Book of Shadows

あれからどれくらい彷徨い歩いただろうか。

同じ場所を永遠と回り続けているようなそんな感覚にうんざりし始めた頃、廊下の向こうから足音が聞こえた。

もうずいぶん歩き回っているが自分以外の足音を聞いたのは初めてだ。

ここに来て出会った人物と言えば、得体の知れないサチコと名乗る少女だけ。

他は全て物言わぬ骸ばかりだ。

ようやく訪れた変化に、俺は内心ほっとしながら足音に近づいて行った。

そして保健室の前に差し掛かった時、俺は思わず叫んでいた。

「ユキ!」

廊下を歩く小さな人影がびくりと震えてこちらを振り返る。

薄暗いせいか少しやつれて見えるが、見間違いではない。

俺は躊躇する事もなくその小さな肩を抱きしめて安堵のため息をついた。

「よかった……」

体に伝わるあたたかいぬくもりにユキが生きているのだと実感する。

やはり中庭で見たあの首吊り死体は俺の見間違いだったのだ。

この悪夢の世界に来て自分でも気づかないほど俺は疲れていたらしい。

情けない話だが、そんな事はこの際どうでもいい。

やっと捜し求めた妹に会えたのだ。

もう二度と、この手を離したりはしない。

何があろうとも守り抜いてみせる。

兄として必ず……。

「あ、あの……」

おずおずとユキが口を開いた。

俺は少し体を離して戸惑うユキの顔を覗き込んだ。

ユキは男物のブレザーを着ていた。

確認するまでもなく、これは刻命の制服だろう。

だが血塗れではない。

素足に巻かれた包帯が痛々しいが、こんな所ではまともに手当てもしてやれない。

「ずっとさがしていた。ようやく会えた」

「え?」

見開かれた瞳が戸惑うように揺れる。

「もう大丈夫だ。何があろうと俺が守ってやる。……あの頃の俺は弱かった。無力だった。でも今は違う」

そうだ、今の俺ならユキを守れる。

か弱い妹を守るのは兄の務めだ。

ユキさえいれば他には何もいらない。

ようやく見つけた希望の光。

手に入らないと思っていた美しい輝き。

「一緒に帰ろう。すぐに部屋も用意する。これからはずっと一緒だ。もう離さない……」

これは誓いの言葉だ。

自分とそして妹に誓う言葉だ。

ずっと求め続けた、これが俺の望みだ。

「……」

ユキはしばらく黙った後、何故かするりと俺の手から抜け出して距離を取った。

「ユキ?」

「……どうして突然そんな事……」

「?」

ユキは戸惑っている様子だった。

突然の出来事にどう対処していいのかわからないという顔をしている。

嫌な汗が流れた。

やっと会えたのに、ユキがどこか遠くへ行ってしまうような……そんな不安が俺を襲った。

「ユキ、心配しなくてももう大丈夫だ。俺が……"お兄ちゃん"が守ってやる」

「!」

ユキの目が大きく見開かれる。

ずっと忘れていた言葉だ。

小さい頃からユキは俺の事を"お兄ちゃん"と呼んでいた。

双子なので年は変わらないが、自慢の兄だと忍足達に話していた時は本当に嬉しかった。

だからもう一度、呼んで欲しいのだ。

その唇で、"お兄ちゃん"と。

「……」

ユキは黙ったまま俺を見つめていた。

そして一言、こう呟いた。

「……あなたの妹にはなれない」

「!」

頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。

どうしてユキがそんな事を言うのか全く理解できなかった。

やはりユキはあの時自分を置き去りにした俺を怨んでいるのだろうか?

だからもう俺の事は兄だと思えないのか?

「ユキ!」

「っ……」

俺が思わずその手を掴むと、ユキは怯えたように俺の手を振り払った。

「ユキ?」

「あの、私……やっぱり一人で赤也を捜します」

「何?」

ユキはそう言うと俺から逃げるように走り出した。

俺は慌ててその小さな背中を追いかけた。

「ユキ!!」

頭の中が混乱して何も考えられなかった。

どうしてユキはあんな事を言ったのか……。

切原を捜す?

ユキは何を言ってるんだ。

ここにはもう切原も幸村達もいない。

あの時逆打ちをして天神小学校から脱出したのだから、この悪夢の世界に切原がいるはずがない。

じゃあ何故、ユキはあんな事を?

俺から逃げる為か?

何故、そんな事をする必要がある?

妹になれない、だと?

どういう事なんだ。

わからない。

「ユキ、待て!」

混乱しながら俺は必死にユキの後を追った。

体の弱いユキは運動神経は悪くないが体力に乏しい。

普段ならすぐに追いつけるが、ここは視界が悪く足場も最悪だ。

おまけに少し体重を掛けると床がみしりと鳴って崩れ出す。

体重の軽いユキの方がここは有利なのだ。

「どこへ行った!」

暗闇の中で俺は必死に闇に目を凝らした。

絶対に見失う訳にはいかない。

もう二度と妹を失いたくない。

「!」

辺りを見回すと、朽ちた床の隙間から震えるユキの姿が見えた。

こんな所にしゃがみ込んで怪我でもしたらどうするんだ。

俺はすぐに近づいてユキの体を床下から引きずり上げた。

「っ……離して下さい!」

だがユキは俺の手を振り払うとそのまま階段の方へと逃げて行く。

俺はまたユキの小さな背中を追いかける事になった。

闇の中に俺とユキの足音と息遣いだけが響き渡る。

とにかくこのままでは話もできない。

もしかしたらユキは酷く怯えていて俺を上手く認識できていないのかもしれない。

ここには得体の知れない幽霊や人魂がいる。

だから俺が助けに来たと言ってもすぐには信じられないのかもしれない。

咳き込むユキに駆け寄り落ち着かせようとするが、ユキは怯えた様子でまた逃げ出してしまった。

そのまま階段を駆け上がり目についた教室の中へと入って行く。

後を追い教室の中に入ると、そこには誰もいなかった。

おそらくどこかに隠れているのだろう。

俺はなるべく脅かさないよう優しく声を掛けながら教室の中を調べた。

そして奥にあるロッカーの扉を開けた時、微かに床の軋む音が聞こえて後ろを振り返った。

ユキが四つん這いになったままこそこそと廊下へ出て行く。

俺は深いため息をついて後ろからユキを引き止めた。

「やめて、離して!なんでこんな事するんですか!」

暴れるユキを宥めようとするが、予想以上に強い力で拒まれて話もできない。

「!」

一瞬の隙をついて俺の腕からすり抜けると、ユキはまた廊下の奥へと走り去って行った。

「お兄ちゃん!!っ……助けて、お兄ちゃあん!!」

闇の中にユキの泣き叫ぶ声だけが響き渡る。

その声を聞きながら、俺はここにいると声を枯らして叫びたくなった。

俺達はそれからしばらく虚しい鬼ごっこを続けた。


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