第四章 刻印
「な、なあ仁王。さっきのあれってやっぱり幽霊……なのか?」
廊下を歩きながらブン太が呟くように言った。
隣を歩く仁王はちらりとブン太に視線を移し、それから静かに首を振った。
「俺に聞かれても答えられんぜよ」
「そ、そうだよな。悪い……」
「……少なくとも普通の人間でない事は確かじゃのう」
「……」
ブン太は先程の光景を思い出してぶるりと震えた。
二階の教室を通り掛かった時に、明らかに異常とわかる三人組の子供を見かけたのだ。
腐敗した死体の生首をサッカーボールのように弄びながら笑っている光景は、非常におぞましいものだった。
子供特有の無垢な残酷さと言えばいいのか、善悪の概念が薄い彼らにとってそれはごく普通の事だったのかもしれない。
生と死の境にあるこの学校では、悪意や殺意だけでなく、純粋な心までも脅威となってしまうようだ。
「ユキの奴どこ行っちまったんだよ……まさかあいつらに……」
「ブン太、こういう時はもっと前向きに考えた方がいいぜよ」
「けど……元はと言えば俺のせいでこんな事に……」
「あまり自分を責めなさんな。後悔したってどうにもならんぜよ」
「……」
ブン太は無言のまま俯く。
と、その時、不意にブン太がお腹を押さえて足を止めた。
「どうした?」
「いや、何か急に腹が……っ」
ブン太は痛みに顔を歪めるが、しばらくすると治まったようでお腹をさすりながら顔を上げた。
「大丈夫か?」
「ああ、もう平気。何だろ……。保健室で棚にぶつかった時に腹も打ったのかな」
「何じゃ、どっか怪我でもしとるんか?」
「いや、別にたいした事じゃねえけど。保健室で赤也とはぐれた時に地震が起きてさ。薬の瓶とか入ってた棚が倒れて、ユキにぶつかりそうになったんだよ。そんで庇ったはいいけど頭に思いっきり棚がぶつかって……」
「あー言われてみればちょっとたんこぶになっとるのう」
ブン太の後頭部に軽く手を添えながら仁王が言った。
「ん?おい、仁王。お前も怪我してねえ?」
ブン太の視線に気づいて仁王は左手を胸の前に上げた。
腕から手の甲に掛けて痣のようなものが浮き出ている。
「これか……気がついたらこうなっとった」
「痛くねえのか?」
「いや」
「……」
仁王はあまり気にしていない様子だったが、腕に浮かんだ痣を見てブン太は何だか不安になった。
赤也の首についていた痣と似ているような気がしたのだ。
「……気のせい、だよな」
「ん?何じゃ」
「いや……別に」
言い掛けた言葉を飲み込んでブン太は先を急いだ。
今は余計な事を考えずにユキを捜すべきだろう。
赤也のように目の前で仲間を失うのはもう耐えられない。
「……ちょっと待ちんしゃい」
廊下を歩いていると不意に仁王が足を止めた。
「どうしたんだよ、仁王」
「……何か聞こえんか?」
「え?」
耳を澄ませると僅かに人の声と物音が聞こえた。
暗くてわかり辛いが近くの教室から聞こえて来るようだ。
「確かに何か聞こえる……もしかしてユキか?」
「入り口はあっちか」
腐った床を避けて回り込むと、そこはブン太達がいた保健室だった。
前に来た時とどことなく雰囲気が違っているような気もするが、気のせいだろうか。
「まさかまた幽霊じゃねえだろうな……」
「……開けるぜよ」
仁王が目で合図を送り、そっと保健室の扉を開けた。
点滅する蛍光灯の下で、ブン太のたんこぶの原因となった薬棚が倒れたままになっていた。
散乱する瓶や包帯を避けながら中に入ると、カーテンで半分隠れたベッドの上に幸村の姿があった。
「幸村君!」
突然の再会にブン太は歓喜の声を上げて駆け寄るが、それより先に仁王が叫んだ。
「何しとるんじゃ、幸村!!」
仁王の怒声にブン太は驚いて飛び跳ねるが、そこでようやくブン太の視界の中にも"その光景"が入り背筋が凍りついた。
「え……」
思わず自分の目を疑う。
しかし何度瞬きをしても目の前の事実は変わらなかった。
「ユキ……!!」
ベッドの上に横たわるユキの上に幸村が馬乗りになってその首を絞めている。
ユキは青白い顔でぐったりとしたまま動かない。
「幸村!!」
仁王が無理やり幸村を引っ張ってユキから引き剥がす。
「ユキっ、おい!しっかりしろよ!」
ブン太がベッドに駆け寄って名前を呼ぶが、ユキは目を閉じたまま返事もしない。
「!」
それを見た仁王が即座に駆け寄って心臓マッサージと人工呼吸を繰り返す。
ブン太はどうする事もできずに茫然と立ち尽くしたまま、その様子を見つめていた。
「っ……」
しばらくしてユキが反応を示し激しく咳き込んだ。
「ユキ!!」
呼吸が戻った事を確認してブン太が歓喜の声を上げる。
ユキはまたすぐに意識を失ってしまったが、どうやら一命は取り留めたようだ。
「よか……っ」
ブン太がほっと安堵のため息をついた時、突然後ろから誰かに首を絞められて呻き声を上げた。
「ブン太!」
「っ……離せ!」
無我夢中で暴れたおかげで拘束から逃れる事ができたが、振り返って犯人を確認してブン太は驚愕の表情を浮かべた。
「ゆ、幸村君……」
「……」
幸村は無言のまま静かに佇んでいる。
だがその瞳の奥には狂気が滲み出て、獲物を狙う獣のように鋭く光っている。
「な、なんで……幸村君が……」
困惑するブン太と仁王の前で幸村が足元に落ちているガラス片を手に取った。
鋭い切っ先を見て幸村は綺麗な笑みを浮かべる。
「っ……ブン太、走れ!」
仁王が叫び、ブン太は半ば反射的に出口へと走った。
その後からユキを抱いた仁王が続く。
「どこへ行くんだい?……戻っておいでよ、仁王、ブン太……!」
後ろから迫り来る狂笑を聞きながら、二人はひたすら廊下を走り続けた……。
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