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錆びた扉を前にして、一度大きく息を吸い込んだ。ノックをしようかと握った右手をあげるが少し考えて、小さな反抗心から持ち上げた腕をそのまま下ろした。来い、と言われた通り来てしまった時点で俺の些細な反抗心なんて本当どうでもいいレベルのものなんだけれども、何もせずにはいられなかったのだ。そうして無言のままドアノブを回して押し開く。俺のこの行動によって少しでも驚いてくれればよかった。しかしそんな俺の思惑なんて綺麗に断ち切るのがこの男だ。
ソファに深く腰掛け、驚くどころかこちらを見ようともせず、手元の本に視線を落としたままの一人の男の姿に無意識に握る手に力が入る。錆びた扉は開く時軋んだ音がするのだ、気がつかないはずがない。つまりはこれは単なる無視であるわけだ。
扉を開いた先は10畳程の部屋になっておりそこそこ広い。ソファと机、それにテレビや冷蔵庫なんかも完備されており、倉庫の一階と比べて考えられないほどとても綺麗にされていた。もちろん居心地は最高だろう、さすがこの不良のチームの頭をやっているだけある。


「…来たけど」

静かな空間に居たたまれなくて、先ほどの小さな反抗心を抱いたことさえ恥ずかしく思いながら自ら口を開く。男はやはりこちらに目を向けないまま本のページを捲って、んー。と適当な返事を返すのみ。一体なんなんだ、お前が呼んだんだろうがと少しムッとするがそれを口に出さないまま、扉を後ろ手で閉めて部屋の奥へゆっくり進んでいく。

「あ、冷蔵庫からコーヒーとって」
「…」

そう言って視線は外さないまま右手を差し出す男。言いたいことや思うところはいくらでもあったがそれら全てを飲み込んで、無言で冷蔵庫の中からコーヒー缶を取り出した。そこそこの大きさの冷蔵庫の中には彼の愛用の缶コーヒーが5.6本とビターのチョコレートがいくつか入ってるだけ。ああ、あと下の段に酒が何種類か入ってる。それを確かめて、相変わらずなんとも活用しきれていない冷蔵庫にもう少し小さい奴でも構わないだろうに。こういうところだよな、と無性にケチを付けたくなった。
取り出した缶コーヒーを片手に冷蔵庫を閉める。そのまま男にそれを手渡した。

「ん。…あ、お前さ学校はちゃんと来いって言っただろ?」
「…ちゃんと行った」
「馬鹿、ちげーよ。早退すんなって言ってるの」

そう言いながらやっとこちらに目を向けた男、絡め取るようなその視線から逃れるように俯く。
どこまでも深い闇のような真っ黒な瞳に見つめられると、どうしようもなく不安な気持ちになって、逃げ出したくなって、嫌な汗をかいてしまう。男はそんな俺の様子なんて気にも留めないまま、長い足を組み替えると受け取ったばかりのコーヒーのプルタブを引っ張りカシュ、と音を立てて開ける。それを煽り二、三度喉を鳴らすと机の上に置いた。

「なにその頬。喧嘩でもしたの」

あまり興味もなさそうにそう尋ねる男に、これは…と頬を覆うガーゼに触れた。
言いづらい、まさか男に襲われかけて殴られただなんて。質問になんと答えたらいいかわからずにいると男はこっち来い、と立ち尽くす俺に手招きをした。
そばに寄りたくはなかったが、言われた通りにしないとどうなるかわからないので素直に言う事を聞く。重たい足取りで近くまで寄ると男はまじまじと俺の顔を眺めて口角を上げ笑った。

「見してみろよ」
「…手当、してもらったばかりだし」
「いいから、口答えするな」

表情はいつも通り穏やかで一見優しく微笑んでいるようにも見えるのだが、有無を言わせないその語気に唇を噛んで抵抗を諦めた。この男には他人にノーを言わせない絶対的な何かがあった。まるで王者のようなその風格に俺はいつも気圧されてばかりだ。今だって、ろくに言い返すことも反抗することもできずに、貼り付けたばかりのガーゼをゆっくりと剥がしていくしかできない。
外気に触れたそこは少しピリッと痛んだ。

「ふーん。誰とやり合った?」
「別に、」
「…お前さぁ、別に。じゃねーの。聞かれたら素直に答えろよ」

少し語気を強めてそう言って男は躊躇なく、目の前に立つ俺の腹を蹴り上げた。避けることも出来ずまともに食らった衝撃と脇腹に走る痛みに小さく悲鳴を漏らして蹲る。傷口を抉られるようなその痛みに脂汗をかきながら、見下ろす男の視線から逃げるよう小さく、先輩だと答える他なかった。

「先輩?何、うちのやつかよ。だれ?」
「…花井先輩」
「喧嘩?」
「…、押し倒されて、抵抗したら殴られた」

そう渋々答えると男は少し目を丸めて呆気にとられたような顔をすると、次には腹を抱えて笑い始めた。
ソファに転がり爆笑する男は目に涙を浮かべている、その姿に居心地悪く、蹴られて痛む脇腹を抑えながらゆっくりと立ち上がった。
ようやく落ち着いて来た男は俺を見上げると、目に浮かんだ涙を拭って、徐ろに手を伸ばして来た。

「なに…っ、ぐ、」
「これは?これも花井?なに、刺されたの?てかヤったの?」
「ちが、やってな、…やめ、離し…いた、痛いからっ、八雲!」

脇腹に爪を立てて掴まれ、底冷えするような目で俺を見つめる八雲に体が震えた。痛みで顔が歪み、傷口を抉る手を外そうとするが八雲の手には力がこもるばかり。脂汗が額に浮かんでもう許してくれと首を振る。八雲はそんな俺をじっと見つめて、不意に笑って手に込める力を抜いた。
ようやく外れた手に直接与えられていた痛みは収まり、逃げるように数歩後ろへ下がる。痛みで震える体と額に浮かんだ脂汗が気持ち悪くて唇を噛むが、それでも解放された痛みに酷く安堵した。

「で?」
「…これは、八木高の喧嘩に連れてかれて、その時刺されただけで、」
「八木高?あー、花井と草野か。随分好き勝手にやってるな」

抉られたせいでシャツに滲んだ血に、せっかく手当してもらったのに、と顔を顰める。漸く痛みも落ち着いていた傷口も八雲のおかげでズキズキと痛み、目の前で何事もなかったかのように携帯をいじる八雲を恨めしく思う。このドS野郎が。遠慮も容赦もあったもんじゃない。こんなんでも超成績優秀で周りからの信頼も厚く期待されている、大病院の跡取り息子なのだ。そんな絵に描いたような完璧な人間の裏の顔がこのドS基地外だ。一体どんな神経をしているのか、俺は毎度心から疑問に思っていた。

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