後にそれかよ」
「はは、でも、それ以上にとても楽しくて充実した一年だった。ありがとう、君のおかげだ」
「こちらこそ。お前がいてくれたから俺は今日までやってこれた、ありがとう北条。来年もできることなら…」
「ああ。僕も、君とまた一緒にやりたいな」

言い淀む俺の台詞の続きを代弁するよう言う北条は笑った。綺麗な笑顔が売りの北条。けれどもそれはいつもよりも綺麗で、柔らかくて、すこし照れたような笑顔で、俺は少し呆気に取られた。
なんだよ、お前だって普通に笑えんじゃん。惜しい奴。そう思ったけれど口に出さないまま、笑った。

「そーま」

廊下に響く、俺の名を呼ぶ声にハッとして歩みを止めた。聞き覚えのある、独特な呼び方。浮かべてた笑みは失せ、心地よかったはずの静寂が嫌に緊張を高めて、無意識のうちに花束を抱える腕に力が入っていた。

「やっと見つけた」
「…っ、」

不思議そうな顔をして振り向く北条、その視線の先にいる人物は足音を鳴らしながらこちらへ向かってくる。
近くまで来て笑う目の前の男に、俺は呼吸の仕方を忘れたように、頭が真っ白になった。

「あ…八雲先輩?」
「やあ千里くん、今日で生徒会卒業らしいね。3年間お疲れ様」
「あっ、ありがとうございます。八雲先輩は…わざわざ中等部まで、どうしたんですか?」
「ちょっと、滝真に用があって。借りていいかな?」

黙ったままの俺に心配するような目を向ける北条。取り繕うことも出来ずに俯いたままでいると北条は何か言いたそうな顔をしたがそれを飲み込むように、そのまま静かに八雲に会釈をして廊下を進んでいってしまった。小さくなる北条の背を見送りながら唇を噛む。そうして曲がり角を曲がってしまった北条の姿はついに見えなくなった。
その場に残されて空気が張り詰める、八雲の大きなため息の音が静寂を破った。

「遅い、いつまで卒業式やってんだよ。ほら行くぞ」
「ど、こに」

ていうか、今さらなんだよ!八雲が中等部から高等部に上がってから丸々2年、全く音信不通だったくせに今さら一体なんだというのだ。2年前まで続いていた行為の数々を思い出して、そしてこれから何をされるのか考えて青ざめる。冗談じゃない、もうあんな、怯えながら暮らす日々なんて懲り懲りだ。
立ち尽くしたまま動かない俺に目を向け、訝しげに眉を寄せる八雲の姿に喉が鳴る。威圧的で絶対的なその瞳の吸い込むような黒さに見つめられ体が竦む、今すぐ逃げ出したい気持ちを必死に押し込んでカラカラに乾いた喉でひねり出すよう言った。

「俺は、もう、あんたにはついて行かない」

言った、ついに言ってしまった。2年前には到底考えられなかった八雲に対する反抗的な態度に、俺は緊張しながらもどこか達成感を覚えていた。言えた、俺はもうされるがままの人形ではない。口にしたことによってより強固になる意思に妙な昂りを感じながら、もう俺は昔とはちがう、と八雲に視線を合わせた。
そしてすぐに後悔する。底冷えするような瞳が真っ直ぐに俺を見つめ、捉えて離さなかった。

「っ、」

自身の息をのむ音だけが廊下に響く。何も言わず、表情を無くした八雲の姿に全身に嫌な汗をかいて悟った。俺は何も変わっていない、ただ八雲の恐ろしさを忘れていただけだったのだ。
八雲は一歩、二歩と俺との距離を縮め、顎に手を這わせる。その指先はまだ9月だというのにひんやりと冷たく、どこか浮世離れしたその温度に背筋が凍るようだった。

「お前が成長したのは身体だけだな。頭は残念なままだ」
「っ、そんなこと」
「顔が良くても、体格に恵まれようとも、勉強が出来ても、お前はお馬鹿な坊やのままだよ。そーま」

そう言って指先を頬に滑らす八雲に全身が麻痺したような感覚に陥る。体は動かず視界さえ暗く、目の前の八雲の微笑むような顔だけがぼんやりと映る。
八雲の言うことがわからなかった、勉強が出来て、体も成長したのに、何が何も変わっていないというんだろう。それならば八雲、お前は…

「っ、ぐ…、」

突如襲った腹部の痛みと胃を圧迫される気持ち悪さに、腹を蹴られたと悟る。鳩尾に軽く入ったそれは呼吸もうまく出来ずその場に蹲って咳き込むばかり、吐くほどではないのが幸いか生理的に浮かんだ涙が床に落ちた。

「ほら行くよ、立って」
「なん、で…また、」

痛む腹を抱え、見下ろす八雲に息も絶え絶えにそう必死に絞り出すと八雲は猫のように目を細める。廊下に転がる花束を拾い上げるとそれに鼻をくっつけて瞳を閉じた。

「おもちゃは繰り返す遊ぶタイプなんだ。その時は飽きたとしてもまた遊ぶ日が来るの知ってるから捨てたりなんてしない、物置の奥の方にしまっておくんだよ」
「っ、俺はおもちゃなんかじゃ」
「何言ってんの?お前は俺のおもちゃだよ。はじめからお前が俺に逆らう権利なんてないんだよ」

「ほら、無駄話も終わりだ。行くよ」そう言って、手に持った花束を廊下に捨てる八雲。八雲はなんて事もないように花を踏みつけて廊下を歩き始めるともう俺を振り返らなかった。
数メートル離れた八雲の後ろ姿に、ゆっくりと立ち上がって花束に視線を落とす。
俺を変えないように縛り付けているのは、お前だろう。俺が成長していないのではなくて、お前が成長出来ていないだけじゃないのか。たくさんの言いたいことは、全て飲み込むしかない。もう八雲になにかを言い返すこともできなかった。

「…」

振り返らない八雲。彼を追いかけなかったら俺はどうなるんだろう、今度こそ前に進めるだろうか。そこまで考えてから、思考する事を辞めた。重たい足はゆっくりと廊下を進んで行く、八雲の言うことはいつも的を得ていて悔しいけれど事実ばかりを言う。俺はなにも成長しちゃいない、俺は所詮逆らうことも出来ないただのおもちゃなんだ。

拾うことなく置いてきた花束は、もう振り返らなかった。

11/11
prev/next

しおりを挿む
戻る


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -