Book of Shadows

気がつくと俺は、見慣れた部屋の慣れ親しんだベッドの上に横たわっていた。

「跡部!」

「やっと起きたんか。寝坊助にも程があるで」

ベッドの側には何故か宍戸と忍足の姿があった。

体を起こして訳を聞いてみると、昨日の話が気になって様子を見に来たらしい。

そうしたら俺が夕方になっても目を覚まさないと使用人達に聞いて寝室に駆けつけたと言う。

二人の言う通り、窓の外はもう赤い夕日に包まれている。

とりあえず二人を客室に案内させて支度を整えていると、ふと後頭部に鈍い痛みを感じた。

寝ている間にどこかにぶつけたのか、それともあの悪夢のせいなのか。

考えるだけ時間の無駄だろう。

俺はなるべく気にしないようにしてさっさと客室へ向かった。

「で?お前、結局あの後丸井にも連絡して確かめたんだって?」

「深夜に電話で叩き起こされた言うてめっちゃ不機嫌やったで」

どうやら丸井から話を聞いて気になったようだが、詳しい事はあいつにも話していないので忍足達は何も知らない。

話すかどうか数分迷ってから、結局俺は一冊の本を取り出してテーブルの上に置いた。

「何だ、これ?」

「何でも願いが叶う魔法の本だ」

「はあ?」

宍戸が予想通りのまぬけなリアクションをする。

「何やえらい厚い本やな。哲学書か?」

「だから今言っただろう。願いが叶う魔導書だ」

「珍しいな。お前がそんな冗談言うなんて」

「別に冗談で言った訳じゃねえ。真実だ」

俺も最初は半信半疑どころか、欠片も信じちゃいなかった。

どうせどっかのオカルト野郎がジョークで作った物だとそう思っていた。

だが今なら言える。

これはこの世にあってはならない恐ろしい本だ。

本当は今すぐ暖炉の中にでも放り込んで自分の記憶から抹消してしまいたいくらいだ。

だが俺にはどうしても叶えたい願いがある。

それはこの本でなければ叶えられない願いだ。

だからたとえ何があろうとも、望みが叶うまでこの本を手放すつもりはない。

「おいおい、お前突然オカルトにでも目覚めたのか?止めろよ、そういうの。どうせロクな事になりゃしねえ」

「一月前、とある場所でオークションが開かれた」

唐突に口を開いた俺を見て、忍足も宍戸も黙って耳を傾ける。

「限られた人間だけが参加できる裏のオークションだ。そこで出品されるのは幻と呼ばれるようなお宝や曰くつきの物、それと表沙汰にはできない商品だ」

「まさか……闇オークションか?」

さすがに天才と呼ばれた男は察しが良い。

俺は頷いて話を続けた。

「そこである物が出品されると聞いて、俺はそのオークションに参加した。それがその本だ」

二人の視線がテーブルの上の本に注がれる。

「オークションでは世界各国の伝承や歴史などが記された本として出品されていたが、一部の人間の間ではこう呼ばれている。死者の掟の書……"ネクロノミコン"と」

日本では死霊秘法などとも呼ばれているが、実物は存在しないとされている幻の魔導書だ。

オークションでは"Book of Shadows"というタイトルで出品されていたが、それがネクロノミコンと呼ばれる魔導書である事はオークション側も承知していたようだ。

最もそのネクロノミコンでさえ眉唾物で噂が本当かどうか確かめる術もないので、ほとんどコレクターアイテムに近い。

本当に願いが叶うかどうかよりも、クトゥルフ神話の愛好家やオカルト好きな金持ちが興味を示す代物だ。

だが俺は一目見て何故かこの本に強く惹きつけられた。

何でも望みが叶う本……本当にそんな物が存在するのであれば、確かめたいと思った。

あの日からずっとこの胸の奥底で燻っている黒い霧が何なのか。

金も名誉も全てを手にしてそれでも満たされる事のないこの心が望むものは何なのか。

どうしても知りたかった。

その答えが見つかるのであれば俺の全てを投げ打っても構わないと思った。

俺が真に望んでいるもの……それが手に入るのであれば他には何もいらないと、そう思ったのだ。

「……」

忍足と宍戸はしばらくの間黙り込んでいた。

突然訳のわからない話を聞かされて茫然としているのだろう。

それとも声も出ないくらい呆れているのだろうか。

まあ当然の反応だ。

何も知らなければ俺だって一笑に付しているところだ。

「……願いか」

しばらく黙り込んだ後、ぽつりと呟くように宍戸が言った。

「本当に何でも願いが叶うってんなら、そりゃ欲しい奴はたくさんいるだろうけど……そんなうまい話があるのか?」

「当然代償はある」

「何や?」

俺は黙って袖をまくり、忍足達に自分の腕を見せた。

「なっ!」

二人の息を呑む声が聞こえる。

俺はまた黙って袖を元に戻した。

「本を開いた時に一番最初の行に書いてあった。願いが叶う代わりに、"死者の掟"が課せられる。その掟を破れば、二度と願いは叶わないと」

「死者の掟……?」

「詳しい事はわからねえ。本にも掟については何も書かれちゃいなかった。ただ何のリスクもなく望みが叶うとは俺も思っちゃいなかったが……まさか毎夜悪夢にうなされる事になるとはな」

「……その腕、痛くねえのか?」

宍戸の問いに俺は首を振った。

"黒化(くろか)"が進むこの腕は時折自分の意思とは関係なく動く時がある。

気がついたら自分自身を素手で絞め殺そうとしていた事もあった。

今はまだある程度、制御できている。

だがこのままいけば、いずれ俺は俺自身を制御できなくなるだろう。

そうなれば俺だけでなく周りの人間にまで危害が及ぶ。

刻々とタイムリミットは迫っているのだ。

それまでに決着をつけなければ全てが終わってしまう。

「この本、誰がオークションに出したんや?」

「さあな」

闇オークションでは出品者も落札者も完全に非公開。

会場に集まった人間は全員仮面をつけて番号もしくはコードネームで呼び合う。

商品と代金は全てオークション側が管理し、出品者に関する情報は一切提示されない。

勿論、出品者が落札者について知る事もない。

オークション側の人間についても全く情報は得られず、極端な話、奴らが人間ではなく悪魔だと言っても納得してしまうくらいだ。

それ故にオークションで出回る商品は妙に信憑性の高い物ばかりで、曰くつきの物や眉唾物の商品でも買い手がつく。

俺は意を決して本を開き、そして失った記憶を取り戻した。

14年前のあの悪夢を全て思い出したのだ。

そして決意した。

何があろうとも妹を……ユキをあの悪夢から救い出すと。

それが俺の叶えるべき願いだ。

俺は自分の知る全てを忍足達に打ち明けた。

あの悪夢を知る人間なら、ネクロノミコンについても笑い飛ばすような真似はできないだろう。

何より俺の腕にある黒化を見てしまった以上、信じるしか選択肢はないはずだ。

この黒化は誰にでも見えるものではない。

あの悪夢を……死者の世界を体験した者にしか見えない。

それでも失われた記憶はそう簡単に取り戻せるものじゃない。

ユキについても忍足達はやはり覚えがないと言う。

本を開かなければ、記憶は戻らないのだろう。

だが一度この本を開いた者はもう後戻りできない。

最も強い意志のある者でなければこの本は開けないようだが。

開いた者にはこの世の全ての不幸が襲うとも言われている本だ。

よっぽど切羽詰まった者でなければ、開こうとする馬鹿はいないだろう。

「なるほど。その妹を救う為に天神小へ行ったんか……」

「けどそれって夢の中の話なんだろう?それでどうやって助けるんだ?」

「天神小から脱出する方法は一つしかない」

「……逆打ちか」

忍足の言葉に俺は深く頷いた。

死者の掟とは、つまりそういう事だ。

鬼碑忌がやったように、死者と交信する口寄せを使って現世と常世を結ぶのだ。

そうすればユキをこちらの世界へ引き戻す事ができる。

現実世界に戻れば失われた記憶も元に戻るはずだ。

それがこの世の理なのだから。

だが問題はどうやってその逆打ちをするかだ。

ユキは自分の切れ端を失くしたせいで逆打ちに失敗し、悪夢の世界に取り残された。

もう一度逆打ちを行おうにも幸村達の切れ端はあの世界にはない。

となると、別の切れ端を使って逆打ちを行うしかない。

他の犠牲者が残した誰かの切れ端を使って儀式を行うのだ。

その誰かには心当たりがある。

きっと上手くいくはずだ。

どんな手を使ってでも、俺はユキを救い出してみせる。


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