アスタロト
「……ここは?」
リョーマが目を覚ました時、そこは理科室のような場所だった。
窓から差し込む月明りで周囲の様子はなんとなくわかるが、鉄が錆びたような臭いが充満していて息苦しい。
起き上がろうとして腕が何かに引っ張られてリョーマは顔をしかめた。
首だけを動かして頭上を確認すると、頭の上で両腕がガムテープのようなもので固定されていた。
足は動くのでしばらくジタバタもがいていると、横の台の上に乗っていたコップが倒れて思いきり顔に水が掛かってしまった。
咳き込んでから片腕が動く事に気づいてリョーマはまた頭上を見上げた。
水に濡れたせいでテープの粘着力が弱まったのか、先程よりも腕が動かしやすくなっている。
「っ……!」
両足で寝ている台を蹴って無理やり体をねじると、その反動でテープが破れてリョーマは床に落っこちた。
痛みを堪えながら両腕を縛っているテープを口で外しプラプラと手首を振る。
自由の身になってから改めて辺りを見回すと、水場の近くに女子高生が倒れていた。
仰向けに倒れた状態で体をメッタ刺しにされている。
着ている制服に見覚えがあるので、もしかしたら氷帝学園の近くにある白檀高校の生徒かもしれない。
先程からしていた異臭は彼女のものだろう。
すると突然背後で物音がしてリョーマは驚いて後ろを振り返った。
「……海堂先輩?」
準備室と書かれた扉の近くに海堂がうつ伏せで倒れている。
「っ……越前……逃げろ……」
苦しげな声と共に海堂が必死に腕を伸ばす。
そこでようやくリョーマは異変に気がついた。
うつ伏せに倒れた海堂の膝から下がきれいさっぱり失くなっていたのだ。
不自然にしぼんだ制服のズボンは水気を含んでなめくじが通ったように床に赤い線を引き、白いワイシャツも所々破れていた。
「海堂先輩!!」
リョーマが慌てて駆け寄った時にはもう海堂は息をしておらず、その後ろで誰かが笑い声を上げていた。
準備室から出て来たのは白檀高校の制服を着た男子生徒だった。
海堂と校舎を探索している時に、海堂を殴って気絶させた男だ。
その後の事はよく覚えていないが、おそらく自分も殴られて気を失い、ここへ運び込まれたのだろう。
「やっと目が覚めたのかい?君が寝ている間に全部終わっちゃったよ。ハハハハ……!!」
狂ったような笑い声を上げる男子生徒。
だがその瞳は全く笑っていない。
「可愛い後輩の為に頑張ってたのに、間に合わなくて残念だったね。……ああ、でも心配しなくていい。君もすぐ先輩と同じように殺してやるから」
そう言って笑う男子生徒の手には血塗れのナイフが握られていた。
暗くてわかりにくいが、ズボンとベルトの間には拳銃のような物が差さっている。
体格差も考えると、とても丸腰で敵う相手ではない。
「っ……」
とっさの判断でリョーマは後ろに飛び退き、そのまま教室を飛び出して逃げた。
後ろから男の笑い声が響く。
「ハハハ、逃げろ、逃げろ!イッツショータイム!!」
悪意が、恐怖が、闇が押し寄せて来る。
どれだけ走っても自分の背後にぴったりとくっついて来る。
逃げても逃げても、逃げられない。
耳元で囁く悪魔の声。
逃げても無駄だと嘲笑う声。
心臓を鷲掴みにされているような気分だった。
掴まればきっと自分もあの女子高生や海堂のようになぶり殺されてしまうだろう。
実験に使うモルモットのように、死の瞬間まで弄ばれて苦痛を味わいながら……。
「っ……」
足元に忍び寄る恐怖から離れたい一心でリョーマはひたすら走り続けた。
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