クレイジー

持田と合流した杏は入れそうな教室を一つ一つ確かめていく事にした。

一番西にある会議室を調べてその隣の部屋に入ると、そこは和室になっていた。

「持田君、何か見つかった?」

「いや、暗くて……」

和室には窓があったがカーテンが釘で打ちつけられ月明りさえ入らない状態だ。

杏の携帯電話のライトでは手元を照らすのが限界で、周囲の状況はよくわからない。

最初の頃に比べればだいぶ暗闇に目が慣れて来たが、それでも細かい物までは判別できない。

ほとんど手探りの状態で和室を調べていた杏は、隅に置かれた花瓶に気づかず倒してしまった。

花瓶には花が活けてあったのか、水がこぼれて杏の靴に掛かってしまった。

「どうした?大丈夫か?」

「うん。花瓶を蹴っちゃったみたいで……割れてはいないみたいだけど」

びしょ濡れになった靴を脱いで中に入った水を外に出すが、湿った靴は履いていてとても気持ちが悪い。

「はあ……ついてないな」

ため息をついて花瓶を元に戻すと、持田が場の空気を和らげるように明るい声で言った。

「そう言えば橘さんはどこの学校に通ってるんだ?俺は如月学園の高等部なんだけど」

「あ、年上だったんですね。私は不動峰中の2年です」

「中学生?」

「はい」

「……そうか」

「どうかしました?」

「いや、別に。……そうだ、靴が濡れたならこれを履くといいよ」

そう言って持田がズボンの後ろポケットから取り出したのは小さな上履きだった。

だいぶよれているので新品ではないようだ。

だが持田はきちんと靴を履いているし、このサイズでは履けないだろう。

となるとこれは一体誰の上履きなのだろうか?

「持田さん、これどうしたんですか?」

「ああ、校舎内で拾ったんだ」

「ふーん、そうなんですか。でもこのサイズじゃ私にはちょっと小さ過ぎますよ」

「そんな事ないさ」

「うーん」

試しに上履きに足を入れてみると、思った通りかかとが入りきらずに出てしまった。

「やっぱりダメみたい」

苦笑して上履きを脱いで持田に返そうとすると、突然持田が杏の手を振り払って叫んだ。

「お前は……"由香"じゃない!」

「え?」

「騙したのか!由香を……あいつを返せよ!!」

「きゃっ!」

突然突き飛ばされて杏は畳に尻餅をついた。

転がった携帯電話を拾って立ち上がると、持田がさっきまでの穏やかな雰囲気とは違い、鬼の形相で杏を睨みつけていた。

「な、なんで急に……騙したって何のこと?」

「うるさい!」

豹変した哲志に恐怖を感じた杏は後ずさりをしてそのまま逃げ出した。

だがすぐに哲志が追い掛けて来て、防火扉の前で追い詰められてしまった。

「もうやめてよ!私、何もしてないじゃない!」

震える手を握り締めて強い口調で哲志を追い返そうとするが、激高した哲志に言葉は届かなかった。

「由香をどこへやった……返せよ。俺の妹だぞ!お前なんかに好きにはさせない!」

「っ……」

怒り狂った哲志が杏に殴り掛かった時、突然後ろから誰かに突き飛ばされて哲志は廊下の隅に転がった。

「杏ちゃん!!」

「!」

現れたのは針金の前で別れた神尾だった。

切羽詰まった様子で片腕を怪我しているが、杏の手を掴むと神尾はそのまま走り出した。

「神尾君、その怪我は?深司君はどうしたの?」

「ヤバイ奴に襲われてはぐれたんだ!早くここから逃げないと……っ」

神尾はそう言って階段を駆け上がるが、顔と手に鋭い痛みが走って思わず呻き声を上げた。

……階段の上には事務室前の廊下と同じように針金が張り巡らされていたのだ。

「危ない!!」

杏が手を伸ばした時にはもう、神尾は体勢を崩し階段を転げ落ちていた。

「うっ……」

怪我した方の腕を床に打ちつけて痛みに呻くが、すぐにその痛みは消えていった。

「あ……ああ……っ」

神尾の目から光が失われていくのを見つめながら杏はただ怯える事しかできなかった。

神尾の喉からナイフを引き抜いた哲志は、ゆっくりと階段を上って杏に近づく。

すると突然後ろから誰かが哲志に抱きつき、哲志の歩みが止まった。

「深司君!」

「早く、逃げろ!!」

「!」

刃物を持った哲志を羽交い絞めにする伊武を見て、杏はすぐさま階段を駆け下りその場から逃げ出した。

背後で伊武の苦しそうな声が聞こえたが振り返る事はできなかった。

「うう……神尾君……深司君……っ」

二階の女子トイレに身を隠しながら杏は震える両手を握り締めて神に祈りを捧げていた。

何かにすがりついていなければ心が壊れてしまいそうだった。

これは悪い夢なのだと何度も自分に言い聞かせながら目をつぶる。

だがそこに足音が近づいて来て女子トイレの前で止まった。

「っ……」

杏は必死に息を殺して足音が通り過ぎるのを待つが、その願いは叶わない。

徐々に足音が近づいて来て個室の扉が一つ一つ開かれていく。

「!」

そして遂に杏が隠れている個室まで来てしまった。

扉には鍵が掛かっているので外からは開けられないはずだが、殺人犯がすぐ側にいると思うと生きた心地がしなかった。

「……開けろよ」

「!」

扉越しに声が聞こえる。

地の底から響いて来るような恐ろしい声だ。

「そこにいるんだろ?わかってるんだ」

「っ……」

呼吸さえ上手くできずにだんだんと息が荒くなっていく。

それでもひたすらじっと恐怖に耐えていると、扉が激しく揺れ始めた。

「開けろ!!絶対にお前だけは許さない!!殺してやる!!」

「ううっ……」

開かない扉に苛ついて何度も何度も扉を蹴る。

心臓が破裂してしまいそうなほど胸が痛い。

それでもひたすら耐え抜くしかなかった。

「っ……」

涙と冷や汗でぐしゃぐしゃになった顔のまま扉を見ると、いつの間にか音が止んでいた。

哲志は諦めてどこかへ行ってしまったのかもしれない。

だがもしかしたらトイレの出口で自分が出て来るのを待っているかもしれない。

どうするべきか答えが出ないまま個室に閉じこもっていると、また足音が聞こえた。

心臓がビクンと跳ね上がるが、足音とは別に何かを引きずるような音も聞こえる。

しばらく物音が続いた後、静まり返った個室に楽しげな声が響いた。

「みーつけた」

「!」

頭上を見上げると、隣の個室からナイフを手にした哲志が歪んだ笑みを浮かべていた。

「嫌あああああ!!」

パニックになって個室から出ようとするが、鍵を外しても何故か扉は開かなかった。

反対側から何か重い物が扉に寄り掛かっているようで、体当たりしても扉は開かない。

「嘘っ……嫌、やめて!助けて!!」

狭い個室の中で捕食されるのを待つ獲物のように杏は震えた。

哲志は個室の壁を乗り越えて便器の上に着地すると、逃げ場を失った杏を壁に押し付けてナイフを振るった。

「あぐ!……あ……やっ……ぐ……っ」

何度も、何度も、湧き上がる怒りと狂気をぶつけるようにナイフを振り下ろす。

恐怖と痛みに歪んだ杏の顔がズタズタに引き裂かれても、哲志はナイフを振るのを止めなかった。

白い壁に血が飛び散り真っ赤に染まっても、心は少しも晴れない。

やがて力尽きたように腕を下ろすと、哲志は床に崩れ落ちた杏の死体を全力で蹴り飛ばした。

死体が扉にぶつかり、その衝撃で外に置いてあった"ストッパー"が倒れて扉が開く。

「……違う。こいつじゃない。こいつは偽物だ……」

ぽつりと呟いて個室を後にする。

置き去りにされた"杏と伊武の死体"を振り返る事もなく、哲志はそのままトイレを出て行った。

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